ユーリをたずねて大神殿へ行った日から二日後。ジェンスはまたヘルレアサの丘をめざして東門をくぐっていた。本当は昨日のうちに行きたかったのだが、めずらしいことに一日中トラクスの仕事を手伝わなければならなかった。
短い休憩をのぞいて丸一日、座って書類を読みあげたりそろえたり、苦手な計算をしているのはジェンスには苦行もいいところだ。毎日のようにこれをやっている父親のことは尊敬しているし、団長のクエンスもトラクスなしでエオリンはやっていけないと常々口にしている。
昨日もクエンスは何度かトラクスを連れ出しに来たが、父親は席をはずしているあいだもジェンスに宿題を残すのを忘れなかった。ハッチェリをはじめとした親しい傭兵は、ジェンスに同情はするものの助けてはくれない。
しかしそのおかげで、今日は夜明けの日課以外をすべて免除されることになった。ハッチェリも街に用事があるというので一緒に東門をくぐったはいいが、今日のライオネラは尋常でないにぎわいである。参道に通じる大通りの左右には巡礼たちがずらりとならび、何かを期待する空気が漂っている。
「いったいどうしたんだ? 祭りでもあるのか?」
不思議そうに口に出したハッチェリへ、巡礼のひとりが「大神官さまが戻られるんだ」といった。
「大神官?」
「大神官ギラファティ様にきまってる! 帝都の神殿から戻られて、ライオネラをひとまわりされるんだ――おおっと、喋っているあいだにはじまったぞ! 南門から行列だ!」
群衆はざわめいたが、通りのはずれから笛の音が響いてくると静かになった。行軍ラッパや吟遊詩人の弦ならジェンスも多少は馴染みがあったが、鳥のさえずりのように優美な笛の音はめずらしく、自然に背筋をのばして音のする方をみつめた。
先頭に立つのは簡素な白い衣を着た少年で、前方の道に白い粉のようなものを振りまきながら歩いていく。その次の一団は左側に白い長衣の神官、右側は白い防具に身を固めた兵士の列だった。神官も兵士も翼の模様のある短いマントを身につけている。紫の目をしたフィシスの姿はない。
彼らのあとに高く担がれた輿がつづくと、巡礼たちがいっせいに膝をついた。
「大神官様だ……」
「ギラファティ様!」
ジェンスの周囲でささやきが広がった。輿の上の人もやはり白い長衣だが、頭に虹の七色にきらめく布の冠をいただいている。光のあたり方によって白から青、紫、橙と色が変わって見えるのだ。
同じ布のベールが輿の下まで長く垂れ、大神官その人の顔は虹色に覆い隠されて見えなかった。しかし巡礼たちにはそれで十分なようで、広げた両手をうやうやしくそちらへ向けている。最後は楽師と、白い服を着たまだ幼い子供たちで、笛の音がだんだん遠ざかっていくと、巡礼たちは参道の方へ移動しはじめた。
「立派なもんだな。景気がよくて何より」
ハッチェリがぼそっとつぶやいた。感心しているというよりも、どこか呆れた口調である。
「ジェンスはこれからどこに行くんだ?」
「丘」
「また?」
だがハッチェリが聞き返したとき、ジェンスはもう参道の方へ歩きはじめていた。同じように参道をめざす巡礼の群衆があいだにわりこんできたので、ジェンスはハッチェリに片手をあげて、そのまま人の流れにまかせて歩いた。
大神官の行列は市街を回ってから参道を通って神殿へ戻るという。丘の上はそれを待つ人々でいっぱいだった。神殿の正面にも白い服の神官がずらりと並んで行列の戻りを待っていた。中央にあの、紫の目の神官がいる。
ユーリはどこだろう? そう思ったとき、いきなり袖をひっぱられた。
「ジェンス」
声を聞いたとたん、喜びのあまり背中がぞくっとした。ユーリの青い目がいたずらっぽくきらめき、指がくいっと曲がって列の外をさした。
「ユーリ」
「こっちだ」
こっち? ジェンスは怪訝に思いながらユーリを追って人ごみをすり抜けた。ユーリは神殿には入らず、建物にそって歩いていくと、その先の障壁をよじのぼって越えた。
「街へ下りる近道があるんだ。こいよ」
ジェンスは迷わなかった。ユーリのあとについて歩き、曲がりくねった長い階段を下りていく。
「ユーリ、もう大丈夫なのか?」
「ああ、この前はごめんな。フィシスは知恵熱みたいなものだって。病気じゃないから心配するなよ」
「それはよかった。でも、神殿は?」
「行列が戻ってきたら儀式がある。全部おわるまでは大神官の目にとまらないようにしてろっていわれてる。ってことはつまり、行列が行かないところにいればいいってことだろ?」
階段をおりた先には丘の西側を下る道が続いていた。ユーリはジェンスと並んで歩きながら、大神官のことや行列の準備で神殿が大忙しだったことを面白おかしく話してきかせた。
大神官ギラファティは街道ではなくティルコ河を行く船で帰還したのだ。岸辺で感謝の祈りを捧げたのち、樹領の西側からライオネラの街をぐるりとまわって丘に戻る。行列に加わっていない神官はそのあいだ神殿の入口でああやって待っているのだという。
「ジェンスは行列は見たのか?」
「ああ、すこしだけ」
「大神官は輿に座ってただろう? あれを担いでるのは樹領のあちこちで働いている力自慢たちで、クジで選ぶんだって」
「大変だな」
「この何日かで神殿や樹領について多少わかってきてさ。この道のこともやっと知ったんだ。そういえば……」
明るい口調でユーリが話し続けたので、歩いているあいだジェンスはだいたい聞き役に回っていた。