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第14章 ジェンス――勇気と傲慢(後編)

 トラクスの声にかまわず、ジェンスは団長のテントの表側へ飛び出し、出入口の布をめくりあげた。退魔師のアルコンがすぐ外であぐらをかいてすわり、煙管をふかしていた。

「よう、ジェンス」

 退魔師は唇のはしに煙管をくわえたまま、特段の表情もみせずにいった。

「実の親がわかったってのに、嬉しくなさそうだな」


 ジェンスはのろのろとうなずいた。アルコンはもっと寄れというように指を振った。

「話しておきたいことがある」

「何?」

「あいつの話でわかった。おまえを追っているのは血の魔導だ。厄介なものに捕まったものだ」

「血の魔導?」


 ジェンスは腰を落としてアルコンと目線をあわせた。アルコンは自分の髪を指さして「こういうものを呪物にするんだ」といった。


「目標の血縁者の一部……血液や髪の毛、皮膚のかけらを使って、魔物になる前の影に目標を教える術だ。犬に匂いを教えこむようなもので、育った魔物は目標をみつけるまで飢えがおさまらないよう仕込まれている」

「何がやっかいなんだ? あの日、俺を襲った魔物は退治できたじゃないか」

 アルコンは首を横にふった。


「調教に使った呪物があれば魔物を再生し、追わせることができるからだ。狙われたら呪物を探し出して燃やすまで終わらない。暗殺を請け負う魔導士の術だったが、禁術として封じられて久しい。昔は暗殺のほか、脅しにもよく使われた」

「脅し?」

「よくあるやり方は、魔導士が魔物を解き放ってからは依頼人が呪物を保管し、追いつめられた相手が要求に応じたあと焼き捨てる、というやつだった。だから呪物をみつけて処分するか、それが無理なら十分に遠くへ逃げるか……」

 ジェンスは立ったままうなだれ、小さく首をふった。

「……いったい俺をどうしたいんだろう?」


 アルコンは煙管の先をテントの奥へ向けた。

「あそこにいる男も含めて、おまえを担ぎたい一派と、殺すか、殺さないまでも脅して好きにしたい一派がいる。もっと他にもいるのかもしれんな。そいつらはおまえが握るかもしれない権力がほしいんだ。しっかりしないと流されてしまうぞ」

 でも、いったいどうすれば? しかし退魔師はジェンスの疑問にこたえることなく話を変えた。


「ま、いまの問題は血の魔導だ。幸いここは世界樹に近いから魔物の浄化に必要なものはそろってるし、大神殿にお伺いを立ててもいい。あいつらが昔魔導士を狩ったおかげで、こんな闇の魔導を使える人間はほとんど根絶された。俺たち退魔師もとばっちりを食ったがな。もっとも、丘は丘でどうもきなくさくて、俺としては気になるが、団長が決めることだからな」


 アルコンが嫌そうに顔をしかめているのがジェンスは不思議だった。

「……アルコン、何が気になるんだ? 世界樹の丘は聖域で、魔物は入ってこられないんだろう?」

「ああ、丘の上はばっちりさ。だが地中は……そうでもないと思う。ライオネラの門を入るといつも足もとから軋みが聞こえるんだ。ちょいと気持ち悪い」

「軋み?」


 退魔師の感覚は常人とはちがうものだ。ジェンスに聞き返されてもアルコンはまったく動じなかった。

「たぶんどこかに力の歪みがある。辺境じゃ、歪みは直接闇の亀裂を作ってしまうもんだが、ここはおまえのいうとおり世界樹のお膝元、神官が小細工で手当てしているんだろう。結界や遮蔽……〈根〉の神殿はこの手のものが好きだが、俺は性があわんのだ。……いや、余計なことをいったな」

 アルコンはとりなすようにジェンスの肩を叩いた。

「こんなこと、退魔師おれたち以外にはどうでもいいことだ。それよりおまえの話さ。物事の良い面をみろ。おまえ、生みの親のおかげで大金持ちになれるかもしれんぞ」





 たしかに出生の秘密が明らかになると、ふつうは嬉しく思うのかもしれない。

 しかしジェンスが感じているのは間違っても喜びではない。もちろん驚きはあった。そして今、テントのあいだを歩いているジェンスの中でくすぶりつつあったのは、自分でも意外なほどの怒りだった。

 クエンスとトラクスは最初から、ジェンスにこのことを隠していたのだ。入団の誓いについてたずねるたびに、クエンスが「まだ早い」と返してきたことをジェンスはあらためて思い返した。


 ジェンスはテントのあいだを通りすぎ、馬の囲いまで歩いていった。背後に誰かがついてくる気配を感じ、振り向くとクエンスがついてきている。

 ジェンスは立ち止まった。クエンスはすぐに追いついて、ジェンスと肩を並べながら「黙っていて悪かった」といった。

 ジェンスは小さくうなずいた。


「ジェンス、ラコダスへ行くか? おまえの生来の権利だ。俺なら手放さないがね」

 ジェンスは口を開いたものの、言葉は簡単に出てこなかった。

「まだわからない。俺は……」

「アルコンから魔導の話は聞いたな?」


 たたみかけるように問われて、ジェンスはまたうなずく。するとクエンスはきっぱりと告げた。

「フィオミアとラコダスへ行かないなら、チェリとモルフォドへ発て」

「なぜ?」

「おまえがヴィプテ家の継承など興味がないといっても、フィオミアも、おまえを敵視する連中もきっとあきらめない。モルフォドまで行けば姿をくらますのも簡単だし、アルコンはモルフォドの兄弟子なら血の魔導の対策もできるといってる」


「団長――」思わずジェンスは声をあげた。

「逃げ隠れするのは嫌だ。それに、俺はエオリンに入団したい、誓いを立てたいって、ずっと頼んでいたじゃないか」


 クエンスは穏やかに答えた。

「俺が応えられなかった理由は今日、わかったな?」

「だけど俺は下手な新兵よりずっと――」

「ジェンス」

 クエンスの声に剣の鋭さが混じった。

「勇気と傲慢をはきちがえるな。トラクスは血の魔導や実の親の跡目争いなんかでおまえを死なせたくないんだ。ヴィプテ家ではなくエオリンを選ぶのならなおさら、チェリとモルフォドへ行け。おまえがここを離れているあいだに俺たちも一計を講じる」


 モルフォド。

 エオリンの創設者が生まれた辺境の地は通商のルートから遠く離れている。おそらくジェンスは遊牧民たちの馬を育てたり馴らしたりすることだろう。

 すこし前のジェンスなら、それも悪くないと思ったかもしれなかった。だが、ジェンスの頭をよぎったのはまったくちがう考えだった。


 ――モルフォドのような辺境へ行ったら、ユーリには二度と会えないかもしれない。


 ジェンスはくるりときびすを返した。クエンスの声が追いかけてきた。

「ジェンス、どこへ行く?」

「頭を冷やしたいから、素振りでもする」

「……それもいいかもしれんが……」


 ジェンスはかまわず歩きつづけた。練兵場の入口には新兵が数人、人待ち顔でたむろしている。訓練係を待っているのだ。

 むしょうに彼らが羨ましくなって、ジェンスはやっぱり引き返そうかと思った。とその時、耳もと近くでヒュッと風を切るような音がした。


「――!」


 まさかこんなところで襲われるとは思いもしなかった。ここはエオリンの中なのだ! 新兵に偽装して入りこんだのだろうか?


 ピリッという痛みを感じると同時に筋肉の緊張が解けて、ジェンスは襲撃者から身を守ろうと体を低くする。相手はナイフをくりだしている。ジェンスは皮膚をかすめる刃から逃れようと体をひねり、足元の土を蹴った。襲撃者の顔面に小石が飛んでいき、ひるんだすきに助けを呼ぶ。


「チェリ――!」

「くそ、いい度胸じゃねえか!」


 ハッチェリの声が聞こえ、異常に気づいた人々が駆けつけてくる。たちまち逃げだした襲撃者を屈強な傭兵たちが追いかけていった。

 彼らの背中をみつめながら、 ジェンスは呆然としてその場に立ち尽くしていた。ナイフがかすめたところから血がじくじくとにじんでくる。つい数日前まで、自分はすぐにでも一人前の兵士になれると信じていたのではなかったか。


(今のきみは遊戯盤の駒のようなものと思われている)


 フィオミアの言葉がずしりとジェンスの腹の中に落ちてくる。みじめで泣きたい気分だったのに、涙は一滴も出てこなかった。





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