使い慣れた木剣で素振りをはじめたものの、今日はなかなか集中できない。クエンスのテントが気になって、ついそっちに目をやってしまう。今度こそ集中するぞと思ったとき、視界のすみでテントの布が大きくはためき、肩をそびやかしたハッチェリが出てきた。と、片足があがって、近くの樽をバンッと蹴りつける。
どうしたのだろう。街で起きたことを報告にいっただけなのに、いったい何が?
ジェンスは眉をひそめると、木剣をつかんだまま練兵場を出た。反対の方向からメルクがやってきて、ハッチェリを呼びとめている。ふたりは顔をつきあわせて話しはじめたが、ハッチェリの尖った声だけがジェンスの耳に届いた。
「そりゃあねえだろって俺はいったんだ」
ハッチェリは思い切り顔をしかめながら早口でしゃべっている。
「もっと早くジェンスに教えてやってもよかったんじゃねえのって、俺はともかく自分のこと――」
そしてジェンスに気づき、ハッと口をつぐんだ。
「ジェンス、そこにいたのか。今のはその……あ、メルク? どこに行く?」
「俺は志願者の相手をせにゃならんのだ。ジェンス、練兵場でチェリをのしてやれ」
メルクはハッチェリとジェンスのあいだをすり抜けていってしまった。
「チェリ……今の話……」
「悪ぃ、ジェンス。俺からはいえねぇ。でも近いうち聞くと思う」
ジェンスは木剣をだらりと垂らしたままその場に立ち尽くした。ユーリに出会ったあの日――魔物に襲われたあの日のことが頭をよぎる。無言でピリピリした空気を漂わせるようになった父親のことも。やはり何かが進行しているのだ。それは自分に関わりのあることらしいが、ジェンスは何も知らない。
「……ちっ」
ハッチェリがいまいましそうに首をふった。
「俺ぁこんなのは嫌なんだ。くそ」
「……大丈夫だ、チェリ」
ジェンスは小さく首をふり、木剣をにぎりなおした。
「それより相手してくれ」
「ああ」
ふたりは練兵場の隅で手合わせをはじめた。ひとりで木剣を振るのではなく、相手がいる勝負の方が気が散らないし、そもそもハッチェリはそんな暇をくれない。
打ち合っているうちにジェンスの心からは雑念が消え、向かってくる剣先と自分自身の肉体にのみ集中していた。二度剣をはたきおとされたが、最後の戦いは長く続いた。しまいに双方とも剣で押しあったあげく、一瞬の隙をつかれて地面に投げ出されたのはジェンスの方だ。しかしハッチェリは嬉しそうに笑った。
「おまえ、ほんとに強くなったな」
ジェンスは木剣をひろい、立ち上がって汗をぬぐった。
「それ、実は俺も思ってた」
「生意気いうな。まだまだひよっこ――」
ハッチェリがハッと口をとざした。ジェンスは彼の視線を追ってふりむく。練兵場のすぐ外に団長のクエンスと見知らぬ男が立っている。年はクエンスと同じくらい。油をつけて撫でつけた髪に、みるからに上等の服。
――あの馬の持ち主だろうか。
「お呼びだ」とハッチェリがいった。ジェンスは木剣の先を地面にむけ、団長が近づいてくるのをぼんやりみていた。汗をかいた背中がぶるっとふるえた。
「ジェンス、話がある。来てくれ」とクエンスがいった。
団長のテントはふたつに分かれている。作戦会議にも使われる手前の広い部分は「公」であり、入口はいつも開け放たれて、四六時中誰かしら団員が出入りしている。
ジェンスにとっても幼いころから馴染み深い空間で、テーブルと椅子が置かれ、ジェンスの父親が会計書類を前にクエンスと話し合うのもここだし、商人と取引をするのもここだ。しかしこの空間の奥、遮蔽幕で仕切られた向こう側はクエンスの私室であり、ジェンスは中に入ったことはおろか、幕をあげているのを見たこともなかった。
「ジェンス、奥に入ってくれ。アルコンは人払いを頼む」
クエンスの声に、入口のすぐ近くに立っていたメルクと退魔師が目配せを交わして出ていった。ジェンスはうながされるままテントの奥へ入ったが、ランプの下に父親のトラクスがひっそりと座っていることに気づいてぎょっとした。客人がジェンスのあとに続いて奥へ入り、最後に団長が内側から遮蔽幕を下ろした。そのとたん奇妙な緊張と居心地悪い沈黙があたりを満たし、ジェンスはもぞもぞとあたりをみまわした。
「座ってくれ、ジェンス」とクエンスがいった。
「この方は……」
「直接話してもよろしいかな?」
いきなり客人が口をはさんだ。
「私はフィオミア、自治都市ラコダスを統べるヴィプテ家に仕える者。亡くなったばかりの当主――きみの伯父上、ティターノ・パレ・ヴィプテの遺言を受けてここへ来た」
ジェンスは立ったまま相手をみつめた。
「……おじ……?」
「ジェンス殿、きみの生母はエオーラ・ルティカシア・ヴィプテ、伯父上の妹君だ。伯父上はきみをヴィプテ家に迎え入れるよう遺言して、亡くなった」