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第17章 ユーリ――戦いの場所

 気がつくと腕組みしたフィシスが真上から俺を見下ろしていた。

 すぐに俺の頭に浮かんだのは「前も同じようなことがあった」だ。フィシスはいつもの無表情だったが、雰囲気はいつもにもましてとげとげしかった。怒っているのだ。

 きっと、俺は気を失う前に何かやらかしたにちがいない。思い出せるのは、石像の亀裂から魔物がしみだしてきたことと、ジェンスが襲われると思ったこと。それに俺を飲みこもうとした、真っ黒の牙がずらりとならんだ魔物のあぎと……。


「ジェンスは?」

「またそれか」

 あ、これも前にやったか。フィシスは眉間にしわをよせたが、それでもちゃんと答えてくれた。


「ジェンスは聖療院だ」

「だ、大丈夫なのか?」

「心配無用だ、後遺症の気配もない。だが血の魔導の危険を考慮して、聖療院の宿舎に数日滞在させることになった。おまえたちが騒動を起こす直前に、エオリンの団長から彼の保護について相談を受けていたところだったのだ」

「騒動って――血の魔導ってなに――」


 俺は聞きなれない言葉に顔をしかめ、枕から頭を持ち上げようとした。とたんにガツンと殴られたような頭痛が襲ってきて、フィシスの顔が奇妙なかたちにゆがんだ。反射的にぎゅっと目をとじると、ザザーッという耳障りな音が頭の中に響き渡る。


「じっとしていなさい」

 フィシスの声が聞こえ、俺はゆっくり目をあけた。

「おまえは覚醒の途上にあるのだ」

「覚醒って……俺はとっくに」

「いや、おまえは完全に覚醒していない。だからわたしも見誤ってしまった。そうとわかっていれば樹領を自由に歩き回らせたりしなかったのだが」

 フィシスはふうっと息をついた。

「間に合ったからよかったものの、あやうく大惨事になるところだった」


 フィシスの眉間にはしわがよったままだ。それにしても大惨事って、いったいなんだ? 俺はようやく、自分が何かとんでもないことをしでかしたのかもしれないと思い始めた。

「……俺はいったい何をしたんだ?」

 フィシスは俺が本気なのか疑っているみたいにまじまじとこっちをみて、それからやっと答えてくれた。


「……おまえは聖域に備えられた二重の結界を破ったのだ。ふつうの人間をはじく通常の結界を自分一人だけ通り抜けたのはまだいい。だがおまえはジェンスを結界の中に引き入れようとして、もうひとつの結界まで壊してしまった。そこに血の魔導の標的がいたから、たちまち魔物を引きつけてしまった」

「……え? 待って。どういうことだ?」

 俺はあわてて聞き返す。


「……あの、ジェンスが魔物に襲われたのは俺のせいだってこと、か……? でもヘルレアサの丘は聖域で、魔物は入ってこられないんじゃ?」

「聖域にも弱い場所はある。封じこめの結界を維持するのも神官の役目だが、異能のない者には感知できないようにされている。知らなかったとはいえ、おまえはそこへ平然と踏みこみ、しかも破壊してしまった」


 俺はジェンスが袋小路の前で妙な顔をしていたことを思い出した。

 傾いた石像のある、誰も足を踏み入れない場所。結界だって? 俺は何もする気はなかったし、自分が何をしたのかもわかっていないのに。


「じゃあ血の魔導っていうのは……」

「魔導士の暗殺法だ。ジェンスはヴィプテ家の後継者争いの中心にいて、その標的になっている」

「……ジェンスは生みの母親がヴィプテ家の人だといってた。だから魔物が……」

「それでもおまえが結界を破壊しなければ、何も起きなかった!」

 突然フィシスが声を荒げて、俺はびくっと首をすくめた。


「わたしがすぐ駆けつけられたからよかったものの、そうでなければ何が起きていたか……むろん、結界が崩壊したその場に血の魔導の標的がいるなど、ふつうはありえないことだ。だがユーリ、おまえの中途半端な異能がなければその危険もなかった」


 フィシスは両手をぐっと握りしめ、俺をみすえている。


「いや……おまえの異能はこの数日で変化しているのだ。おまえに潜在する力はわたしが考えていたよりずっと大きい。神官の修行をしなければこの先もきっと同じことが起きる。まだ納得できないか? あの日おまえがジェンスを助けたのは偶然にすぎない。戦いの場所も道具も知らない者に何ができる」


 俺は返す言葉をみつけられないまま黙りこんだ。恥ずかしさと、こんなはずじゃなかったという思いと、ジェンスが無事でよかったという安堵がまざりあって、どうしたらいいのかわからない。


 部屋の中は薄暗く、静かすぎて耳鳴りがする。小さな咳払いが響いて俺はハッと我にかえった。

「……おまえの異能のレベルを誤ったのはわたしの罪だ。わたしがこれまでおかした間違いは他にもたくさんあるが……」


 フィシスの青白い頬はかすかに上気していた。怒りの気配はひっこんで、困惑しているように思えた。

 もしかして、フィシスも俺と同じくらい自分自身を恥じているのだろうか。

 そのとたん妙なとまどいを感じて、俺は何かいわなくちゃいけないと思って、焦った。

「……だ、だけど魔物はフィシスが追い払ったんだろう?」

「それが神官のつとめだ。……今になって、まさかこの丘であの祈りを唱えることになるとは」


 魔物を撃退する祈り? そんなものがあるなら次は――

「それってどんな――」

「知りたければ誓いを立て、おのれの異能を自在に使えようになることだ」

 フィシスの答えはにべもなかった。

「どこへ行こうが、おまえはおまえ自身であることから逃げられない」


 俺はまた黙りこんだ。

 ほんとうのところ、俺はまだ心の底で、こんなつもりじゃなかったと思いたがっていたのだ。でもフィシスのいう通り、俺はライオネラに留まって神官になる以外、道はないのかもしれない。

 修行をはじめれば、俺はこの丘を自分のいるべき場所だと思えるようになるのだろうか?


「そう……逃げられないといえば、ジェンスの件だが」

 フィシスは黙りこくった俺をそのままに話を続けた。

「血の魔導は最悪の禁術のひとつだ。われわれはかねてから魔導士を取り締まってきたが、これも早急に手をうつことになる。魔導士を使えば名家の跡取りを意のままにできるといった考えは、帝国秩序を乱す大きな原因になるからな。ラコダス周辺の神殿にはすでに知らせを送ってある」


 名家の跡取り。フィシスの言葉がずしりと胸に刺さるような気がした。ジェンスの生みの親はそんな立場なのか。

 何もいわない俺をどう思ったのか、フィシスはすこし間をおいてつけくわえた。

「……おまえの友だちを魔物の餌食などしないから、安心しなさい」


 いつも淡々と冷静なフィシスなのに――しかもさっきまで怒り狂っていたのに――まるで俺をなぐさめてくれているみたいだ。だけど俺はちっともうれしくなかったし、自分が情けなかった。


 神殿にはいろいろな手段がある。血の魔導とやらにも対処のしようがある。俺の異能は何の役にも立たなかった。


「ジェンスは……ラコダスに行ってしまうのかな」

「ふつうの人間ならそうだろう。傭兵として商人の護衛や盗賊狩りに一生を費やすか、ラコダスで権力の座を求めるか、くらべるまでもない。……とはいえ、人生の意味を何に見い出すのかは各人が決めることだ。おまえが気にすることではない」


 フィシスの言葉は俺をうちのめしたが、俺をなぐさめてくれているような気もした。これだけははっきりしていた。神官の修行が必要だというフィシスの言葉を、俺はもう否定できなかった。





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