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第20章 ジェンス――唯一の選択(前編)

 ――自治都市ラコダス。

 工芸品のように美しい街並みを眺めながら大通りをそぞろ歩くと、花々と彫刻に飾られた大きな広場へたどりつく。北側を占める壮麗な建物はラコダスの大議場で、西側は市庁舎と商工ギルド、南側の大階段は〈根〉の神殿へ通じている。階段の両脇には世界樹の枝から分かれた聖なる木が枝を伸ばしている。ヘルレアサの丘から巡礼が持ち帰った枝がここで芽吹き、根を生やしたのだ。


 木陰に四人の人物が佇んでいた。


 墨色のマントで全身を覆った彼らは広場にいる他の人々と明らかに異なる空気を発している。うち二人はぶ厚い胸板やがっしりした手足から、戦士、あるいは残りの二人の護衛にちがいないと見当がつく。他の二人は背丈こそ差があるものの、細身の体型やピンとのびた姿勢、それにいわくいいがたい静謐な雰囲気がよく似ている。


「遅いな。何を手間取っている」

 四人の中でもっとも背が高く大柄な男がつぶやくと、もっとも小柄な男が追い打ちをかけるようにいった。

「そもそも神殿でいったい何をやってるんだ? フィシス殿の指示は、呪物を破壊し魔導士へ依頼した証拠を集めるだけでよかったはず」

 柔和な顔立ちに似合わない険悪な口調である。すると、向かいあっていた痩身の男が気弱な声で返した。

「その通りだが、ノラン殿が魔導士の情報も集めるよう指示を……有力都市の神殿には予想外の記録が残っていることもある。ギラファティ殿がお望みなのだ」

「なるほど、だからこの任務はこんなに贅沢なんだな」


 小柄な男は皮肉な口調を隠そうとしない。

「双翼を三組も投入するとはね。ノラン殿は点数稼ぎの技がお得意だ」

「……口を慎まないか。白を身につけていなくとも、ヘルレアサの丘の神官なのだぞ」

 痩せた男がたしなめたとき、それまで黙っていた四人目が「来たぞ」といった。

 四人はいっせいに大階段を見上げ、同じ墨色のマントを羽織った二人連れが駆け下りてくるのをみとめた。片割れのマントの下には純白の長衣が見え隠れしている。

「遅くなってすまない。大神殿から緊急の知らせが届いたのだ。例の少年がヴィプテの継承権を放棄すると」





 同じころ、ライオネラの門の外に広がる傭兵団エオリンの駐屯地では、フィオミアが血相を変えてクエンスのテントに駆けこんでいた。フィオミアは他の団員のあいだにジェンスが座っているのをみるなり、その前につかつかと詰め寄っていく。


「ジェンス殿、なぜだ! なぜ、ヴィプテ家の嗣子となる栄誉を捨てて大神殿へ加わるなどと? まさかきみひとりで決めたわけではあるまい! 誰にそんな考えを吹きこまれた? ジョセフォアの手の者か?」


 狼狽するフィオミアとは対照的に、ジェンスは十六歳に似つかわしくない冷静な空気を漂わせている。

 フィオミアは違和感を覚えた。この少年と最初に会った時はもっと純朴な印象を受けたのだが、自分の出自を知って用心深くなったのか。


 ラコダスへ行けば傭兵団で育った田舎者という評判が立つのは避けられないが、フィオミアは世慣れていない方がいいと思っていた。自分にとってもその方が都合がいい。どうせしばらく自分が後見に立つことになるのだ。

 ティターノに忠誠を誓い、遺言の通りにするつもりだったとはいえ、傭兵団で育った少年をするりと当主に据えられるほどラコダスの評議会も、他の名家も甘くない。華麗な装飾の奥には蛇がひそんでいる。


 フィオミアは笑顔をとりつくろった。

「いや、きみの気持ちも多少はわかる。大神殿に恩返しをしたいと思ったのだろう? だが神殿兵になるとは現世の権利を捨てることだ。異能もないのにそこまでする必要はないし、ヴィプテ家はラコダスの神殿に毎年寄進を……」


 フィオミアの長広舌にもジェンスはとりたてて反応を示さず、静かにこちらをみているだけだ。フィオミアは奇妙な焦りを感じてテントの中を見回したが、団長のクエンスも他の団員も平然としている。またジェンスに視線を戻すと、十六歳の少年は落ち着いた声でいった。


「フィオミア殿、生みの親を教えてくれたあなたには深く感謝している。あなたのおかげでわかったようなものだ。俺には他に選ぶべき道があると」


 フィオミアはジェンスの眸をのぞきこみ、思惑がはずれたことを悟った。ジョセフォアがティターノのあとを継げば、自分の居場所はヴィプテ家にはなくなる。ティターノの元で満喫していた優雅な暮らしもこれで終わりだ。


 ヴィプテ家の血を引いているとはいえ、野卑な傭兵団で育ったくせに生意気な子供だ、とフィオミアは思った。その心は表情や態度にあらわれていたが、フィオミア自身は気づくことはなかった。エオリンの団員の敏い目がそれを決して見逃さないということも。




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