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第21章 ユーリ――手紙の宛先(前編)

 ――聞け、大いなる枝のささやきよ。

 東より昇る陽に、いま命の鼓動は応える。

 世界樹よ、そなたの枝葉に、我らの祈りを編ませたまえ。


 石のテラスの中央で神官が祈りを捧げている。俺は神官見習いの列のいちばん後ろに立ち、決められた通りに唱和する。


「世界樹よ、そなたの枝葉に、我らの祈りを編ませたまえ」


 組み合わせられた神官の手から光の輪が宙へ放たれる。その瞬間は白いが、次にいくつかの色の輪に分かれる――今日は赤、橙、それに緑。輪が世界樹へ昇っていくと、今度は世界樹の方から同じ色の糸が降りてくる。糸はそれぞれの色の輪に巻きつき、俺たちの声に合わせ、組紐を編むようにくるくると動きだす。宙に色糸の重なりをつくりだすのだ。


 根より上りし力を、枝へ、葉へ、

 葉より滴る恵みを、我らの手へと受け取らせたまえ。

 ――陽昇の時、我ら世界樹の祝福を讃えん。


「陽昇の時、我ら世界樹の祝福を讃えん…」

 最後の唱和が石のテラスに響いた瞬間、世界樹の糸は白く輝き、空中に四散した。


 これが世界樹の「恵み」で、色糸のような重なりが〈綾〉だ。

 呼び出せるのは異能をもつ神官だけで、色はこの恵みの種類を示している。たとえば赤は始まり、橙は成長、緑は癒し…といった具合。そして、どんな〈綾〉を呼び出すかを決めるのが〈型〉だ。


 こんなにはっきり鮮やかな色をしているのに、みんながこの色を見ているわけじゃないということが、俺はまだときどき信じられない。でも俺だって、ヘルレアサの丘へ来てから毎日のように同じ儀式を見ていたのに、ついこの前まではまったく見えなかった。

 フィシスによれば、これも俺の異能が完全に覚醒したためらしい。


 儀式がおわると巡礼はぞろぞろ動きはじめ、俺はフィシスのところへ急いだ。すこしでもぐずぐずしているとすごい剣幕で怒られるので、他の見習いを追い越して早足で歩く。フィシスは俺を見ると黙ってうなずき、大神殿の書庫へ向かった。


 書庫は大きくて埃っぽい倉庫のような部屋で、下級神官や侍者がうろうろしている。ただしフィシスが俺を連れていくのはその隣の小さな部屋で、最近の俺は毎日、すくなくとも午前中はこの部屋に閉じこめられていた。


「今日は色刻礼しきこくれいの手順を書き取るのだ、ユーリ」

 フィシスは胸の前で腕を組んだままいった。

「回数はそうだな……最低五回ずつ」

「五回!?」

 思わずオウム返しにそういってしまった俺をフィシスはじろりとみた。

「その通りだ。字の練習にもなるだろう」

「……はい」

「わたしは会議がはじまるまで書庫にいる。会議の前に一度見に来る」

「……はい」


 おとなしく筆記の道具を机にならべると、フィシスはうなずいて出ていった。俺は椅子にすわって部屋をぐるりと見渡した。左右の壁は真っ黒に塗られていて、その上に白墨でびっしり文字が書かれている。


 俺に〈綾〉が見えているとわかったあと、フィシスは〈型〉の練習をさせるのをやめて、この部屋につれてきた。そして「異能を認められて大神殿へ来る子供たちは、故郷で基本的なことを教わっているものだ。おまえはちがうだろうから、わたしが一から説明する」といい、白墨チョークを手に取った。

 つまりいま、左右の壁に書かれているのは俺がここでフィシスに教わったことのひとつで、さっき参列していた「色刻礼」の手順だ。これは毎日定刻に行われる祈りの儀式で、夜明けから数えて昼間は三回、日没以降は二回行われる。


 ヘルレアサの丘へ来てからずいぶんたつのに俺は名前も知らなかった。「色刻礼」にはそれぞれ色の名前がついている――たとえば夜明けの祈りは「赫礼かくれい」で、朝の祈りは「橙礼とうれい」だとか。それに、代表して祈りを捧げる当番の神官を「綾官りょうかん」と呼ぶ、ということも知らなかった。


 ふつうなら、異能を示した子供はその地方の神殿でこれらを教わってくるらしい。道理で彼らの話が俺にとってちんぷんかんぷんだったわけだ。俺はすこし恥ずかしかったが、フィシスは何ひとつ気にした様子もなく、そのかわりこういった。

「教わらなかったことを知らないのは当たり前だ。しかしひとたび教わったからには、覚えるまで繰り返すように」


 そうはいっても、俺は神官が唱える祈りの言葉なら耳で聞いてぜんぶ覚えていたし、そらんじることもできた。すると「耳で覚えるのではない。書けなければだめだ」と返された。俺は読み書きならできる、子供のころ父親から教わったのだとフィシスに思い出させた。でもフィシスがくれた紙にペンで白墨の文字を書き写そうとしたら、その線はみみずがのたくったみたいになってしまった。


「……おまえには書き取りの練習が必要だな」

 紙をのぞきこんだフィシスは表情をまったく変えずにそういった。そして「わたしに用があるときは、ここで出された課題を片づけるのだ」と付け加えた。




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