「なんと、ヘルレアサの丘の神官様ですと……! このように辺鄙な地へはるばるお越しいただけるとは……もっとも近い神殿からもめったに祝福がいただけませんのに……!」
幸いなことに、信じてもらえないどころか、俺とジェンスは大歓迎を受けることになった。
最初に会った村人は、俺とジェンスが神殿から来たと告げると、あわてて広場の奥の大きな家へ駆けだし、村長と長老を連れてきた。白髪に白髭、細い目の長老は喜びの声をあげるだけに留まらず、感激で涙ぐみそうだったし、それを聞いた他の村人も、汚い旅装の俺たちの前でいっせいに頭を垂れる。
俺はいそいでフードをとった。ほどけた髪が肩から背中に流れ落ちると、すっと息をのむ気配がした。髪色のせいにちがいない。イスキグア出身の父から受けついだ金髪は、故郷のシャロヴィでは悪運の元だった。だが〈双翼〉の神官になれば、人々の反応は真逆になる。
「わたしは〈双翼〉の神官、名はユーリと申します。この者は神殿兵のジェンス。大神殿の命に従い、聖なる分枝を授けに参りました。世界樹の恵みと共にあらんことを……」
俺はすっかり慣れた口上をすらすらと述べ立てる。見知らぬ人々の前でこれをやっているときは、神官というより旅芸人になったような気がする。ジェンスはともかくフィシスには絶対にいえないことだが、大神殿でもたまにそう思っていた。
「〈双翼〉! あの金の翼の?」
またも白髪白髭の長老がおいおいと呻いた。
「〈双翼〉は大神殿の特別な位であらせられるのだ。大神官様の直接の命により、強大な魔物を退け、浄化されるお力の持ち主。わしはヘルレアサの丘へ巡礼に赴いたとき、行列でその翼を見た……! こんな辺境でお姿を見れるとはなんと、もったいないもったいない……」
「みなさん、顔を上げてください」
俺はにっこり笑っていった。
「わたしはただの人間です。みなさんに世界樹の恵みを媒介できる力があるというだけの者にすぎません」
微笑みを浮かべたまま、ぐるりと周囲を見回す。顔や手足に腫れ物のある者や、骨と皮のように痩せた者はいない。服装は質素だがぼろではなかった。俺は内心ほっとした。辺境ではあるが、世界樹の恵みはいきわたっているようだ。
「
「もちろん、もちろんです!」
たちまち、村人全員にかつがれんばかりの勢いで、俺たちは村長の家へ案内された。
「この村がはじまってから、こんな光栄なことがあったかどうか……狭い所ではありますが、どうかこの部屋をお使いください。ただいま夕餉の仕度中でございます」
「いや、その前にきっと湯あみをなさりたいはずだ」
村長と、村長の妻らしき女性が口々にそういった。湯あみという言葉に心が踊ったが、俺はできるだけ平静な顔をつくった。
「ありがとう。ですが最初に、水を満たした甕を用意していただけませんか」
そういってジェンスをふりむくと、もう鞍袋が差し出されている。俺は中に手をつっこんだ。
「どうかこれを、その甕に――」
鞍袋からするりと引き抜いたのは、一見細い木の棒だ。しかし俺が力をこめたとたん、その先から細く短い木の枝が伸び、緑の節が分かれて、青々と葉が茂る。
おおおお……と人々がどよめいた。村長の妻が恐れおののいたように膝をつく。
「まさか、これは聖なる木の……」
「も、もしかしてあなた様は神子様でいらっしゃるのですか!」
いつのまにか白髪の長老が戸口にいて、俺と木の枝を交互に見て叫んだ。
「先月やってきた商人が、大神官様の話をしていきました。大神官ギラファティ様は、神子様の出現を心待ちにしておられるとか……」
「いいえ。わたしが神子なんて、とんでもない」
俺はにっこり笑って答えた。そろそろ顔がくたびれてきた。
「神子とは、枯れた根に力の綾を蘇らせる、特別な異能の持ち主のこと。わたしは一介の神官にすぎません。これはただ、聖なる枝に内在する力を引き出しただけのことです。さあ、どうかこの枝を水甕に……」
俺は緑の枝を村長の妻へ差し出した。するとその時、戸口のむこうから騒々しい声が響いた。
「村長、タリンがいない! 森から戻ってこないんだ!」
声の主は戸口から顔を突き出し、俺を見てハッと口を閉じた。いつのまにか戸口の周りには村人が数人集まっていたらしく、彼らのひそひそ声がそのあとに続く。
「タリンが? まさか……」
「もう夜だぞ」
村長の顔が一瞬で引き締まり、暗い色を帯びる。知らせに来た男はその子供の親なのだろうか、困惑した顔で村長に呼びかけた。
「前に話したじゃないか、次の馬車で行かせるはずだったんだ! どうしたらいい……」
「待て、黙っていろ」
鋭い声で男を止めると、村長は俺とジェンスに向き直った。
「お騒がせして申し訳ありません。食事の用意ができましたらお呼びしますので、どうぞここでお待ちを」
俺はかまわず聞き返した。
「森へ行った子供が戻ってこないと?」
村人がさっと静まり返った。村長は妙に落ち着かない目で、ちらちらと戸口に目をやった。
「はい、ええ。そのようで……」
どんな土地でも、夜の森は魔物がもっともあらわれやすい場所だ。ふつうの人間はそんなところへ足を踏み入れたいとは思わない。だが子供がいなくなったとなれば、話は別だ。
「森へ探しに行くのですか?」
「そうですな……しかし……暗くなっては、もう……」
村長はもじもじと煮え切らない返事をした。俺はジェンスと目を見かわした。
「村長殿、我々が行きましょう」
「え?」
「わたしなら夜の闇を見通して、その子を探すことができます。地を這う根にたずねれば、すぐ居場所もわかるはず――」
ところが村長は俺に先を続けさせなかった。文字通り震えあがって「まさか!」と叫んだのだ。
「そんなことは許されません! 村を祝福に訪れた神官様をあんなところへ行かせるなど」
「そうだ! それにあの子は……」
村人たちがまたざわめく。するとジェンスがバサッと音を立ててマントを脱いだ。腰の剣がガチャリと音を立て、堂々とした兵士の体があらわになる。
村人はぎょっとした顔をして、いっせいに口を閉ざした。俺は村長にうなずきかけた。
「ご心配にはおよびません。その子をみつけて戻ってきたら、食事と、それに湯をつかわせていただけるとありがたいのですが」
ジェンスが俺の隣に立った。がっしりした体に肩を触れさせながら、俺はやっと最後の口上を述べおわる。
「――我々は〈双翼〉。このような時こそ、我らの出番です」