「あんのくそじじい、いいかげんにしろよ!」
俺は悪態をつきながら長衣を頭から脱ぎ捨て、下着一枚になった。野宿が何日も続いたあとだから、藁をつめたベッドは魅力的だが、それ以上に腹が立ってたまらない。
「ユーリ」
「こんな村に聖なる木なんか必要か? くそが」
「落ちつけ。明日がある」
ジェンスがそういって俺の長衣を拾いあげると、ほこりを払って壁の釘にかけた。俺は履物をほうりだしてベッドに転がった。敷布からは藁のいい匂いがして、すぐにでもぐっすり眠れそうだが、それが逆に恨めしい。
俺は片頬を敷布にくっつけ、向かいのベッドに座っているジェンスを睨んだ。
「タリンは……大丈夫かな……」
ジェンスは俺がちらかした履物をベッドのあいだに並べている。
「大丈夫だ。おまえの結界で守られているんだから」
「ここの連中はご馳走を食べているのに、俺は小枝しか置いてこれなかったんだぞ」
「何もないよりましだ。それにあの小枝は意外に腹がふくれる」
「まあ、そうだけどさ……手品みたいなもんだからな」
ジェンスは腕を組んで俺を見下ろした。
「もう眠るんだ。祈りの儀式は疲れるだろう?」
「大丈夫だって。俺はまだ、フィシスみたいな年寄りじゃない」
師匠がいないのをいいことに、俺は本人を前にすれば絶対口にできないことをつぶやく。もしかしたら、ヘルレアサの丘でくしゃみをしているかもしれないが。俺はベッドに転がって伸びをした。
「おまえも寝ろよ、ジェンス」
「ああ」
ジェンスは服を脱ぎかけたが、ふいに動きを止めて「誰だ?」といった。
「誰?」
俺が聞き返すと、無言で立ち上がって戸口へ行く。カタンと音を立てて戸が開くと、隙間から顔をのぞかせたのは、夕食の席で見かけた少年だった。
たしかネイロスといったか。俺はベッドの上で体を起こした。
「どうした、少年? 俺たちに用か?」
猫かぶり神官の口調をすっかり忘れていたが、相手は気にしていないようだ。顔は硬くこわばって、いまにも爆発しそうな気配がある。ジェンスは少年を中に入れると、戸をきっちり閉めた。
「何の用だ」
「……おれは長老の話が本当なのか、知りたいんだ。タリンは本当に取り替え子だったのか?」
俺はその顔をじっくり眺めた。本音ではそんな馬鹿なことがあるかと答えたかったが、今の時点ではうかつなことはいえない。やがて、少年は沈黙に耐えられないように肩をゆすると、右手の爪を噛みはじめた。
「おまえ、タリンの何だ?」
少年は爪を噛むのをやめて、俺を睨んだ。
「おれはネイロス。タリンとは、その……」
そのまま言葉に詰まって黙りこむ。ジェンスがぼそっと助け舟を出した。
「友だち?」
「ああ、そう、友だちだ。そうだよ! あんたたち、あの髪をどこでみつけたんだ? タリンは本当に死んだのか? 死んだのならなんで長老もおやじも、あんなにニコニコして…」
「答えてほしければ、落ちつけ」
俺は戸口に立っているジェンスに目配せすると、ネイロスの前に立って体をかがめた。ネイロスの爪はすっかりぎざぎざになっている。
「おまえ、秘密を守れるか?」
「秘密?」
「守ると約束するなら教えてやる」
ネイロスの喉がごくりと下がった。
「約束する」
「根に誓うか?」
「誓うよ!」
「それなら順番に答えるぞ。人間は人間、魔物は魔物だ。タリンは死んでいないが、村には戻れない」
ネイロスは唇を半開きにしたまま、俺の言葉の意味を考えていた。また喉がごくりと下がる。
「村に戻れないというのは……」
「見当はついているんだろう?」
少年はこくりとうなずく。
「……死んでいないのなら、いいよ」
俺はネイロスの肩をそっと叩いた。
「そろそろ行け。約束を忘れるなよ」
ジェンスが細く開けた戸口をネイロスはすりぬけたが、そのあいだも右手の爪を噛んでいた。ジェンスが戸口につっかい棒をかましているあいだに俺はベッドに横になったが、たちまちひどい眠気に襲われた。森で結界を張ったせいで消耗したのだ。目を閉じたその瞬間には、俺はもう眠りこんでいた。ジェンスが戻ってきたことにも気づかなかった。