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第4章 白い根の夢(前編)


   *


 気がつくと俺は、地面にずらりとドアが埋めこまれた、奇妙な大地に立っていた。ドアはどれも同じ大きさで、古く、錆が浮き出していて、なかば土に埋もれている。


 俺はしゃがんで、そのひとつに触れる。把手も錆だらけで、ざらざらした冷たい感触になぜか背筋がぞっとした。思い切ってあけてみると、その先には誰もいない、小さな部屋が広がっていた。


 探し物でもしているように、俺はドアを次々に開けていった。かならず小さな部屋が現れるが、壁はさまざまな色に塗られて、同じ色の部屋はふたつとない。そしてどの部屋も空っぽだ。


 ふと気がつくと、目の前にあるドアが最後のひとつになっていた。

 俺はドアを開いた。その先にあらわれた部屋の中には――

 何者かが、俺に背中を向けて立っていた。


 ――おまえ、こんなところにいたのか?


 その瞬間、顔も見えない相手に対して、俺は理由もなくそう思った。しかもなぜか、その背中に強烈な懐かしさを感じていたのだ。俺はその人の顔が見たかった。そんなことをすれば、何か恐ろしいことがはじまってしまうとわかっていたのに、それでも見たかった。

 俺は手を伸ばした。


 指先が触れたとたん、それはもろい土でできているかのようにあっけなく崩れた。骨だけになった指が俺の手にからみついてくる。振り払おうとすると、それは白い根の束に変わり、俺の腕をとらえて下へ、地中へ引きずりこもうとし――



   *



「――!」


 俺は声にならない叫びをあげながらベッドに起き上がって、上にかけられていた毛布をはねとばした。自分がどこにいるのかすっかり忘れて、怯えながら周囲を見回す。西を向いた小さな窓から月明かりが差しこんでいる。隣のベッドで眠っているジェンスの輪郭がぼんやりと見えた。


 夢。

 今のは夢だ。とても怖かったけれど、ただの夢……。


 自分にそういいきかせるうちに、夢の記憶は薄れていき、何がそんなに怖かったのか、わからなくなってしまった。


 これはきっと、いつものやつだ。


 俺は重ねて自分にいいきかせた。異能に覚醒してからときおり見る夢、俺の中にある異界の魂の、転生する前の記憶だ。そのせいか、この夢の中で俺はいつもどこかと感じている。


 ――でも、さっきのように、恐怖で飛び起きてしまうような夢なんて、これまで一度もなかったのでは?


 俺は隣のベッドにそうっと身を乗り出して、ジェンスが眠っているのをたしかめた。

〈双翼〉に任命されて、ジェンスと行動を共にするようになってから、こんなことがあっただろうか? 怖い夢を見て飛び起きたなんて、ジェンスに知られるのはちょっと恥ずかしい。ひさしぶりにまともな寝床にありついたのに、起こしてしまうのもいやだ。


 それにフィシスは昔から、異界の魂の記憶については他の人間に話さないよう、しつこく俺にいいきかせていた。大神官であっても、と釘を刺されたのは一度ではない。例外は聖療院のリーズだけだった。


 修習生の寮に住んでいたころ、俺は夜中に夢遊状態で廊下をさまよい歩いていたことがある。寮長だったリーズはそのたびに俺を捕まえて、どんな夢を見たのか聞き出そうとした。自分が七歳で異能をあらわし、大神殿に連れてこられた時の話をしてくれたこともあった。やがて俺は夜中にうろつくことはなくなって、異界の夢をみることも減った。夢の内容もまったく覚えていないが、リーズに話せてほっとしたことは覚えている。


 ずっとあとになって、フィシスが俺に気をつけるよう、わざわざリーズに頼んでいたことがわかった。


 そういえば今回の旅に出る前、俺はリーズに会いに聖療院へ行ったのだが、どこにも姿をみかけなかった。下級神官は、大神殿のさまざまな部署や、地方の神殿のあいだで異動をくりかえすのが普通だが、リーズはずっと聖療院の担当だったから、俺はちょっと不思議に思った。今回はいつ戻れるのかまるでわからない任務だったから、挨拶くらいしたかったのに、急に出発が決まったせいで、フィシスに聞くこともできなかった。


 もっとも、あわただしく旅立つことになった原因は俺にあったから、誰に文句をいうこともできなかったのだが。


 俺はまた横になると、そっと毛布をひっぱりあげた。


 〈双翼〉の任務のなかには、依頼に応じて魔物を浄化する以外に、魔導士がからむ事件の調査をしたり、解決する、というものもある。この辺境めぐりの旅に出る前に俺たちが担当していたのも、そのたぐいのものだった。大神殿が長年追っている悪辣な魔導士の情報を得たと、地方の神官から通報があった。

 ところが俺は、赴いた神殿で、その神官が祈りの義務を果たしていないことに気づいてしまった。ろくに〈綾〉を引き出す力もないボンクラだったのに、上級神官としてその神殿のトップに立っていたのだ。


 それまでだって、力がないのに生まれやコネで昇進している神官が時々いることを知らなかったわけじゃない。下級神官に昇格できなかった見習いは、神官職以外の役割をあたえられるはずなのに、お目こぼしのように神官になるやつが時々いた。でも上級神官にそんなのがいるとは思っていなかったし、たまたま立ち会った儀式があんまりだったせいで、俺は察してしまったのだ。

 ――今回俺たちが呼ばれた原因となった魔導士――その神官よりはるかに力が強いにちがいない魔導士が、そいつに尻尾を掴まれてしまったのは、その神殿の聖なる木のありさまがひどかったせいだろう、と。儀式のときに俺が見た〈綾〉には、上級者が整えた痕跡が残っていた。


 どうも俺はこんな時、うまく立ち回るということが苦手だ。俺もその魔導士と同様に、ボンクラの祈りに我慢できなかった。しかも本人に向かって、魔導士の方がましだと口走ってしまった。


 ヘルレアサの丘に戻ってから知ったことだが、そいつは帝国貴族の生まれで、大神殿はその貴族から毎年高額の寄進を受けていた。しかも高位神官のノリンのお気に入りで、ノリンは大神官ギラファティのいちばんの側近ときている。


 というわけでフィシスの機嫌は最悪だった。俺たちはほとんど間も置かず、新たな任務のために呼び出された。

「おまえたちは運がいい」

 フィシスは開口一番そういったが、眉間に皺をよせたその顔をみると、まったくそうは思えない。


「二日前、大神官殿が神子出現の兆しを感じたといわれた。大神官殿はこれまで何度も同様の話をされてきたが、今回こそは真正かもしれぬ。わたしはこの機会に、おまえたちに神子探索を命ずる。外部の者にはそれと知られないよう、世界樹の祝福を届けながら、神子と思しき者を探すのだ」


 ジェンスは俺の隣で表情も変えずにいた。でも俺はつい口を開いてしまった。

「……それはつまり、今回俺が機嫌をそこねた連中のほとぼりが冷めるまで、戻ってくるなということですか?」


 フィシスの眉間の皺はさらに深くなった。


「わかっているなら口に出すな、ユーリ。神殿の人間がいない辺境の方が、おまえたちは人の役に立てるだろう」




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