神殿の人間がいない辺境――たしかに俺はそうかもしれないが、ジェンスはどうなんだろう?
寝返りをうつと、壁にかけた儀式用の長衣とマントが目に入った。ジェンスが寝る前に吊るしておいてくれたのだ。
ジェンスは俺よりずっと器用で、しかもよく気がつく。それとも俺が不器用すぎるのか。俺たちが〈双翼〉に任命された日も、あいつは俺の世話をせっせとやいていたっけ。
まぶたの裏にうかんだのは、大神殿に残してきた儀式用のサンダルだ。せいぜい年に一度か二度、大神官がお出ましになる儀式のときだけ履くものだが、俺が大の苦手としていたやつ。長い革紐を結ぶのに、俺は毎度苦労していた。あの日も手こずっていたらジェンスがやってきて、従者みたいにひざまずいて、さっさと結んでしまった。俺はちょっと恥ずかしくなって、新品だから革が固いとか、いらぬ言い訳をしたのだった。
おかげであの時はフィシスに文句をいわれることもなく、爪をちゃんと磨いていることも褒められた。しかしこれもジェンスが前の晩に、爪磨き用のなめし皮を持ってきてくれたおかげだった。
フィシスは――というより大神殿の儀式は、身だしなみに本当にうるさいのだ。俺はつい、爪を伸ばしていようが髪がボサボサだろうが、正しく祈れば世界樹の恵みは引き出せるのにと思ってしまうのだが、大神殿では実より名の方が重要だ。
巡礼の前に立つ神官は、いつも染みひとつない衣を着て、洗い立てみたいなピカピカの様子でいなくてはならない。大神官ギラファティはその上で神々しく輝き、感心した巡礼はもっと大神殿に寄進したくなる、というわけだ。
とはいえ、これ自体はそれほど悪いことでもない。
俺はもう一度寝返りをうって、暗い天井をみつめた。大神官が皇帝や貴族と渡り合うためにどんな策をめぐらせていようが、大神官の寵と権力をめぐって高位神官が争っていようが、俺たち神官が世界樹の恵みを全土にいきわたらせるべく、努力していることは事実なのだから。それに俺は実際のところ、ジェンスとおそろいのマントが着れることが嬉しいのだし……。
俺はまたうとうとしはじめた。夢うつつの意識の中で、フィシスがいつもの説教をはじめている。
「ユーリ、おまえ以上に〈綾〉が見える人間は丘にはいない。だからといってひけらかしてはならぬ」
師匠、俺はいつだって、そんなつもりはないんです。それに、夜の森にひとりでいる子供を守るために、結界を張るのは当然でしょう?
「そのあとはどうするのだ?」
明日考えます。
そうだろう、ジェンス?
俺は隣にいるはずの男を見上げる。頭にぽんと手がかぶせられる。さらさらと髪を撫でられて、とても気持ちがいい……。
*
隣のベッドから静かな寝息が響いてきた。ユーリが眠ったと確信してから、ジェンスはむくりと体を起こした。
傭兵団で生まれ育ったジェンスは物音や異変に敏感だ。ユーリが突然起き上がったときも、同時に目を覚ましていた。自分が起きないか気にしているとわかったので、眠ったふりをしていたのである。
ユーリは悪い夢でも見たのだろうか。それとも、森に残してきたタリンのことが気になっているのか?
ジェンスはユーリの寝顔を眺めた。今日は相当疲れているはずだ。単なる旅の疲労ではなく、森で起きた出来事のために。
神殿の外で力を使うと神官の消耗はより激しくなる。ところが本人にその自覚はない――これは〈双翼〉に任命される前、フィシスに教えられたことだった。
ユーリのベッドの方へ身を乗り出すと、足先が毛布からにょきっと突き出していた。ジェンスはベッドから降りると、ユーリのベッドの足もとへ行き、丸まった毛布の裾を広げて足先を隠した。それからベッドの頭の方へ行って、枕の上に散らばった金髪を眺めた。
今はもう、ぐっすり眠っているようだ。昼間、生き生きと輝いていた青い目も、まぶたのむこうに隠されている。
ジェンスは体をかがめると、唇でそっとユーリの髪に触れた。規則正しい呼吸の音をたしかめてから、静かに自分のベッドに戻った。