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第5章 黒髪黒目の少年(前編)

「根より上りし力を、枝へ、葉へ、

 葉より滴る恵みを、我らの手へと受け取らせたまえ。

陽昇の時、世界樹より分かたれしこの枝が……」


 さて、皆の者。クライマックスがはじまるぞ。俺は深く呼吸をすると、声を張り上げる。

「……この枝が、この地とひとつにならんことを!」


 左手で〈型〉を作ったまま、右手をすぐそこの水甕に伸ばす。円を描いて取り囲む村人たちに、一夜にして伸び茂った茎と葉がはっきり見えるよう、枝を高々と一度掲げてから、左手と打ち合わせる。さらに何回も手を打ち合わせ、くるりくるりと回りながら、円弧を描いて動いていく。


 各地の神殿に植えられている「聖なる木」は、ヘルレアサの丘にそびえる世界樹から分けられたものだ。俺の手にある枝は、この村からいちばん近い神殿の木から切り落としたものである。


 本来なら分枝の祝福の儀式は神官一人で行うものではない。いちばん小さな神殿ですら、補佐役を加えた二人で行う。だから俺が今やっているのは一人用にアレンジされた〈型〉で、これは円弧を描いて力を増幅するようになっている。


 くるりくるり。回るたびに、白い衣のすそが丸く広がった。きっと村人には舞踊のように見えているにちがいない。〈型〉の種本である『構理書』の作者は、わざとそうしたのではないかと思えるふしもある。神官業は旅芸人みたいなもの、というわけで。


 でも、何度もくるくる回っていると、そんな意識は消えてなくなる。村人の顔が白い霧の中に溶け、自分がどちらを向いているのかもわからなくなる。存在するのは自分の呼吸と、地を踏む足と、握りしめた枝の感触だけだ。


 何も止めるものがなければ、俺はいずれバラバラになって、地中へ吸いこまれてしまうのでは?


 俺はまばたきする。円弧の終点にジェンスが立って、俺を見ている。そろそろだ。ジェンスがいればその時がわかる。

 俺は耕した土に向き直ると、両手で枝をかまえ、突き立てた。


「枝よ、恵みよ!」


 高らかに宣言したその瞬間、地中から恵みが集まり、真っ白の〈綾〉が葉からあふれた。俺は両手をまっすぐに伸ばし、ぶつぶつと口の中で祈りを唱えながら〈綾〉を整えていく。活力の赤、成長の橙と再生産の黄、調和の緑と青……。


 村人の誰ひとりとして俺が何をやっているのかわかっていないが、土に刺した枝はすでに俺の背丈まで伸びている。神殿が行う奇跡の印はこれだけで十分だ。旅芸人・神官の章は、これにて終了。





 儀式が終わるとほとんどの村人は自分の仕事に戻っていった。最後に残ったのは長老と村長と、俺の興行に感激したという男が一人だけだ。


「いつか大神殿へ巡礼に参ります! 世界樹がそびえるさまをこの目で見ます!」

 俺はまだ猫をかぶったまま、にっこり微笑んで要求を伝えた。

「我々は出発しなければなりません。身支度をしますので、糧食の補給をお願いしますね」

「はい、ただいま!」


 村長がへこへこと頭を下げ、俺はジェンスと部屋にひっこむ。儀式用の長衣のボタンをジェンスが素早く外して、脱いだあとは畳んでくれる。


 俺はいつもの旅装に着替えたが、その前に立ち眩みをこらえなければならなかった。儀式の直後はよくあることだ。何事もなければ昼食まで居座ってご馳走してもらうところだが、今日はそうはいかない。


「腹が減った……早くここを出たい」

 小声でそうぼやいたとき、戸が叩かれた。

「神官様、お伺いしたいことが」


 長老の声だ。俺はジェンスと目を見かわし、ジェンスが戸を開けにいった。戸口に立った長老は、無表情のジェンスに一瞬気圧されたようだった。俺は猫をかぶりなおして、ジェンスの背後から顔をのぞかせた。

「いかがなさいましたか?」


 猫はかぶっていたものの、苛立ちが顔に出ていたのかもしれない。長老はやけにおどおどとして、口ごもった。

「その……森へ行かれるおつもりがあるのかと思いまして……」

「このあと立ち寄り、浄化をほどこします」


 俺は長老の目をのぞきこんでいった。自分でも意外なほど冷たい声が出た。

「昨夜はお話しませんでしたが、裂け目の兆しがありました。あなたなら、この意味はおわかりになりますね?」

「ま、魔物があらわれる地の裂け目……が?」

 俺は重々しくうなずいてみせた。


「わかったなら、誰にもわたしたちのあとを追わないようにさせてください。浄化の効力が失われます」

「そうでございますか……」

 長老はまだものいいたげだった。

「あの、例の取り替え子はもしや、その裂け目にひきよせられたのでしょうか?」


 今度こそ俺は苛立ちを隠せなかった。

「でたらめな思いつきを口にしてはなりません。人間は人間、魔物は魔物です」


 俺はさっときびすを返し、話が終わったことをわからせた。ジェンスが音を立てて戸を閉める。

「いなくなったぞ」

「うんざりだ。くそじじい、いったいどこであんな考えを吹きこまれた?」

「ユーリ、落ちつけ」

「おまえはいつも落ちついているよな」


 また戸が叩かれて俺はびくっとしたが、聞こえてきたのは村長の妻の声だった。馬の準備ができたという。



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