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第5章 黒髪黒目の少年(後編)

 長老に釘を刺したかいがあってか、俺たちはあっさり出発することができた。昨日、月明りをたよりに歩いた道を、今日は馬に乗って進む。乾いた厩でたらふく食べた馬は元気だが、俺は空腹のままだ。俺は馬の背でおやつの干し果物をかじりながら、森へ分け入っていくジェンスにいった。


「位置はわかるか?」

「だいたいは」

「あっちだ」

 タリンを守るために使った小枝は消耗品だ。結界は夜明けには消えたはずだが、まだ気配は感じられた。


 主人の意思に敏感なモルフォドの馬は、命令しなくてもジェンスのあとについていく。おやつで元気が戻ってきたのはいいが、森の奥へ進むにつれ、俺はだんだん心配になってきた。

 タリンはまだあの洞に隠れているだろうか? 魔物がしみだす〈裂け目〉の気配は感じなかったし、仮に兆しがあったとしても、俺の結界があったから広がることはなかったはず。


 やがて前方にコブのついた大木が見えてきた。

「タリン? いるか?」

 呼びながら馬を降りて、洞のあいた方向へ回るが、返事は聞こえなかった。俺は洞の中をのぞきこむ。空っぽだった。


「迎えにきたぞ!」


 小枝は昨夜と同じ位置に立っている。葉は枯れていたが、千切ったあとはある。俺は洞から離れて、あたりを見回した。背後でジェンスの足音が聞こえた。タリンが洞にいないのを察して、大木の反対側へ回ったようだ。俺は洞のすぐ上から伸びている太い枝に手をかけ、よじのぼりはじめた。


「タリン、どこだ?」

 頭上でガサガサと葉が揺れた。見上げると葉のあいだに黒い目がのぞいた。

「そこにいたのか。約束通り迎えに来たぞ」

「……ほんとに来たの……」

「なんだよ、嘘だと思ってたのか? 結界は朝までもったか?」


 そのまま待っていると、木の葉のあいだから子供の顔がぬっとあらわれた。髪は昨夜と同じくぼさぼさだったが、黒い眸は吸いこまれそうな気がするくらい大きく、まばたきもせずに俺をみつめている。


「……青い」

 タリンがぽつりといった。

「は?」

「あんたの目。そんなに青い目、はじめて見た」

「それがどうした? なあ、降りてこいって。俺たちと来ないのか?」

「……考えたんだけど、あんたたちと行ったら、僕はどうなるの……?」

「わからない」


 俺は正直に答えた。枝にしがみついている腕がしびれかけていて、さっさと話を終わらせたかった。


「わからんが、おまえが落ちつけそうな場所がみつかるまで、俺たちと一緒に来たらいい。俺も辺境の村の出身なんだ。深く考えるな、どうにかなる」


 タリンは何度かまばたきしてから、やっと心を決めたらしい。こくりとうなずくと、そろそろと木を降りてきた。俺も地面へ飛び下りて、しびれた腕をさすった。ジェンスは下で話を聞いていたのだろう。馬を連れて待っていた。


「俺たちの名前は覚えているか? 俺はユーリ、そっちはジェンスだ。ジェンス、おまえの方に乗せてくれよ」

「ああ、その方がいいだろう」


 ジェンスがうなずいてタリンの方へ行く。ジェンスもやはり黒髪だが、ところどころ焦げ茶が混じっている。タリンの髪は青みがかった黒で、二人が並ぶとわずかな色のちがいがきわだった。


 漆黒の髪と目といえば、異界から降臨した「神子」の特徴だ。大神殿に残された記録にもそう書いてあり、絵や像ではかならず、黒髪黒目の少年の姿であらわされる。


 ――まさかな。


 俺は小さく首をふると、一瞬だけ胸をよぎった、不安とも予感ともつかないものを追い払った。





 森のはずれまで来たとき、木陰から細い影が飛び出してきた。俺たちの前に両手を広げて立ちはだかろうとする。


「タリン!」


 そこにいたのは村長の家で会った少年だった。村長の息子で、たしか名はネイロス。俺が知るかぎり、タリンがいなくなったことを村で唯一悲しんでいたはず。すると馬の背からタリンが叫んだ。

「ネイロス? なんで……」

「死んでないって聞いたから――おい、あんたたちは、タリンをどこに連れていく気だよ!」

「落ちつけ。騒ぐな」


 ジェンスが低い声を出した。迫力のある響きに、ネイロスはびくっとして口を閉ざす。


「おまえの村では、タリンは幸せに生きられない。俺たちがどこかいい場所を探す」

 ネイロスは唇をかんだ。

「……そう……かもしれないとは、思ってた……けど……」

「なあ」

 ジェンスが重々しい役どころにいるので、俺はできるだけ明るい声を出す。

「心配するなって。タリンは大丈夫だ。そうだな?」


 すると、タリンがジェンスの鞍の前からぱっと地面に飛び下りた。急な動きに驚いた馬をジェンスがなだめる。また森へ逃げていくつもりなのかと俺は一瞬恐れたが、そんなわけではなかった。タリンはネイロスの正面に立つと、両手で彼の手を包みこんだ。他の村人とおなじ、薄い茶色の髪をしたネイロスの前で、タリンの黒髪はやけにくっきりして見えた。


「ネイロス、僕は平気だ。この人たちと、行くことにしたんだ」

 ネイロスはうつむいたまま黙っていた。しばらくして、くぐもった声が聞こえた。

「……ごめん。俺のせいだ。俺が、おまえを守ってやれなかったから……」

「そうじゃないよ。ネイロス、ありがとう……」


 タリンの肩が震えている。俺は目をそらして「もう行くぞ」といった。ジェンスはタリンが馬の背に上がるのを手伝ってやっている。

「昨日の約束を覚えているな? 村の人間にはいうなよ」


 ネイロスはうなずいたが、その目はどんよりと曇っている。タリンはうつむいて泣き出しそうだし、俺はどうしたらいいかわからなくなった。


「ネイロス、タリンの落ちつき先がわかったら、おまえにあてて、近くの神殿に伝言を送る。〈双翼〉ユーリからの伝言だ。かなり先のことになるかもしれないが、村の連中にバレないように聞きにいけ」

「……わかった。タリン、おれ、そのうちおまえを探しにいくから」

「うん」


 タリンが顔を上げ、ネイロスに手を振った。もういいだろう。

 俺は先に森を出て、馬に道を進ませる。ジェンスはすぐに追いついてきた。

「ユーリ、どっちへ向かってる?」

 ジェンスがたずね、俺は太陽の方向をたしかめた。


「ひとまず神殿まで戻ろう。次の村に祝福を届ける前に、タリンを身ぎれいにしなくちゃ。そうじゃないか?」

「そうだな」


 タリンはジェンスの前で、大きく目を見開いている。涙をこらえているのだろう。

 故郷に友だちがいるのは悪くないな、と俺は思った。迎え入れてくれる人間がいれば、いつか帰れるかもしれない。




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