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第10章 タリン――神子の伝説(前編)

 今日のユーリはすごく静かだ。いったいどうしたんだろう?

 ジェンスの鞍の前に座って道を行きながら、タリンは首をねじって斜め後ろを盗み見る。ジェンスが手綱を握る馬はぽくぽくと道を進み、ユーリの馬もすぐそこに続いている。でも鞍の上にいるユーリはフードを目深にかぶっていて、タリンには金髪の房とあごの線がほんのちょっと見えるだけだ。そして今日のユーリは、早朝タトゥスリーを発ってから一度も口をきいていない。


「どうした?」

 鞍のうしろでジェンスがいった。彼が余計なおしゃべりをしないのはいつものことだが、タリンの様子にはちゃんと気づいている。

 もしかしたら、ユーリとジェンスは喧嘩でもしているのだろうか。しかしタリンが夜明けに目覚めたときは、ぜんぜんそんな風には見えなかった。なにしろ同じベッドで仲良く眠っていたのだ。


 タリンはちょっと考えてからたずねた。

「ユーリは具合が悪いの?」

「なぜそんなことを聞く?」

「だって、ずっと黙ってるから」


 そのとたん背後でふふっと笑う気配がして、タリンはまた首をねじった。ジェンスが口元をゆるめている。

「そういえばそうだな」

「ちがうの?」

「……きっと考えごとをしているんだ」

「考えごとって、何を?」

「次に止まった時に聞くといい」


 三人はタトゥスリーを訪れた時に通った道を戻っているところだった。湖を迂回する道を抜けると空気はからりとさわやかになり、道は明るい木立ちのあいだをつらぬいている。


 太陽は木立ちよりかなり高くなっていた。いつもならユーリの方から「休憩したい」とジェンスにせっつきはじめるころだ――そうタリンが思ったとき、ジェンスが振り向いて「ユーリ」と呼びかけた。タリンもつられて振り向くと、ユーリはいま目を覚ましたばかりのような顔をして、こっちを見ていた。


「あ? ああ」

「タリンにこの先のことを話さないと」

「ああ……そうだな」


 この先のこと?

 タリンは不安になった。ひょっとしてユーリがずっと黙っていたのは、タリンの身の振り方について考えていたから? 

 ジェンスは先に立って木立ちを抜けていく。止まったのは焚火のあとが残る場所で、タリンはタトゥスリーへ行く途中、ここで野営したことを思い出した。


 最近のタリンは馬の旅にすっかり慣れ、野営の夜すら楽しいと思うようになっていた。ユーリとジェンスが一緒なら、きっと自分はどこにでも行ける。この旅がいつまでも続くとは思っていなかったが、今はまだ、終わることを考えたくなかった。

「次はどこに行くの?」

 そわそわとたずねたタリンをユーリは手招きした。

「タリン、そこに座って……ちょっと見てろ」


 マントの下から取り出したのはいつもの小枝だった。夜の森で最初に出会ったあの日から、ユーリが「恵みを引き出す」ために使う小枝だ。長さは人差し指くらいで、樹皮は灰緑色で、切り口の芯だけが鮮やかな緑色をしている。


 ユーリは地面に小枝を突き刺すと、組み合わせた両手をその上にかざし、かすかに唇を動かした。何といっているのかタリンには聞こえなかったが、きっと祈りの言葉を唱えているにちがいない。

「タリン、枝の先をよく見ろ」


 またユーリがいって、タリンは小枝をみつめる。先端に小さな緑色の葉が二枚出てきたと思うと、透明なしずくがそのあいだにたまった。

「〈綾〉が見えないか?」

「……アヤ?」

「ああ……その……今は金色をしていて……光る霧みたいに散っていく……」

「……ううん?」


 タリンはわけがわからないまま小さく首を振り、ユーリを見返した。青い目にタリンには理解できない表情がちらりと浮かぶ。

「そうか」


 ひょっとして、ぼくはユーリをがっかりさせたんだろうか。タリンは不安になったが、ユーリはにこっと笑った。

「それならいいんだ」

「ねえ、ユーリにはいま、そのアヤっていうのが見えているの?」

「ああ。〈綾〉は世界樹の恵みが光と色の形をとったものだ。恵みを引き出す異能を持つ者……神官や退魔師にだけ見える。どんな風に見えているかは人によってちがうけどな」


 神官や退魔師。ということは、ジェンスには見えないということか。タリンはちょっと安心した。


「……それってどんな感じ? きれいなの?」

「ああ。とてもきれいだ。タリン、俺がこの枝をどこから持ってきたか、知っているか?」


 どこからって? タリンはきょとんとして、逆に聞き返した。

「神殿に植えてある聖なる木の枝なんでしょ? ちがうの?」

「ちがう。この枝はヘルレアサの丘にある世界樹そのものから折り取ってきたものだ。あちこちの神殿にある聖なる木も最初はこんなものだったが、この枝には聖なる木に育つほどの力はない。でもこんな長い旅でも枯れずに生きていて、俺がすこし手助けするだけで、こうして生き返る」


 ユーリは地面に差した小枝に指をのばし、葉のあいだにたまった透明なしずくを指でぬぐいとった。


「ジェンス、入れ物」

「ああ」


 ジェンスが差し出した木の椀を小枝の横に置く。二枚の葉っぱのあいだにまた雫が生まれ、椀のなかにぽとりと落ちる。ユーリは葉の上に右手をかざし、指を曲げ伸ばしした。すると椀におちる雫の勢いが増し、たちまち半分ほどたまった。

「ほら、飲め」



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