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第二十二話 僕さえいなければ


 清歌が公園で義人とボールを蹴りあってから二週間が経過していた。

 当然ながら夏休みに入り、もうじき八月が迫っているそんな季節。

 終業式の日、サッカー部の部長である柊から練習試合への招待を受けた。

 開催日時は八月五日の午前から昼にかけて。

 他の町の高校四校が集まって行われる練習大会だ。

 柊部長も流石に馬鹿正直に義人に挑むのはやめたのか、清歌と霧子が一緒にいるタイミングで三人に声をかけてきた。

 霧子は大会の時にはマネージャーっぽいことをしていることもあって、真っ先に参加を表明し、それを見て義人もめずらしく参加することになった。


「あと一週間か……」


 七月末、清歌は自室の畳の上で暑さに悶える。

 本当は断ろうと思っていたのだが、霧子の行くという勢いに押されて断り切れず、観戦しに行くことになってしまった。

 こんなクソ暑い中、義人が出場しているのならともかく、普通の部活の練習試合なら別に見たくない。

 こう言っては失礼だが、こんな田舎の過疎った高校サッカーのレベルなどとても楽しめたものではない。

 義人がいてようやくサッカーっぽくなっていた程度の我が校のサッカー部を、一体どこのもの好きが真夏の炎天下のなか応援しようというのだ。

 しかしあの時は驚いた。

 霧子が参加しようと言い出すのはまだ良いとして、あの義人までもが観戦に行くと言い出すとは思わなかった。


「霧子の勢いに押されたか……義人も所詮は人の子だな」


 きっと義人も霧子の勢いに押されただけ、そうでなければ今までの義人の行動との乖離に説明がつかない。

 それとも何か心境の変化でもあったのだろうか?

 清歌は二週間前の公園を思い出す。

 サッカー部に行かなくなってからというもの、ボールにすら触れていないかったはずの彼が公園でとはいえ一人で練習をしていたのだ。

 あの頃から彼は少しづつ変わり始めていたのかもしれない。


「清歌~今度サッカーの試合観戦しに行くんだろう? 必勝祈願でもしておいでよ」


 階段下からおばあちゃんの声が響く。


「いや、暑いからいいよ」


 清歌はおばあちゃんの提案を断った。

 あの日以来、清歌は裏山には行かなくなった。

 綾音の家の前は相変わらず通るし、彼女を見上げることは日課のようにしているが、話しかけるわけでもなくお互い無言のまま時が流れる。

 要するに綾音が清歌に話しかける前と同じ状況に戻ったのだ。


「これで良かったのかな?」


 清歌は一人ぼやく。

 ここまでの自分の行動を振り返る。

 綾音に声をかけられて舞い上がったまでは良かった。

 そこからの行動はあっていたのだろうか?

 他にもっといい手段はなかったのだろうか?

 考えても答えは浮かばない。

 答えはセミの鳴き声の中に隠れてしまった。

 いや、隠れてしまったというのは言いすぎか……。

 隠れるも何も、生憎と見当がつかないのだから。


「そもそも僕が間違いの元なんじゃ……」


 綾音さんと義人のことを考えると、そもそも自分がこの町に来たこと自体が間違っていたのだ。

 今回の一件、実は自分がいなければすべてが丸く収まっていた。

 綾音さんは堕天せず、義人は才能を失わなかっただろう。

 この町の優先事項であるはずの義人のサッカーの才能。

 お祈り地蔵が、義人の才能が失われるのを放置するはずがない。

 自分さえいなければ、綾音さんの妨害は起きない。

 無事に僕の祖父母は犠牲になって、義人の怪我はなかったことになり、義人は無事にスターダムを駆け上がるだろう。

 それでよかったんだ。

 この町にとってはそれが最善手で、僕というイレギュラーが空神町の運命を狂わせてしまったのだ。


「清歌! 霧子ちゃんがきたよ!」


 階段の下からおばあちゃんの声が再び響く。

 無視しようかと思ったが、霧子が来ているという。

 一体なんの用だろう?


「わかった今降りる……」

「ごめん来ちゃった」


 清歌が自室のドアを開けると、そこにはすでに霧子が立っていた。

 まさにドアノブに手を伸ばそうとしていたらしく、右手が所在なさげに浮いていた。


「お、おう……入って」

「うん。おじゃまします」


 清歌は突然の訪問に面食らうもとりあえず部屋にあげた。

 霧子はいつもより若干緊張した面持ちで部屋の敷居を跨いだ。


 思えば霧子がこの部屋に来たのは何年ぶりだ?


 清歌は遠い過去に思いを馳せる。

 ここ数年は確実に部屋にあげていない。

 思春期を迎えたあたりから、お互いに絶妙な距離感が生まれてしまった。

 霧子が妙に緊張しているのはそのためだ。

 久しぶりに清歌の部屋に、異性の部屋にやってきたからだった。


「酷い顔ね」

「なんだよ、勝手に押しかけておいて酷い言い草じゃないか」


 霧子の指摘に清歌はむっとして言い返した。

 しかし霧子の指摘は事実で、この時の清歌は確かに酷い顔をしていたのだ。


「何を考えていたの?」


 霧子は清歌にたずねる。

 清歌からすれば意味の分からない質問だ。

 いきなり訪ねてきて、開口一番これである。

 彼女は何をしに来たのだろうか?


「別にいいだろう? そっちこそ何の用だよ」

「私がこの家に来るのに理由がいるの?」

「いるだろ!」


 清歌は照れくさくなって窓を開ける。

 窓の外からムワッとした空気が流れ込み、霧子が顔をゆがめた。


「それで……何を考えていたのか吐きなさい」


 霧子は手で顔を扇ぎながら、清歌に詰め寄る。

 逃がすつもりはないらしい。

 清歌は霧子の剣幕に押され、白状することにした。


「……僕さえいなければって思っちゃって」


 清歌が最後まで言い終わる前に、霧子の手が清歌の頬を張り倒した。

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