柊の目は本気だった。
そんな彼を見ているうちに、最初はその気の無かった義人も乗り気になっていく。
震える足に活を入れてしっかりと地面を踏みしめた。
これは自分がやりたいからするんじゃない。
これは人助けだ。
自分の力でチームメイトが救われるのなら、喜ぶのなら、俺は喜んで力を貸そう。
これは俺のためではない。
これは目の前にいる本気の者のための行いだ。
義人は必死に自分に嘘を吐く。
自分が流されないための嘘だった。
もちろん人助けの一面もあるのは間違いなかった。
それは事実だ。
だがそれは大きな要因ではない。
チームの勝ちたいという気持ちにこたえるというよりも、自分の力を証明したい。サッカーを再び本気でやりたいという気持ちの方が勝っていた。
「……部長、今回だけです。今回の残り十数分のあいだだけ、俺はもう一度ユニフォームに袖を通します。でも、他のメンバーが認めてくれるかどうか……」
義人はやや弱気になっていた。
さんざん部活をサボっていた自分が急に試合に出ることに抵抗があるに違いないと、他の部員たちの気持ちを思うと弱気になる。
サッカーは、十一人で行うスポーツだ。
一人ではなにもできない。
「大丈夫だ義人。大丈夫。みんなお前を待っていたんだ。俺にお前を連れ戻せと言っていたのは、監督だけじゃないってことだ」
義人が柊の言葉を聞いてピッチに目を向けると、他のチームメイトたちが集合していた。
全員が各々の思うがままのポーズで、戻って来いと催促していた。
義人は信じられない思いと、申し訳ない思いに襲われた。
こんなにも待っててくれているのに、満足のいくプレーができないという”だけ”でサッカーから逃げていた自分自身に腹が立った。
これだけ愛されていたのに、これだけ待ちわびられていたのに、自分はそんな彼らの気持ちを踏みにじり続けたのだ。
なんとも我儘な話だ。
本当はこの試合だって出たかった奴は他にもいるはずだった。
それこそ怪我をして運ばれていったあの選手だって悔しいだろう。
いま目の前に転がっているチャンスは決して偶然ではない。
神様が意図的に作ったものでもないだろう。
これは、このチャンスとタイミングは、間違いなく自分たちで引き寄せたものだ。
「よろしくお願いします!」
義人はしっかりとチームメイトに向き合い、大きな声と共に深々と頭を下げた。
清歌はそんな彼の姿に驚きつつも、不思議と違和感はなかった。
元の鞘に収まったようなそんな感覚。
気づけばベンチの脇では霧子が静かに泣いていた。
彼女こそずっと義人のそばにいた。
清歌が綾音にかまっている間も、彼女だけは義人のそばに居続けた。
義人が泣き崩れている時も、部長からのラブコールを受け取っている時も、彼女は常に義人のそばで見てきたのだ。
彼の才能が失われ、彼の活力が徐々に儚く消えていく様を見てきた彼女にとって、義人が再びユニフォームに袖を通すこの展開はたまらないだろう。
「待ってたぞ!」
義人が柵を乗り越え、ベンチに入るとチームメイトがユニフォームを投げ渡す。
ちゃんと義人のユニフォームだった。
いつ義人が戻って来ても良いように、彼らはずっと持ち歩いていたのだ。
義人はユニフォームを受け取り着替え始めた。
清歌はポツンと観客席からその様子を眺めていた。
またあの頃の義人のプレーが見られると思うと胸が熱くなる。
清歌は特別サッカーが好きというわけではない。
だがまじかで見れる義人のプレーは別だった。
別格の上手さ。
天性の動き出しとゴールセンス。
素人目から見ても異質な存在に、ついつい応援に熱が入っていたのだ。
そんな彼のプレーがまた見られる。
奪われてしまったはずの彼の才能が、再び目の前で輝きだす。
「となりで見てもいい?」
かけられた声に振り返ると、そこにはさっきまで泣いていた霧子が立っていた。
涙は収まったようだがまだ目元は赤いまま。
「もちろん。一緒に見たかったんだ」
義人がエースとして活躍していたころは、こうして二人で彼のプレーを応援していたものだ。
あの時間が戻ってきたみたいで興奮する。
霧子と清歌と義人。
この三人には切っても切れない絆が結ばれていた。
「もう自分を責めないでよ」
霧子はピッチから視線を逸らさないままだった。
「うん。これで自分を責めていたら、せっかく前に進もうとしている義人に悪いよ。それに恥ずかしいしさ」
清歌は恥ずかしくも思うのだ。
運命やら神様やらに踊らされている自分が恥ずかしくなった。
どうにもならないと諦めかけていた自分。
いままさに運命をみずからの意思と力でこじ開けようとする義人。
比べるまでもない。
どう考えても義人のほうが輝いている。
「あ、そろそろ試合再開だよ」
霧子がピッチを指さして騒ぎ立てる。
清歌はそんな彼女と同じようにピッチを凝視した。
視線の先には数か月ぶりのユニフォーム姿の義人。
チームメイトたちとハイタッチを交わし、なにやら指示を出していた。
残りの十数分。
彼の才能が輝く瞬間だった。
試合結果で言えば一点差の勝利だった。
素晴らしい裏抜けから右足を振り切った義人のシュートがゴールネットを揺らした。
彼の動きは確かに全盛期からはかけ離れていた。
それは単に怪我の影響というだけではなく、練習もほとんどしていなかったせいで体がなまっていた。
しかしそれでもここぞという時の勝負強さは健在で、トラップもドリブルも他の選手たちと比べれば頭一つ抜けていた。
彼の才能は確かにそこにあったのだ。
決して枯れたわけではない。
彼の大きすぎる才能の最大値が減っただけ。
地方の高校サッカーのレベルでいえばほとんど別格の才能だった。
合田義人の才能は確かにここにあったのだ。