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第10話 心を縛る?

 その日の内に邯鄲かんたんを発った武霊王ぶれいおう廉頗れんぱは馬をり、西の方角へと邁進まいしんする。目指す先は西の大国・【しん】の国都である咸陽かんよう


 敵の中枢へ乗りこみ、あまつさえその国王に不意打ちのような形で逢おうというのだ。そのために二人は目立たぬよう甲冑かっちゅうの類はまとわず、商人風の簡素な衣服をまとっていた。


 ──あれぇ、おかしいなぁ?


 武霊王ぶれいおうの後ろを影のようについてゆく廉頗れんぱであったが、日が経つにつれてひとつの疑問をいだきはじめ、出立から三日ほど経過したころにそれを問うた。


「すみません、主父しゅほ! 函谷関かんこくかんからずいぶんと外れてるように思うんですけど、みち合ってるんでしょうかぁ〜⁉︎」


 彼女が疑問に思うのも無理もない。

 通常、【しん】の国都である咸陽かんように入るには、山間やまあい隘路あいろに築かれた不落の砦・函谷関かんこくかんを通過しなければならない。


 しかし、武霊王ぶれいおうはそれを無視してひたすら西進し、ちょうど咸陽かんようの北にそびえる険しい山へと入り、そこを突き進んでゆくのだった。


「正規の経路ルート咸陽かんように乗りこんでもつまらんだろう。だから相手の虚をくのだ。これは俺と【しん】王との戦だからな」


 武霊王ぶれいおうは、まるで少年のようないたずらっぽい顔で呵々かかと笑う。


「抜け道から咸陽かんように侵入するんですかぁ〜?」

「そうだ。楽しいだろう?」

「そう……ですねぇ」


 廉頗れんぱとて、強そうな武人を見ると力試しをしたくなり、誰彼構わず勝負を挑む悪癖がある。きっと、それと似たような感情なのだろう、と彼女は理解した。


 そして今度は山道をひたすら南下し、二人はついに悠然とたたずむ街並みと、壮大にそびえる宮廷を眼下に捉える。


「あれが咸陽かんようか。なかなか見事な城だな」


 携帯している水袋からあおるように水分を補給しながら、武霊王ぶれいおうは不敵な笑みを浮かべて言う。


「お腹が空いたですぅ……」


 腹の虫を鳴らして同じように水分を補給しながら、廉頗れんぱは情け無い声でそう訴える。


 邯鄲かんたんを発ってからのべ五日が経過していた。

 それまで二人は携帯食と野生の草や木の実などで飢えを凌いでいたが、食べ盛りの廉頗れんぱにとってそれは拷問にも等しい艱難辛苦の日々であったろう。


「そうだな。咸陽かんように入ったらまずは腹ごしらえをするとしよう。好きなだけ食べて良いぞ」

「ホントですかぁ〜? じぁあ、すぐに行きましょう!」


 途端に活力を取り戻した廉頗れんぱは、武霊王ぶれいおうよりも先にさっさと崖を下りはじめる。


「現金なやつだ」


 欲望に忠実な少女の後ろ姿を見て、武霊王ぶれいおうはやれやれといったていで肩をすくめ、水袋を仕舞うとその後を追った。





 しんの国都・咸陽かんよう──


 渭水いすいと呼ばれる河沿いの地を切り開き築かれたその都市は堅牢な城壁に囲まれ、見る者を圧倒する威圧感を備えている。

 【ちょう】の国都・邯鄲かんたんのような優雅さや、【せい】の国都・臨淄りんしのような広大さはないものの、他国より遥かに進んだ法治制度を象徴するように、無駄を一切省いた厳格な精密さを感じさせる。


「なるほど、これが咸陽かんよう。これが【しん】か」


 石畳が敷き詰められた大路を闊歩しながら、武霊王ぶれいおうは感嘆交じりにつぶやいた。


「まさに法の都。法の国。それが街並みにも如実にょじつあらわれているな」


 かつてこの地に現れた稀代の法家である商鞅しょうおうは、蛮族とさげすまれたこともあるこの国に法治国家として改革を推し進め、中華大陸一の強国へと押し上げた。

 しかし、厳格過ぎたその法はやがて自らをも縛ることとなり、商鞅しょうおうは結局無惨な最期を遂げている。


「皆が法を遵守し、確固たる秩序が保たれている」

「そうですねぇ。これだけ人がいるのに、街には喧騒も無くてスゴく整然としてます」


 武霊王ぶれいおうの言葉に廉頗れんぱも同調する。


「しかし、国や民を護るための法が行き過ぎれば、それは人の心をも縛る戒めとなる……」


 ふと、武霊王ぶれいおうはひとりごとのようにつぶやく。


「心を縛る?」


 廉頗れんぱはキョトンとした顔で首をかしげる。


 武霊王ぶれいおうはフッと自嘲じちょうし、


「おしゃべりがすぎたようだな。早く食事を済ますとしよう」


 そう言って近場に軒を連ねる食堂の中へと入ってゆく。

 お腹が空いて仕方のなかった廉頗れんぱは、すぐにその背中を追った。

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