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第117話 羽根筆の行く末

 潮騒の音だけが、周囲を包んでいる。まるで世界に僕と彼女だけが、存在しているみたいに。


「アーリア……」


「もう、そんな顔で名前呼ばないでよ。帰れなくなっちゃうでしょ?」


 諦めたみたいにはにかんで、半透明の幽霊みたいな彼女は振り返った。泣いている彼女の涙を払いたかったけど、僕の手は彼女の身体をすり抜けてしまった。


「遺書。読んじゃった……?」


「う、うん。読んじゃった」


「そっか。あはは……私の部屋には?」


「え、僕は入って無いよ?」


 アーリアの家に入り浸るのはこの半年多かったけど、彼女の部屋には相変わらず入れて貰えなかった。何か秘密があるみたいなんだけど、彼女は、ほっとしたような妙な顔をしていた。


「実はね。カズマくんを連れてく事もできるの。神様だからね。それぐらいの無茶は効くの」


「え、じゃあ……!?」


「でもダメ。私が連れて行くと人間でなくなるのから、やっぱりダメ。カズマくんが、カズマくんでなくなっちゃうもん」


「そんな程度……!!」


「稟さんが、居るでしょ?」


「うっ……」


 それ以上言葉が出なかった。僕がこの世界から居なくなったら、間違いなく彼女は傷つく。最悪後追いしかねない。もどかしい。何か手段は無いだろうか。と言うかそもそも。


「アーリアは、生きてるの……?」


「生きてるよ。死んだのは人間の身体だけ。それも心臓を取り戻せたから、長い時間をかければ、またこっちに来れるよ」


「…………どれくらい?」


「10年かな。もっと短いとは思うけど……」


 10年。人が変わってしまうには十分な時間。そうなったらもう、ほとんどただのタイムトラベルだ。そんなの冗談じゃない。そんな長い間会えないなんて、絶対に嫌だ。


「アーリアは、生きてるんだよね?」


「そうだよ」


「なら。生きているなら、たとえ君が神様だって会いに行くよ。……約束だ」


「それは………………うん。いつか、私にたどり着いて、探索者さん。……ずっと、待ってるから」


 朝日に、彼女が消えていく。まるでこの一年間が、夢か何かだったかのように。僕は今度こそ泣かなかった。きっとまた会える。僕たちが、そう望むなら。



◇◇◇



 それから。さらに一年が過ぎて、僕たちは秦代高校しんだいこうこうを卒業した。


 世間ではクコスバレクとの国交が話題で、稟はスフィアと魔法の研究が抜擢されて、そのまま通信会社に研究員として就職。真司と聖さんは、発足したギルドの職員として、正式に働いている。


 僕は卒業した今日。アーリアの家の持ち主であるキミ子さんに許可を貰って、彼女の部屋に入って、出発の準備を整えていた。


「それにしてもまぁ、そりゃ入るなって念押しするよね……」


 アーリアの私室には、僕の手足に似ている、わざわざ改造した熊っぽい大きなぬいぐるみや、SNSから印刷して壁にかけたのだろうか、僕のイラストポスターなど、僕のグッズで溢れていた。どうやら手製の物も多いみたいだ。


 百個以上あるし、一日二日で集められたり、作れる量じゃ無い。もしかしたらあの雨の日、ふすまの向こうで入ってくるなって言ってたのは、これが原因だったのかも知れない。


「ごぶ〜☆」


「そうだね、なるべく早く帰って来るから。お留守番お願いね?」


「ゴッブ★」


 よく稟も来るけど、実質管理人のゴブリンに挨拶して家を出る。相変わらずネコたちが多い。鳥居の下で、稟が僕を待っていた。


「今から、スリランカに?」


「うん。着いて来るなよぉ? そっちは配信技術でアーリア見つけるって、大見得切ったんだからな?」


「ふんっ。私たちの方が、絶対先に先生を見つけて見せますとも!! ふふふっ」


「ははっ、じゃあ競争だな」


「うん。……元気で。スフィアで連絡が付かない所に、迂闊に行かないで下さいよ?」


「分かってるさ。……稟」


「はい? 何ですか?」


「アーリアを連れて帰ってきたら、すっごく大事な話があるんだ。……良いか?」


「それって……」


 春風が吹く。桜色の風はどこか冷たいけれど、新鮮で暴虐なまでの生に満ちている。思い込みのどこか激しい。でも可愛い稟の笑顔に、どこまでもこの風は合っている気がした。


「先生だけ、待たせてるんじゃないんですからね。早く帰って来て下さいよ。……ちゃんと、全部。ぜんぶ、聞いてあげますから」


「ああ。すぐ帰って来るよ。……行ってくる」


 重ねた唇が離れる。近かった桜色の頬も、ネコたちが門出を祝うように鳴いてくれて、何度も振り返って手を振って、僕はアーリアが待つであろう、島国へと旅立った。

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