「助かりました。麗香さん、ありがとうございました」
「まあ、私は『民間防諜会社 ヤタガラス』治療担当だから。楽にしていていいわよ。敬語も使わなくていから」
「ありがとう」
私は差し出されたハーブティーを口に運んだ。
「進士君はあと1、2時間くらい休めば回復するでしょう」
平沢さんは治療を受けて寝室で休んでいる。専門外だから詳しいことは分からないけど、メンタル回復のためのハーブを使って気分を落ち着かせたとのことだ。
「それにしても凄い……。外から見たら普通のマンションだけど、医療設備が整っている。薬草も沢山ある」
ここは私達チームの医療担当、麗香さんの拠点だ。
作戦通り、このバルクネシアのスマートシティ内で物件を借りて医療設備を整えたとのこと。
スマートシティ内は行政を司るバルクネシアタワーを中心に、大きく企業エリア、娯楽エリア、居住エリア、アカデミックエリアの4つのエリアに分かれているが、ここは居住エリアの中のマンションの一つである。
ベランダから周囲を見渡してもマンションだらけ。この街で働く人、研究を行う沢山の人達がここで暮らしているのだろう。
――それにしても、この部屋は匂いがキツい!
「ふふふ。確かにこれは薬草でもあるけど、全部おハーブなのよ!」
「おハーブ?」
大丈夫かな……?
ハーブの話になった途端に様子がおかしくなったんだけど。
「おハーブはね、凄いのよ! 健康に良いし治療の助けにもなるし、香りが良いし心地が良い! ふふふ……ふふふ……私が調合したこのハーブなんて最っ高にキマるわよ!」
「あ、ソウデスカ」
目をキラキラと輝かせながら私にハーブの瓶を見せつけてくる。
私は嗅覚が異常に闊達しているため、匂いに耐えきれずに口呼吸に切り替えている。
この部屋の匂いを嗅ぎ続けていたら、私も倒れてしまうかもしれない。
「そうねえ。美琴さんにはこのハーブをあげましょう」
「あ……ありがとう」
香水瓶のようなお洒落な瓶を渡された。
中にはハーブが入っている。
「このハーブはね、気持ちを昂らせてくれるのよ!」
「ええと……どういう時に使えばいいんです?」
「緊張して身体が動かない時や、疲れている時の気力回復よ」
「ああ、確かにそれは使えそう」
私は死地での戦闘経験は少ない。
日本刀女と相対した時は恐怖で身体の動きが鈍った。
そういう時にこのハーブの効能は活用できるかもしれない。
……でも、大丈夫なのだろうか?
「うううううう! 効っくううううううう!!!!」
突然、私との会話を途中で切り上げ、ハーブが入った瓶に鼻を突っ込んでキメだした。
ちゃんと合法なんだよね? 違法薬物じゃないよね?
少し……というか大分不安になってきた。
◆◆◆
「さて、そろそろ真面目な話をしましょうかね」
「……うん」
あの後、麗香さんは止まらなくなり、十を超えるほどのハーブ瓶に鼻を突っ込み、キメていた。
恍惚な表情をしたり、呼吸が荒くなったり、いきなり眠っちゃってるんじゃないかってくらい静かになったり。
ハーブによって様々な麗香さんの表情を見させて頂くことができた。
美人顔も台無しだよこれじゃあ! 目がとろんとしていたり、クマができていたりするのはハーブのせいなんじゃないだろうか?
いきなり真面目な話をしましょうって言われても……。
「進士君はね、PTSDを患っているの」
「やはりそうか」
いきなり核心をつく話題を振ってきた。
過去のトラウマとなる出来事が彼の心を今もなお蝕んでいるのだろう。
「多分、美琴さんも感じていると思うけど、進士君のこれまでの生い立ちは特殊らしいの」
「『特殊らしい』ということは、麗香さんも詳しく知らないということですか?」
「ええ、そうよ。でも過去にもスマートシティに関する情報に触れると、度々進士君はメンタル的不調に陥ったわ」
「今回のことは初めてじゃない、と?」
真里お嬢様はそれを知っていて私と平沢さんをこの地に送り込んだのか。
もしかして、作戦決行を前に平沢さんがどうなるか実験したということ?
確かに作戦実行中にこうなってしまうのは避けなくてはならない。だから、事前準備段階でテストをしたのだろう。
「ええ。時を経るごとに彼の症状は緩和していった。ただ情報を見るだけではメンタルに不調をきたすことは無くなったわ。だけど、やはり実物を目の前にするとダメね」
「……もしかして、今回私と平沢さんをここでデートさせたのって麗香さんの作戦?」
「ん? デート? デートさせろとは言ってないけど……スマートシティ内での作戦実行前に、進士君にバルクネシアタワーを間近で見せる必要がある、とは言ったわ」
「そっか」
デートという脚色を加えたのは真里お嬢様の仕業か。
「本当はPTSDを発症することになった原因を知りたいのだけど、私も詳しいことまで正確に把握してないわ。私が『民間防諜会社 ヤタガラス』に加入した時には、既に真里お嬢様と進士君が在籍していたわ。それに、真里お嬢様も進士君の過去について正確な情報も掴んでいない。推測していることはあるらしいけど、進士君について真実を知っているのは社長だけでしょうね」
謎が深まる。
真里お嬢様との会話の中で、私は「裾野事変」について教えて貰った。
裾野のスマートシティで起こった事件……裾野のスマートシティでも中央棟は存在し、バルクネシアタワーと全く瓜二つだった。
そんな巨塔を見て平沢さんはメンタルに不調をきたしたのだから、恐らく「裾野事変」が起因となるトラウマを抱えているのかもしれない。
「社長って、何者なんだろう……」
「社長ね。私も何者なのかは知らないし、正確な個人情報もわからない。私達に見せている姿も本当の姿か分からないし、影武者かもしれない」
「社長もそんな謎多き人なんですか?」
「ええ。そうよ」
麗香さんは私の目をじっと見据えて言った。
「これだけははっきりしているわ。社長は『非政府組織』の人間よ」
「……『非政府組織』? 確かNGOっていうものだったよね? NPOは法人格を持っているけれど、NGOは法人格を持っていない組織だったような」
「まあ、一般的に知られているのはそのような感じね。簡単に言うと、社長は日本を守るためにあらゆる手を打つ役割を持っている、ということよ」
「なるほど……。『あらゆる手』ね」
含みがある言い方だが、オブラートに包まないと諸々の問題が出てくるのだろう。
そりゃあ、法や秩序関係なく行動してくる敵に対してやり合うためには「踏み込んだ」行動をしないと皆を守ることはできないだろう。
「そんな役割を持った社長は進士君をヤタガラスの一員として活動させたり、自分の所有する事務機器販売会社に在籍させて育てている。特別可愛がっている節が見られるのよね。だから、彼にはとても特別な力、役割が与えられているのかもしれない。それも、国家の闇に触れてしまうような……」
「伊邪那(いざな)能力開発局?」
「……」
麗香さんも真里お嬢様と同じように肯定も否定もしなかった。
あくまで、これは限られた情報から推測したにすぎない。
そう決めつけて考えてしまっても、真実とズレてしまうかもしれない。
だから、私も肯定も否定もせず、只の一つの可能性ということに留めておいたほうが良いかもしれない。
「というわけで、この場所で進士君を動かすことは不可能だと考えているわ」
「それじゃあ……一体どうするの?」
麗香さんは私を指さした。
「え? わ……私?」