――平沢さんが姿を消す前夜。
私と昴、真理お嬢様の3人で晩酌をしていた。
もちろん真理お嬢様が作ったカクテルで、私はカシスオレンジ。真理お嬢様はモスコミュールで、昴はカルーアミルクだ。
「くぅー! マリマリのお酒美味しーね!」
「え? 真理お嬢様のことマリマリって呼んでるの?」
「そーだよ。可愛いでしょ?」
チラリと真理お嬢様の方を見た。
何だか諦めたような表情をしていた。
「なーにー? 美琴もあだ名で呼ばれたいの?」
「いいよ別に」
「みこみこって呼ぼーか?」
「いいよ美琴で!」
丁重にお断りした。
「そういえば真理お嬢様。疑問だったんだけどさ、なんで私がサーバーから盗んできた情報の中にあのユーザーリストが入っていたの?」
「それは、インフルエンサーが配っていたアプリがバルクネシアのサーバーで運営されていたからよ」
「え? アプリケーションがあのサーバーを参照していたから、ユーザー情報やログ情報がサーバー内に丸ごと入っていたというわけか」
「あら? よく分かったわね」
「一応、これでも事務機器の販売営業だからね。サーバーやシステムのことは多少分かるよ」
私の発言に昴が目を丸くさせた。
「えー!? 美琴って事務機器販売の営業だったの!? 意外だわ。というか全然似合わない!」
「そーです。昴の言うように私は全然事務機器営業に似合わないし全然売れなかったでーす」
「ははは! 拗ねないでって!」
「痛い痛い!」
昴が涙目になりながら最中をバシバシ叩いてきた。
「それがね。美琴ちゃん3ヶ月で最終月しか売れないから『007 』って言われてたらしいわ。だから、私達内でのコードーネームも『Ms.007』になったの」
「ちょ! それは言わないでって!」
「いーっひひひひ!! 0台、0台、7台で『007』ってこと!? それで本当にスパイになってるから、こりゃあもう運命だよね!」
「どーせ売れない営業ですよ」
「でもさ、だからキミはここに居るんだよね。心強いボク達の味方として」
「昴……」
昴は真剣な眼差しで見つめてきた。
わーすっごい綺麗な顔。同性でもドキドキするから自重してくれ。
「でも、こうしてここに皆と居れるのは平沢さんのお陰だよ。何者にもなれずに、行き詰まりを感じていた人生に可能性を見出してくれた。本当に感謝してるんだ」
ティア達パレットプログラムのメンバーと過ごした時間を思い出した。もしかしたら、タイミングや接する人が変われば、今自分がいる場所も違ったかもしれない。
……でも、またアイドルになっていたとしても結果を出せなかったかもしれない。
それに対して、スパイ活動はそれなりにやれていると思う。昴もこうやって褒めてくれるし。
――今歩んでいるこの道は、私の進むべき道なんだと思う。
このスパイ活動を続けていれば、自分の事を心の底から肯定できるようになるかもしれない。
そして、姿を消した姉についての情報も手に入れることができるかもしれない。
「ふーん。感謝ね。なんかそれ以外の感情もありそうだけど」
「いやいや、そんなこと無いって! 昴、変なこと言わないでよ!」
「マリマリはどう思う?」
「わたくしも同感よ」
「やめい!!」
まったく。二人してからかってくるんだから。
そりゃあ度々ドキドキさせられたけど……ほんとそんなんじゃないから!
……たぶん。
「で……それでさ! 話戻すけどアプリ運営サーバーがバルクネシアタワー内にあったって事だけど、それはこの国ぐるみの活動ってこと? それとも、サーバーを納品、保守してる業者がこっそりやってるってこと?」
「うん……それは良い着眼点ね。まさにそれもこれから調べる所よ」
昴が火照って頬を朱に染めながら、私の頭を撫でてきた。
「そーそー。さすが美琴! このバルクネシアって国はね、実験国なんだよ」
「実験国?」
「そーそー。新しいアイデアのもと設計された都市や制度がうまくいくか。市民がどういう行動を取るか。そういう事を試すにはもってこいの場所なんだよ。まぁ、日本も実験国……モニター国なんだけどねー」
「……裾野のスマートシティ」
「そーそー。理解力あって話進めやすいわー。もちろんそれだけじゃないけど、闇が深すぎるから言わないでおこう。一応フォローしておくけど、裾野のスマートシティは悪いことしてたわけじゃなく、本当に便利な世の中を作ろうとしてたんだよ。悪いのは全部、別班の第3グループの連中さ」
「ちょっと待って!」
「ちょっと待ちなさい!」
私と真理お嬢様は同時に立ち上がった。
「別班って……ドラマでやってた影の武力組織みたいな存在の……だよね? 本当に存在したの? というか別班が『裾野事変』を引き起こしたの!?」
「ふふふ……酔っちゃったにゃー」
「そんな可愛い仕草しても騙されないから!」
「えへへー。酔っちゃったから帰るー」
「ちょっと昴!」
酔ったフリをしていたが、目は全然笑っていなかった。
わざと重要な情報を零したに違いない。
フラフラした足どりなのになぜか正確に真っすぐ歩き、玄関を後にする昴。
私と真里お嬢様は釈然としない気持ちで昴の後姿を見送った。
◆◆◆
「ちょっと美琴ちゃん! 起きて! 大変よ!」
「うう……ノックくらいして……」
「いいからこれを見て!」
時計を見ると朝の時刻を指示していた。
眠い目を擦りながら真里お嬢様が手に持っている者を見ると、それは手紙であった。
「え? なに……? 『美琴へ』って書いてある?」
私は手紙を開き、絶句した。
「シンジちゃんが居なくなっちゃった……」
私は目の前が真っ暗になった。