こんな世界なんて滅んでしまえば良い。
いや、もう滅んでいるか。
この世界で聞こえる男は二つのみ。
一つは男の悲鳴。
もう一つは、男の頭部を殴打する音。
「Berhenti! Hentikan!(やめろ! やめてくれ!)」
「……」
私は無言でライフル銃の銃床をハンマー代わりにして、男に何度も振り下ろす。
何度も、何度も打ち付ける。
「Aduh! Jangan lakukan itu!(痛い! やめてくれ!)」
ティアは泣き叫ぶ余裕も無く命を奪われた。
身勝手な、無慈悲な暴力に晒された。
彼女は絶対に死んでしまってはいけない存在なのに。
今の私には、ティアの笑顔以外いらない。
この男の死も要らない。
ただ、こいつは死ぬべきだから、殺す作業をしているだけ。
何度も何度も反復作業を繰り返すだけ。
『Hei! Apa yang terjadi! Jawab aku!(おい! どうしたんだ! 返事をしろ!)』
トランシーバーから男の仲間の声が聞こえた。
私は無言で銃床をトランシーバーに叩きつけると、粉々に砕けた。
頭部から大量に出血し、顔を真っ赤に染めた男は絶望した表情になった。
――パアン!
銃声が一発鳴った。
右の横っ腹に軽い衝撃を感じた。
ポケットに入れていたハーブの瓶が割れたのか、強烈な甘い匂いが私の鼻腔を襲った。
「Hei! Wanita di sana! Apa yang kau lakukan?(おい! そこの女! 何をやってる?)」
男の仲間が二人、銃を向けて近づいてくる。
私はハーブの匂いで吐き気、頭痛を感じながら男達を睨みつけた。
「Tembak!(撃て!)」
片方の男が指示を出すと発砲してきた。
無慈悲な銃弾が私を襲う。
――しかし、その瞬間世界は非常にゆっくりと動き出した。
銃口から発射された銃弾が私に向かってゆっくりと進んでくるのが見える。
なぜなのか? 私の知覚能力が急激に向上したのか?
今にも止まってしまいそうな速度で、銃弾が私に迫る。
加えて、男から私を突き刺すような鋭い腐敗臭を感じる。
腐敗臭が指し示す方向と銃弾が進む方向は一緒である。
――この腐敗臭の正体は殺気。
腐敗臭が誘う場所。そこは即ち私の死地である。
「Apa itu? Apa yang terjadi?(何だ? 何が起こった?)」
私は腐敗臭に向かってライフル銃を投げた。
男達が発砲した銃弾がライフル銃に当たり、弾丸は明後日の方向に逸れていく。
「Biarkan saja! Terus tembak!(構うな! 撃ち続けろ!)」
私に向かって無数の鋭い腐敗臭が突き刺すように向かってくる。
その腐敗臭から逃れ、銃弾が急接近した際は化粧品型スパイギアを盾に弾いていく。
口紅が弾け、
ヘアスプレーが破裂し、
ネイルも剝がれていく。
「Mengapa tidak? Mengapa saya tidak bisa memukulnya?(何故だ? 何故当たらない?)」
焦る男達。
しかし、私の武器も全て失われてしまった。
強いハーブの匂いがウザったいほどに身体につく。
しかし、その匂いを感じる度に周囲の風景がスローモーションで見ることができ、銃弾を躱すことができている。
――しかし、あまりにも手数が多い。
避けきれずに銃弾が私の皮膚を切り裂いていく。
地面にポタポタと赤い雫が落ち、鉄のような臭いも混ざっていく。
身体を動かす力も失われていく。
「許せない……許せない……許せない……!」
ティアを奪ったコイツらが。
こんな馬鹿げた暴力が許される世界が。
弱者だけが傷つき、失われるこの仕組みが。
そして――私のこの無力さが……!
「はあああああああああああああああ!」
私は雄叫びをあげて突進した。
飛来する銃弾を致命傷を避けながら前へ進む。
自分の身体を血で赤く染まっていくが、私のこの怒りまで染めきることはできない。
「お前ら覚悟しろおおおおおおおおおお!」
「Berhenti! Jangan datang!(やめろ! 来るな!)」
――パァン!
一発の銃弾が私の右太ももを貫いた。
私はそのまま地面に倒れ込んだ。
「……っく!」
「Kita berhasil! Ayo selesaikan!(やったぞ! とどめを刺すぞ!)」
男達がゆっくりと近づいてくる。
――ここまでか。
どうしてこんなことになったのだろう。
私は前に進むために、
自分を誇れるようになれるように、
幸せを掴めるように、
必死に――必死に頑張ってきた。
神が居るなら、なぜ私にこんな仕打ちをするのだろうか。
本当に、世の中不公平だ。
「こんな所で終わりたくない」
両目が涙で滲み、ポタポタと落ちる雫で地面が湿っていく。
悔しい……悔しい……!
『地味で目立たない所が最高』
――ふと、平沢さんの言葉を思い出した。
平沢さんの真剣な表情。
平沢さんが眉をひそめる表情。
平沢さんが顔を赤くし照れる表情。
平沢さんが怯えた表情。
平沢さんが私に不器用に笑いかけた表情。
「なんでこんな時に思い出すんだろう」
少し、腹が立ってきた。
突然私達の前から姿を消し、私に「帰れ」と置手紙を残した男の子に対して。
「Ayo, Anda sudah selesai!(さあ、お前はもう終わりだ!)」
男が持つライフル銃が私のすぐ目の前に構えられた。
銃口は私の額を正確に捉えており、引き金に指がかけられている。
私の身体を腐敗臭で包み込まれた。
私は最後の力を振り絞り、呟いた。
「責任取ってよ。平沢さん」
――パァン! パァン! パァン! パァン!
数発の銃弾が私のこれまでの人生の終わりを告げた。
「美琴おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「……え?」
数発の銃弾は私にではなく、男達に降り注いだ。
目の前で男達が倒れ込み、こと切れた。
「美琴! 大丈夫!? 大丈夫か!?」
ゆっくりと目を開けると、涙でぐしゃぐしゃになった平沢さんの顔があった。