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第二部 プロローグ

 ――私は一体、誰なんだ?


 今思えば、私は私のことをよく理解していなかったかもしれない。


 辛い家庭環境だったこと。

 自分の身を守るために地味な人間として生きてきたこと。

 お姉ちゃんとの思い出。

 マジックバーで働いていた時の思い出。

 格闘技を身に付けた思い出。

 アイドル時代の思い出。


 私は私として生きてきた……と思ってきた。

 だけど、なぜ私はお姉ちゃんと同じ顔をしているのか?

 なぜ、自分の口が勝手に動き、まるでお姉ちゃんが話しているかのようになったのか。


「いや、違う……。私は私だ」


 一つ一つ……具体的に思い出してみよう。


 私が生まれた場所は?

 母親の名前は?

 私に襲い掛かってきた母親の彼氏の名前は?

 私のことを地味だと言った男子生徒は?


 ――思い……出せない。


 何一つ具体的に思い出せない。


 なんで?

 全部嘘なの?

 どこから?

 でもティアは……覚えてる。

 アイドル時代からの出来事は、具体的に鮮明に覚えている。

 何よりティアや他のアイドルが私のことを知っている。

 その時からの私は紛れも無く私だ。


 じゃあ……その前は?

 私は……一体……?


「大丈夫!?」

「進士……」

「何か凄い音がしたけど……」

「ああ……」


 どうやら洗面台の前で座り込んでしまったようだ。

 頭の中で沢山の情報で埋め尽くされて、うまく考えることができなくなってきている。

 臀部の痛みさえ、進士のおかげで思い出してきた所だ。


「ねえ……私は誰なの?」

「美琴は美琴だよ」

「……うん」


 進士が私を抱きしめてきた。


 ――温かい。


 はじめ出会った頃はこんな気が利く人間でもないし、感情も無いロボットみたいな……枯れ果てた人間だと思っていた。


 だけど、今は私のことをちゃんと見てくれているし、好意を感じる時もある。

 そもそも年上のおじさんだと思っていたら、元実験体で肉体年齢的には年下の男の子であった。


 ――今、ここに居るのが彼で良かった。


 胸の奥から温かいものが湧いてくる。

 その熱が進士に伝わったのか、心臓の鼓動が速くなってきた。


「……美琴、もしかして匂い嗅いでる?」

「え? あ、ごめん」


 つい、甘くて心が落ち着く匂いを進士から感じた。

 彼自身の匂いなのか共感覚によるものなのかはわからない。

 だけど、とても……とても落ち着くのだ。


「もっとこうしていていい?」

「うん」


 しばらくの間、二人で抱き合い続けた。


 ◇◇◇


「それにしても……ここはどうだろう」


 窓一つ無い部屋。

 外の情報が全く入ってこない。


「俺もここに連れて来られるまで睡眠薬で眠らされていたから分からない」

「そこまでするか……」


 まずは自分達がどういう状況に立たされたのか理解する必要がある。

 ただ……何より……。


「真里お嬢様はどうなった……?」

「分からない……。麗華もわからない。俺達二人だけ一緒にされている理由も」


 確かに、何故か私達は同じ部屋で監禁されている。

 しかもベッドが一つだけ。


 また、一緒のベッドで眠る生活がやってくるのか。


 ――コンコン。


 突然の扉ノック。

 ドアが開かれると二人の人間が部屋に入ってきた。


「はよ支度しなさい。仕事の時間よ」

「……」


 スーツ姿の狂歌と狐の面を被った巫女姿の女性だ。


「返事!」

「わかりました。狂歌様」


 二人で狂歌に頭を下げる。

 今すぐにでも彼女を倒し、ここから脱出したいところだが、戦闘力は未知数だ。

 ハーブも持っていないから『速度を超えた戦い』を行うことができない。

 それに、たとえハーブを持っていたとしてもスサノオみたいに更に加速する能力を持っているかもしれない。


 ――今は様子を見て情報を集めて、何とか彼女の手から逃れる策を練らなくてはならない。


「あら、美琴。化粧取れちゃってるじゃない。ほら、手伝ってあげなさい」


 狐面の巫女が頷き、化粧品を持って私に近づいてきた。

 私の目の前でしゃがむと、ふわりとした風がそよぎ、彼女の匂いが伝わってきた。


「ティア?」


 狐面が一瞬ビクッと身体を震わせ、私を見上げた。


「あーその子喋れないから。あと、顔に大怪我を負ってるから仮面取らないであげて」

「あ……ごめんなさい。私も変なことを言って」


 狐面が手をひらひらと振った。

 恐らく「気にしないで」と伝えたいのだろう。

 彼女に対しては好意を感じた。敵かもしれないけれど。


 ――しかし、なぜ彼女からティアと同じ匂いがしたのだろうか。


 無意識に彼女の名前を呼んでしまった。


「これを使えばいいのね?」


 狐面が化粧品を渡してきた。それを手に取った。


 ――しかしその瞬間、記憶がスキップした。


「あれ? なんで立ち位置変わってるの? 何かした?」


 ベッドの近くに居た瞬間なのに、今は洗面台の入口近くに立っている。

 鏡を見るとお姉ちゃんの顔ではなく、自分の中のイメージと同じ顔になっている。


 進士の方を見ても、私を守ろうと動いた形跡はない。

 私の言葉に対して首を傾げているだけだ。


「恐らく、記憶を弄られていて、催眠も施されているようだね」


 狂歌は顎に手をやりながら言った。


「なんで……誰が……」

「今はそんなこと考えんでいい。狂歌の仕事をしなさい」


 思考する暇を与えられず、狂歌に仕事場に強制連行された。

 向かった先は――。


「ねえ、進士。ここって……」

「ああ……」


 狂歌は私達を、元の職場――事務機器販売会社に連れてきたのであった。


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