「ごめん、待った?」
「いや、今来たところだよ」
何これ。
ちょっと恥ずかしい。
私がダンスレッスンの時に調子を崩して休んでいる間、進士が私のために休暇を狂歌から許可してもらったらしい。
どうしてそんなことが許されたのかわからないけれど……というか、私の知らない間に二人が仲良くなっている気がするのは気のせいか?
狂歌は敵なのに。
でも、今回はさらに進士から以外な提案があった。
『別人として男女のカップルを演じてデートしよう』
とのことだった。
【なり切りデート】
スパイは別人になり切る。
だから、リアルスパイである私達ならではの特別なデートプランということだ。
設定は入社したての新社会人カップル。
少し……というかとてもワクワクする。
――それにしても、驚きなのは進士の変化
進士が頑張って今日という休暇日の予定を組んでくれたらしい。
今までの彼からは考えられないこと。
しかも今日は別々に拠点を出て、わざわざ駅前で待ち合わせをするというシチュエーションまで用意してきた。
漫画やドラマでよくあるような「待った?」「いや、今来たところ」というど定番のやり取りさえ再現するという徹底ぶり。
でも……実際にやってみたけど、私達の世界とは縁遠いやり取り。
一般人がやったら陳腐なやり取りなのかもしれないけれど、とても尊いものだと感じた。
「それじゃあ、早速赤レンガ倉庫に行こうか」
「うん」
私達は手を繋いで横浜の街を歩いた。
関内駅スタートで目的地に向かって歩き始める。
そこそこの距離を歩くことになるけれど、これが悪くない。
大きなビルが並び、行き交う人々は様々な年代、恰好。
沢山の人々の生活とすれ違っていく。
裏の世界を生きる私達の日常と、表の世界を生きる一般の人々。
その歩む道は違えど、今こうしてすれ違い、交わっていく。
「平和だね」
「ああ。ずっとこんな日が続けばいいな」
進士が私の手をぎゅっと強く握った。
今の世の中が平和なのか、平和じゃないかと問われれば、間違いなく平和じゃない。
戦争をしていないだけで、今も多くの人々が知らないうちに脅威に晒されている。
ただ、平和だと思い込んで過ごしているだけ。
でも、一般人である私達は今だけ「平和だな」と呟くことができる。
その重みを噛みしめながら、進士と歩を合わせて前へ進む。
「今日も素敵な服だね」
「そう? 頑張って選んだんだ」
出た!
服を誉めるうやつ!
少し照れながら頬を掻いた。
ベタなことを実際に言われると恥ずかしい。
嬉しいけれども。
「も、もちろん……美琴も素敵だけど」
「ヴッ! ……うん。ありがとう」
これは素の進士か。
変な声出ちゃった。
てか、ヤバイ。顔が熱くなってきた。
「そ、それよりも横浜の街は綺麗だよね。建物も色んな形をしていて綺麗」
「ああ。こうやってゆっくりと街並みを見ることがなかったから、新鮮な気持ちになるよ」
お洒落な飲食店や商業施設が並び、大きな歩道橋も聳え立つ。
時間も忘れて歩き続けることができる。
一人で食べれるリーズナブルな焼き肉店や意識高い系が利用しそうな喫茶店。
居酒屋っぽい佇まいの店の前に置かれた「ラーメン」と書かれたのぼり旗。
入りずらい高そうな店構えの飲食店。
高級バッグや服を扱ってそうな店。
ブランド物を全く身に付けない私としては、縁遠そうな店も多くある。
私にとっては異世界である。
だけど……いま、この瞬間なら話のネタにすることもできる。
「ねえ、進士。あのバッグ可愛くない?」
進士の腕を抱きながら、猫撫で声で言ってみる。
「たしかに可愛いけど……あっちのバッグの方が美琴に似合いそうじゃない?」
「む……確かに」
私は真っ赤な高級バッグを指さしていた。
しかし、進士から提案されたのは黒を基調とした落ち着いたバッグ。
黒色の皮の生地に映える銀色の金具。
興味が出てきたので、服についても聞いてみる。
「じゃあ、あのジャケット可愛くない?」
「確かに可愛いけど、美琴ならこのコートのほうが似合いそう」
「じゃあ、このスカートは?」
「それなら美琴に似合うと思う」
まじか。
なんか私の好みというか、私が考える「自分に似合うもの」のイメージと完璧に合わせてくる。
――ちょっと進士……私のこと好きすぎじゃない?
なんて考えちゃったりして気分が良くなってきた。
「今はまだ買えないけれど、出世したら買ってあげる」
「ふふん。じゃあ期待して待ってる」
新社会人には手が届かない高級ブランド。
こういった憧れのもののため……いや、大事な人のために背伸びしたいと思って仕事を頑張るのだ。
「それにしても出世かぁ……。将来は何になりたい?」
「そうだなぁ」
今回の「なり切りデート」の設定は新社会人カップルという設定だけで、細かい設定は決めていなかった。
職業や家族構成等。自由に演じる余地を残すためでもある。
「喫茶店なんてどうだろう? サラリーマンの間にお金を貯める。その後脱サラして二人の店を出す。コーヒーの匂いに包まれながらゆっくりとした時間を過ごす。別に稼げなくても良い。流行らなくていい。そこそこの稼ぎで、時々来店するお客さんと少しだけ時間を共有し、ささいな幸せを感じる。そういうのはどうだろう?」
「あら、素敵ね!」
想像するだけで幸せそうな生活である。
だけど、同時に胸がチクリとした。
進士はここまで感性が豊では無かった。
気も遣えないし、情緒も貧しく不器用。
今隣で歩いている進士は別人のように感じる。
――狂歌か。
最近、進士は狂歌と二人だけで過ごすことが多くなった。
身体に傷を作ってくるから、想像を絶するほど過酷なことをしていることが伺える。
しかし、いつも進士の顔は楽しそうだった。満足げな表情で、充実した生活を送っているようだった。
日々が過ぎていくにつれて、進士の内面が成長していっているのを感じた。
だから、今日のこの幸せな時間は、進士が成長した成果によるものであろう。
――悔しい。
狂歌というよくわからない敵が進士を成長させた。変えた。
自分が進士を変えたかったな……と今更になって思ってしまった。