「おはようございます、春先輩」
「……なんでここにいんの?」
――翌日。
いつもの朝の校門前に、キラキラと輝かしい後輩が立っている。朝日の眩しさも相俟って、余計に煌めいている気がする。堪らず俺は目を細めた。
(ていうか、目立ってんなー……)
俺は向けられる視線の多さに、全力で逃げたい衝動に駆られる。
「朝から春先輩に会えるなんて嬉しいです」
「そうかよ」
本当に嬉しそうな顔をする甘利。流れるように俺の隣に並び立つイケメンに、俺は内心戦々恐々としていた。
(周りからの視線が怖い)
主に、女子からの視線。
「春先輩って電車通学ですか? それとも徒歩ですか?」
「教えねー」
「いいじゃないですか」
むっと不貞腐れる甘利。周囲の女子が黄色い声を上げる。
(うわー)
イケメンの力、こわっ。
ていうか俺、これ巻き込まれるんじゃね? 『誰あの人!』ってやっかまれる位置にいるんじゃ……!
(それは嫌だ!)
サァっと血の気が引いてく。このままでは格好の餌食だ。
「ちょっ、離れろよ」
「なんでですか?」
「お前といると目立つんだよ!」
「? そうですか?」
こてんと首を傾げる彼に、俺は頬を引き攣らせる。
(コイツ、もしかしてこれが日常になってるのか?)
イケメンの感覚って怖いな。俺なら絶対に慣れる自信がない。
「はー……お前なぁ。自分の顔の自覚ないわけ?」
「?」
「もういいよ」
気にするだけ無駄に思えて来た。
大きくため息を吐いて、肩を落とす。天然を相手にするのって面倒くさいな。
「で? お前はどうなの」
「何がですか?」
「通学。お前が聞いてきたんだろ」
「! 先輩、俺に興味があるってことですか!?」
キラン、と甘利の目が輝く。やめろ。そんな目で見るんじゃねー!
「ちげーよ! 今のはそういう会話! ただのそういう会話の流れだろうが!!」
「それでも嬉しいです。ありがとうございます」
「おい。何ナチュラルに手握ってんの」
「ダメですか?」
「ダメだろ」
パシッと手を振り払う。甘利が残念そうに項垂れた。見えない尻尾と耳が見える気がする。
(女子からの視線がいてぇ……)
たぶん『イケメンに何してんだコラ』って感じで見られてるんだろうな。……女子こえぇ。
「つーか! お前、昨日の事もう忘れたのかよ。フったんだぞ、俺。お前のこと」
「忘れてません。……忘れられるわけがありません」
ずーんと重い影を背負う甘利。だから落ち込まないでくれ。俺の命が危ないから!
「普通、忘れてねーなら俺に声かけるわけねーだろ。気まずいとかねーの?」
「……ない、ですね?」
「お前、ちゃんと神経通ってる?」
「失礼な。通ってますよ。それに、俺は諦めるなんて言ってませんし」
「……は?」
コイツハ、ナニヲ、イッテイルンダ……?
ヒクリと頬が引き攣る。嫌な予感がふつふつと込み上げて来て、俺はつい後退ってしまった。
瞬間、腕を掴まれて引き戻された。
「ちょっ、!」
「危ないです、春先輩」
「!?」
ぐっと肩を引き寄せられる。背後をふざけた様子の男子生徒たちが通り過ぎていく。あの勢いでぶつかられたら、それこそ転んでいたかもしれない。
(助けて、くれたのか)
「大丈夫ですか、先輩」
「あ、ああ」
「よそ見したら駄目ですよ」
ふわりと笑みを浮かべる甘利。
右半身に感じる温もりに、はっとする。慌てて甘利の肩を押し返した。
「つ、つーかそんなの口で言えばいいだろっ」
「いえ。それじゃあ間に合わないと思って」
「嫌でしたか?」と顔を覗き込まれる。
「嫌に決まってんだろ」
「そうですか。すみません」
「あ、いや……」
いや、いやいや。
何で俺が罪悪感を覚えなきゃなんねーんだよ。おかしいだろ。嫌なことを嫌って言っただけで。
(別に、俺は何も悪いことは……)
「でも俺は春先輩を守れてよかったです」
「っ、そうかよ……まあ、それに関しては」
「今後も守らせてください。出来れば一生」
「前言撤回。お前やっぱりおかしい」
いつの間にか握られた手を払い落として、校舎の中へと歩いていく。自然とついて来ようとする甘利に「ついてくんな!」と叫んで、俺は早足で教室に向かった。
(朝から面倒事ばっかで、疲れた)
大きくため息を吐いて、乱雑に頭を掻く。……本当、面倒な奴に好かれたな。
* * *
「春先輩」
「……え?」
「すみません、遅れました」
ぽろり。
箸で掴んでいた唐揚げが机に転がり落ちる。
(な、なんでこいつがここに……!?)
「春先輩? どうかしましたか?」
「っ、いや、どうかしましたかじゃないだろ!? ここ三年の教室だろ!? なんでお前ここにいるんだよ!」
「お昼になったので」
「お昼になったので!?」
「食事、一緒に出来ないかと思いまして」
お弁当の袋を掲げる甘利。……本当に飯を誘いに来ただけらしい。
(いや、それにしてもわざわざ三年の教室まで来るなんて)
「ダメですか?」
「いや、駄目って言うか――」
「春」
「おーい、何だよーもう飯食い始めて……って誰? 一年?」
「げっ」
(なんでこのタイミングで帰ってくんだよっ!)
手を軽く上げて帰って来たのは、雲井夏生と木葉秋人だ。そう言えば売店に行ってくるとか言っていた気がするけど、帰りが遅いからすっかり忘れていた。「げってなんだよ、げって」と言われ、俺は咄嗟に誤魔化す。
しかし、二人は俺ではなく甘利を囲い始めた。
「知り合いか?」
「うお。デカいね君。一年? 春とどんな関係?」
「あ、はい。甘利檸檬って言います。春先輩とはこの前告は――」
「あー! あー!! 悪い! 甘利と食べる約束してんの忘れてたわ!」
バンッと机を叩いて、俺は慌てて弁当を纏める。
(何正直に言おうとしてんだ、コイツ!)
男から告白されたなんて冗談でも言えるか! そもそも俺は断ったし、弁当食う約束もしてねーんだけど!?
「春せんぱ、」
「おら! 行くぞ、甘利!」
「あ、お前の分の菓子どうするー?」
「食っていいから!」
秋人の言葉に、俺は声を上げる。菓子は惜しいが、今はそれどころじゃない。
がしっと甘利の腕を掴んで、勢いのまま教室を出る。甘利が戸惑っているのが背後から伝わるが、俺はとにかく人目のない所に行きたかった。
(中庭……はもう埋まってるか。校舎裏は遊んでるやつらがいるだろうし)
ああもう、仕方ねー!
「は、春先輩、どこに――」
「いいから黙って来い」
俺は腕を掴む力を強くすると、階段を一段飛ばしで駆け上がった。
息も絶え絶えになりながら辿り着いたのは、特別棟の四階にある教室だ。
「ここなら誰も来ねーだろ」
「先輩、ここって」
「写真部の部室」
「写真部……」
甘利がキョロキョロと周囲を見回す。
教室の前方には机を繋げただけの横長の机が置いてある。あちこちには机を失った椅子が無造作に置かれており、黒板には大きな紙が貼られていた。後方にはホワイトボードや白い穴の開いたボードが綺麗にしまってある。
「すごい」
「何もすごかねーよ」
「春先輩は部長なんですか?」
「いや。部長じゃなくて副」
「部長、あんまり部室に来ないから」と鍵を指先で回しながら呟く。
「それより。昼飯、食うんだろ?」
「! いいんですか!?」
「いいも何も。お前があんなところであんなこと言い出すから、連れ出すしかなかったんだろ」
「?」
「無自覚かよ」
呆れた。
面倒くさいな、と呟いて俺は机に弁当を置いた。適当に椅子を引っ張って座れば、すかさず隣に腰を下ろす甘利。……こいつ、諦めないとかなんとか言ってたけど、流石にあからさまじゃないか?
(さっきのもそうだけど、人前ではあんまりやらないように注意しないとな)
弁当の蓋を開ける。ぽっかりと開いたメインに、そういえばさっき唐揚げを落としたんだったと思い出した。
(くっ……貴重な肉が……!)
「春先輩」
「何」
「唐揚げ、いります?」
甘利の声に顔を跳ね上げる。エスパーか。エスパーなのか。
「いる」
「はい。どうぞ」
「……いや、食べないからな?」
差し出される箸。掴まれた唐揚げに、俺はじっとりとした目で甘利を見つめる。無言で蓋を差し出せば、落ち込みつつも唐揚げを置いてくれる。
(マジか)
てっきり下心が達成できなかったらくれないもんだとばかり。「いいのか?」と問えば「はい。たくさんあるので」と微笑まれた。
「たくさんって……」
そんなにか? と甘利の手元に視線を下ろして――ぎょっとする。
(じゅ、重箱!?)
そう思うくらいデカい弁当箱があった。
「す、すげーな……」
「俺、めちゃくちゃ燃費が悪いんです。これ以外にもおにぎり四つと、帰りの買い食い用の財布渡されてます」
「燃費悪いって次元じゃ無くね?」
同じ男子高校生なのに、なんだこの違いは。
モリモリと食べる甘利に、俺は言葉にできない敗北を感じる。そう言えばこいつ、身長百七十後半だったような。
(そりゃあこれだけ食ってれば成長もするか)
「くそ。俺ももっと食えばデカくなるか? 身長、せめて百七十は欲しいんだよな……今だに百六十代だし」
「? 春先輩はそのままで十分魅力的だと思いますよ。すごく可愛いですし」
「……お前、喧嘩売ってる?」
「売ってません」
売ってないのか。そうか。
(無自覚の方が尚タチが悪い!!)
苛立ちを込めて、甘利の弁当の中に箸を突き刺す。二個目の唐揚げに、流石に甘利も泣きそうな顔をしていたが、知ったこっちゃない。がぶりと噛めば、肉汁がじゅわっと広がって行く。
「うんまっ」
「そうですか?」
「ああ。冷えてるのに硬くないし、味も濃い目ですげー満足感ある。お前のおふくろ、凄いな」
「それは良かったです」
ふふ、と笑う甘利。その顔が心底嬉しそうで、俺は少しだけ罪悪感を得てしまった。しかし、せっかくくれた唐揚げを手放すのは惜しい。蓋に乗った唐揚げを自身に引き寄せつつ、悩む。
悩んで悩んで、悩んだ末に、自分の弁当からブロッコリーを差し出した。
「……ほらよ」
「え?」
「タンパク質が豊富なのには代わりねーだろ」
「メインは唐揚げだけだったんだから許せよ!」と声を上げて、俺は自分の飯を掻き込んだ。
(あーくそっ! 何で俺がこんなことまで!)
何か恥ずかしいことでもしたような気分だ。そもそも他人に弁当を分け与えるなんて初めてだったのだから、仕方ない。ちらりと甘利を見れば、ブロッコリーを前に固まっている。
「……」
「……なんだよ。ブロッコリー嫌いか?」
「いえ。好きです、けど」
「?」
「春先輩が食べた箸でくれたってことは、これは間接き……」
「だあああああ!!」
言わせねえよ!? 言わせるかバカ!!
(なんつーこと考えてくれてるんだ、こいつは!)
「もう食うな馬鹿!!! 返せ!!」
「嫌です!! これは先輩がくれた愛の証ですから!」
「ちっげーよバカ!! つーか元々は俺のだっつーの!」
「はっ……! つまり、春先輩を形作る成分が俺と同じに――」
「黙れ変態!! もう二度とやんねー!!」
一瞬でも可哀想だと同情した俺が馬鹿だった。
その後、予鈴のチャイムが鳴るまで言い争いを続けた俺は、まともに弁当を食べ終わることもなく、午後の授業に臨む羽目になった。
(あいつ……絶対に許さねぇ……)