時間をかけ、サリーが蕩けて無駄話をしなくなるまで、モーリスは胸を責めるつもりでいた。下も触って欲しいと懇願されるまで、たっぷり時間をかけるつもりでだ。
いくらでも愛でる自信もあり、サリーが時折こぼす嬌声を楽しんでいた、その時だ。
突然、ベッドヘッドに置いてあった二人の情報端末が、けたたましい呼び出し音を鳴らした。
一瞬動きを止めたモーリスは嫌そうに顔をしかめる。
「……招集かよ」
端末の画面を見て、モーリスは項垂れた。
体を起こしたサリーも自身の端末を手にして、何とも言えない表情を見せた。
「集合時間まで一時間……」
「一発抜くくらいの時間は──」
「シャワー浴びましょう」
「おい、愛翔!」
さっさとベッドを降りたサリーはシャワールームのドアの前で立ち止まると、モーリスを振り返った。
「抜いてほしいなら、お願いくらいしなさいよ」
ちょっとだけ悪戯っぽく笑ったサリーは、ベッドから飛び降りたモーリスを見て噴き出して笑った。その姿が、まるでご主人様に尻尾を振るように駆け付ける大型犬のようだと思いながら。
***
吐きだされた熱い息が、白くたなびいた。
小さなウィスキー瓶の蓋を閉め、ポーチに突っ込んだモーリスは星の広がる夜空を見上げていた。
よりによって、年末に変異種が現れなくても良いじゃないか。愛翔とのしっぽり楽しむ休暇はどこに行ったんだよ。そう嘆くことも出来ず、数名の魔装武器使いと共に、今はアサゴからほど近い赤の森で野営をしている。
すでに三日が過ぎたが、報告の変異種は未だ確認できずだった。
「モーリス、交代の時間よ」
「もうそんな時間か?」
「今夜も、現れないわね。警戒してるのかしら?」
姿を現したサリーはモーリスの横に腰を下ろすと、彼が寄り掛かっていた白い
「白雪、ちょっと借りても良い?」
「構わねぇよ。今夜は冷えるからな」
「それと、ウィスキーも頂戴。持ってるでしょ?」
全部お見通しとばかりにポーチを指さしたサリーは、白雪がふさふさの尻尾で二人を包み込むようにして丸くなると、そのぬくもりに頬を緩めた。
「白雪、俺はテントに戻るぞ」
ウィスキー瓶を出しながら、白雪に向かってそう言ったモーリスだったが、もふもふとした尻尾はさらに丸まり、二人を放そうとしなかった。まるでここにいろというような仕草だ。
「ったく……まぁ、野郎共と過ごすよりは、良いけどな」
「エッチなこと、しないでよ」
「それはしろって言うことか?」
「どうしたらそう解釈できるの」
呆れながら、渡されたウィスキーを一口飲んだサリーは、モーリスに寄り掛かると夜空を眺めた。
「今日はずいぶん星が綺麗ね」
「あぁ、新月だからだろう?」
腕の中のサリーを見下ろしながら、モーリスはすんっと鼻を鳴らした。
仄かに香るナッツのようなウィスキーの香りは、自分が飲んでいた安酒のものだろうか。それとも、愛しい人の香りなのか。それを確かめるべく、外套に隠れる細い肩を抱きしめ、ピンクブロンドの髪に顔をうずめた。
「ちょっと、やめて。シャワー浴びてないんだから」
「気になんねぇよ」
「……変な気、起こさないでよ」
首筋に寄せられた唇にふるりと身を震わせたサリーは、返事のないモーリスに眉をしかめた。
「帰ってからでいいでしょ」
「……
「こんなとこで盛るな、バカモーリス!」
顔を引きつらせたサリーは、問答無用でモーリスの金髪を掴むと引きはがしにかかった。
ぶちぶちと抜かれた綺麗な金髪が数本地面に落ちた。
「おい、愛翔! いってーって」
「こうでもしないと、離れないでしょ!」
「……冗談が通じねぇんだから」
「あんたの本気と冗談は、境目がおかしいのよ」
「
「全部剃れば良いじゃない」
「俺の趣味じゃ──」
髪に指を差し込んで、痛む箇所をがしがしと摩っていたモーリスは、ふと手を止めて顔を上げた。それに釣られるようにして、大人しく丸まっていた白雪が尻尾を揺らし、顔を上げる。
「モーリス?」
「今、物音がしなかったか?」
傍らの
***
加速した
ややあって、その足が止まった。
冷気が強くなり、真っ白な毛並みが逆立つ。
舌打ちをしたモーリスは、スクリーングラスの暗視モードを解除し、冷気が立ち込める暗闇に
トリガーが引かれ、激しい銃声の中、飛び散る薬莢が闇夜に消えていく。
「爆ぜろ!」
冷気の中、うっすらと見える黒い影に叩き込まれた弾丸は、輝く魔法陣を生み出し、真っ赤な炎を上げた。
その直後だ。
再びトリガーを引くが、凍える強風が吹きあがった。そして、いくつもの氷の
ガツガツと音を立て、礫は木々の幹に当たった。すると、そこを中心として太い幹がパキパキと音を立て始めた。それを目視したサリーが「凍ってる!?」と声を上げると、白雪は後方に飛びのいた。
つい今しがたいた場所に、いくつもの氷の礫がめり込み、地面は白く凍っていた。
「白雪! あの氷に触れるなよ」
「変異種で間違いなさそうね!」
「愛翔、風で礫の軌道を変えろ!」
「あんたの火の魔法陣の方が良いと思うけど──」
言いかけた直後、強烈な冷気を感じたサリーは、反射的に愛用の鉄扇を構えた。
白く輝いた鉄扇が風を巻き上げ、襲い来る氷の礫が次々に木々の幹にめり込んでいく。
「
魔装短機関銃を構えたモーリスは、白雪の背に積んである
「積んでる弾は何!?」
「捕縛用だ! 俺は、少将ちゃんほど魔精量が多くないからな!」
これが限界なんだと内心で苦笑したモーリスはサリーを横に退避させると、対魔砲弾のトリガーを引いた。
爆音とともに、砲弾は赤い尾を引いて五十メートル先に着弾した。
「
モーリスが叫べば、砲弾は白く光を放って魔法を発動した。
縦横無尽に放たれた光は、まるで網目の様になり、そこにいた巨体を包み込む。
光に照らされ、その魔物の全容がはっきりとした。
太く鋭い爪が光の網にかけられ、引き千切らんと暴れ、ぱっくりと開いた口は空気を裂くような咆哮を放った。
「続けて撃つ!」
暴れる巨体に二弾、三弾と続けざまに砲弾が撃ち込まれた。
青い巨体が地面に這いつくばる。それでも足掻き、唸り声をあげている。光の網は動きを押さえるだけでなく、対象の魔精を吸収する効果もある。それを三発撃ち込まれているのにかかわらず、這い出そうとしているのだ。その底知れぬ魔精量は、脅威と言える。
二人は、ぞわりと背筋を震わせた。
これを野放しにしてはいけない。そう、本能が告げていた。
モーリスは体内の魔精量が目減りしたのを感じ、ずしりと重くなった腕にぐっと力を込めた。
(さすがに、四発連続はきついな。だが──)
再び、標的の青い獣に視線を向け、口から長い息を吐きだした。
魔装武器の弾には魔法が込められている。それを発動する時には、自己の体内魔精を使う必要がある。当然だが、弾の種類や質量によっても消費される魔精量は変動する。小さな銃弾であれば消費量と回復量のバランスは
「代わるわよ!」
「いい! お前は温存しとけ!」
「でも……」
「ちょっと多めの献血と思えば、何てことはない」
少将ちゃん──翁川綾乃がたどり着くまで持ちこたえればいい。そう判断したモーリスは、再び青い獣に照準を定めた。
幾重にも重なった光の網の下、青い獣はまだ諦めていない。
ここで逃す選択肢はなく、追いうちの一発を打ち込もうとしたその時だ。
「モーリス、サリー! 退避を!」
可憐な声が響き渡った。
声に反応した白雪の耳がぴくりと動いた。即座に、モーリスは白雪に左方向へと退避を促す。その直後だ。
白雪が立っていた場所の上空を真っ赤な砲弾が複数、抜けていった。
冷気を吹き飛ばす熱風が巻き上がり、光の網の上、着弾したそれは真っ赤な炎を花を咲かせた。飛び散る炎の一つ一つが花のようだ。それが地面に落ちて広がっていく様は、まるで椿の花が首を落として作る絨毯だ。
凍てついた森を熱風が抜けていく。
「咲き誇れ!」
凛とした号令と共に、青い巨体は炎の花に飲み込まれた。
轟々と燃え盛る炎の中で、断末魔を上げた青い魔物は光の網を抜け出すことが叶わなかった。
次第に動かなくなる様子を見ていたモーリスは、ほっと息を吐くと、後方を振り返った。そこにいたのは、真っ赤な
「お見事です、少将ちゃん」
「いいえ。モーリスの捕縛があったおかげです」
「いやいや、俺の魔精力じゃ、あれが限界なんで、どうしたもんかと困ってたんですよ」
苦笑したモーリスは、魔装短機関銃の弾倉も心もとなかったですしと付け加えると、綾乃の横へと視線を動かした。そこには暗い森に溶け込むような黒い大型装甲獣がいる。その背で、ジンが少しばかり不満そうな顔をしていた。
「俺の出番はなしか?」
「いいえ。変異種を持ち帰るまでが任務です。モーリスの魔精回復に時間も要するでしょうから、ここからは、ジンに働いてもらいます」
にこりと笑った綾乃は、辺りを見渡した。
「どうやら、変異種の血肉を求めて、
「少将ちゃん! そっちは、あたしとモーリスでどうにかするわ!」
「お願いします!」
「ジン、光源を頼む!」
白雪の背から飛び降りたモーリスが叫ぶと、あいよと答えたジンは木々に向けて魔装短機関銃を数発撃った。
着弾を確認し、彼が「輝け!」と叫べば、木々はまるで降誕祭を祝う街路樹のように枝葉を輝かせた。
「モーリス! 追加の弾倉だ!」
走り抜けようとしたモーリスは、投げ渡されたポーチを受け取るとにやりと笑った。その後ろを、白雪を駆るサリーが追随する。
しばらくして、凍てつく森に真っ赤な魔法陣がいくつも描き出された。