満天の星空の中、ピシリパシリと亀裂のように紫電がほとばしっていく。
その様はまるで、稲妻の化身。
見惚れるほどに美しいその姿と、虞れにも近いその迫力。言葉にもできないその幻想的な光景に、慧芽はただただ目を瞠るばかりで。
そんな中、空中を旋回し、放電しきったヴェラが、ゆっくりと下降を始めた。
「姫君! 慧芽殿!」
「克宇様」
ヴェラが下降する先、崩れた地下牢の地盤の直ぐそばに克宇が立って、こちらを見上げている。その近くには門衛が馬典を取り囲むようにして立っており、さらにそのそばに。
『あっ、ダンナサマー!』
どうして今宵、この場所にいるのか、まったく理由も検討もつかないが。
天峯国皇帝・軒炎が毅然とした表情で、空から舞い降りる紫雲竜を待っていた。
◇ ◇ ◇
慧芽を地面へと降ろし、轟っと再び旋風を巻き上げたヴェラは竜の姿から人の姿へと変生した。
ふわふわと夜闇でも明るい紫の髪を綿雲のようになびかせ、白くすらりとした肢体を惜しげもなくさらすと、まっしぐらに自分の番いに抱きついてしまう。
「ダンナサマー! ダンナサマだ、ダンナサマだー!」
「ヴェラ、すまないな。なかなか会いに来られなくて。利口にしていたと、皆から聞いたぞ」
「えへへっ、ヴェラ、ちゃんとおりこうさんしてたんだよ!」
軒炎がさり気なくヴェラの裸体を隠すように抱きしめる。軒炎の目配せで、近くにいた従者がさっとどこからか衣を持ち出してきた。
一方のヴェラは、約ひと月ぶりの番いに大興奮だ。ゴロゴロと犬猫のように喉を鳴らして、軒炎に甘えている。
「さてヴェラ、もう少しだけ利口にできるな。私は少々、やらないといけないことがある」
「ダンナサマ、オシゴトなの?」
「そう、お仕事なんだ」
子供に接するように優しくなだめすかして、軒炎はヴェラの背中に優しく衣をかぶせてやった。ヴェラもようやく慣れてきたのか、自分でもぞもぞと袖を通して衿を合わせ、ぐちゃっとしたものの帯紐もちゃんと結んでみせた。
最初の頃とはすっかり変わって服を着ることを覚えたヴェラに、軒炎は笑みを深める。
「梔慧芽。今宵のことは聞き及んでいる。なんとも災難だったな」
「恐縮にございます」
慧芽は克宇に身体を支えられながらも、なんとか膝を折って皇帝陛下に恭順の意を示した。意識ははっきりとしても、いまだ身体の鈍さが治らない慧芽は所作がひどく億劫そうだ。慧芽を支えている克宇が、常にはらはらと気を揉んでいるのがはたからでもよく分かるほど。
曖昧に微笑んでそっと顔を伏せた慧芽に、軒炎が目を細める。
「さて。本来であれば、私がこの場で直接沙汰を下すのは、法治国家としては喜ばれることではないんだが……竜に関連した法令は、この国にはまだないからな」
誰が呼んだのかは分からないが、ここに皇帝陛下がいる理由は、つまりはそういうことらしい。
おおよその状況を把握しているらしい軒炎は、自分の片腕に抱きついているヴェラの頭をなでると、そのなでた手の平を馬典のほうへと向ける。ヴェラの満月の瞳が、その手を追って馬典へと向いた。
「まずはヴェラ。これはそなたが初めた因果だ。それは理解できるか」
「いんが?」
「そなたが昔、雷で山を崩したせいで、その男の家や家族を壊した。心当たりはないか」
「やま……」
ヴェラはうぅん? と首をひねる。馬典いわく十五年も前のことだ。人間でもそう簡単には思いだせないような過去の話。長い時を生きるヴェラにとってもまた、思いだすのは容易ではないようで。
「ごめんなさい……思いだせないけど、ヴェラがワルイこと、しちゃったんだね」
「私や慧芽が、そなたに無闇やたらと竜の力を使わないようにと言う理由は分かるか。こうして人を憎み、呪う、怨恨の情が生まれるのだと、理解できるか」
「わかるよ。ヴェラ、ちゃんとわかる。けーめーが教えてくれたの」
神妙にうなずいたヴェラが、軒炎から離れて、馬典の前にひざまずく。それからゆっくりと、ふわふわの紫の髪を土に汚して、頭を下げていく。
「ごめんなさい。ヴェラがワルイことしたから、あなたは怒ったんだよね。ヴェラのこと、キライなんだよね。ごめんなさい」
「っ、謝って済まされると思うな!」
「そのとおりだ。よってヴェラには罰を与える」
ばつ? とヴェラがつぶやきながら、身体を起こして首をかしげる。軒炎は揺るぎない為政者の表情で、ヴェラの頭をなでた。
「後宮入りに際し、ヴェラの宮妃の品位を正八品とする」
慧芽はヴェラに与えられた罰の重さに息を呑む。
正八品は最下位の後宮品位。宮妃とは名ばかりで、事実上の下働きの女官に与えられるもの。成り上がりの豪商の娘なら金で買えるような地位であるけれど、貴族の姫であれば侮辱ともとれる扱いに、誰もが口を閉ざす。
本来の予定では、ヴェラには正三品が与えられると慧芽は聞いていた。皇帝のお目見えがかない、大貴族の娘でなくとも成り上がりが許される地位。皇帝の寵愛が許される場所に置かれるはずで、後宮筆頭女官の白梅と官吏の望月とは、その前提でヴェラの後宮入りの手配を打ち合わせていた。
その滑落は、矜持の高い姫君なら死を選びかねないほど。けれど慧芽が愕然とするのと対極的に、ヴェラはあっけらかんとうなずいた。
「しょーはっぴん? いいよ、それになる」