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第35話 おこたの時間

 冬の寒さも厳しくなって、そろそろ炬燵が恋しくなってくる頃。唐突にグルゼフォーンが言った。


「マスター、奉仕をさせていただきたいのです」


「今日の分は時間が余ってるから好きにして良いけれど」


 私が給金としてグルゼフォーンに支払っているのは、アンドロニアンである彼女が持っている根源的欲求、レゾンテートル存在意義を満たすための奉仕だ。これは彼女がやりたいようにさせてあげることにしているので、リクエストは割と柔軟に聞いている方だし、普段の身繕いは時間に含ませていないので今日は丸々残っている。


「そうではなく、まったくもって差し出口ではあるのですが……その……」


「なんだい? 好きに言ってくれて良いんだよ」


「当機のリクエストを……聞いてくださると嬉しい……です」


 珍しく歯切れ悪く言う彼女に、アンドロニアンにも羞恥心というものがあるのかと驚いた。


 まぁ、私への奉仕という報酬になってるんだかなってないんだかよく分からないもので能く働いてくれている上、お賃金も稼いでいる額に比べたら実に細やかな額しか渡していないのだから――これすら私のために使おうとするので困る――お願いの一つ二つ聞いてあげようじゃないか。


 これすら渋ったら、私は明日から「私は従業員の給金をケチる吝嗇ケチ店主です」と首から看板をぶら下げて生きなければならない。


「構わないよ。なにかな?」


「では、これをお召しになっていただけると」


「……何コレ」


「ジャージです」


「いや、それは見たら分かるんだけど」


 待ってましたと言わんばかりに謎技術トランクケースから取り出されたのは、一着のジャージだった。側面が青で中央部分が白のそれは運動服という名目だが、着心地の楽さから前世では専ら体育と縁がなくなると部屋着として流用されていた物であり、腰や肩、手首に謎のハードポイントがあることを無視すれば、よく知っている物と同じだった。


「我々には奉仕欲求というものがありまして」


「それは知ってるけど。ジャージと何の関係が?」


「マスターは仕え甲斐のある主ではいらっしゃいますが、物足りなくも感じることがあるのです」


「どういうこと?」


 いやほんと何が言いたいのだと問えば、彼女はもじもじと少し恥ずかしそうにしたあと、それを着て自堕落にしていて欲しいと言った。


 何でも、アンドロニアン的にはデキる秘書としてバリバリ仕事するのも楽しいのだが、たまには気を抜ききった主の世話を全て熟したいという退廃的な欲求もあるそうだ。そして彼女は、そのためにジャージに着替えた上で、ダラダラしてくれとお願いしてきたのである。


 たのまれてダラダラするってのも何か変な気分だなぁ……。


「よろしければ準備は整えておりますので」


「準備て」


 ダラダラする準備って何だよと思いながら、彼女に宛がった個室に入ると、私は思わず喝采を上げそうになった。


「炬燵! 炬燵じゃないか!!」


「はい、炬燵です。ご存じでしたか」


「ヒトを駄目にする最終兵器!」


 グルゼフォーンの私室には何故か炬燵があった。天板は青いのだがメタリックで諸所に充電用ポートや通信用と思しきポートが空いておりハイテク感が凄い。布団も同じく綺麗な蒼色でかなりモフモフしている。


 この辺りは古き良き日本というより、ハイテク大陸産という感じだな。


「しかも蜜柑まで……」


「取り寄せに苦労しました。栽培プラントが生きていて、今も過去を偲んで作っている農家個体がいたので」


 籠に盛られた蜜柑は小振りでつやつやとしており、一番上に置いてある物には葉っぱつきの枝がある。それが凄く〝分かってる〟感があって凄まじい。


「ささ、お入りください」


「おお……」


 足を入れるとぽかぽかと暖かい。暖炉や焚火に当たっているのとは違う、遠赤外線の熱はじんわりと優しく下半身を温めてくれて心地好かった。しかも掛け布団もマットも非常に触り心地が良く、ふわふわと体を包んでくれる。


「温い……落ち着く暖かさだ……」


「こちらもございます」


「おお……?」


 そういって彼女はトランクから小振りなモニターを取りだした。電源が入ると古い映像媒体らしい、映画配給会社のロゴが現れる。どうやらまだアンドロニアンの造物主がいたころ、彼等向けに作られた映画のデータだようだ。


「おおー」


「こちら前世界で名作と呼ばれた物の詰め合わせで、今回はアクション映画編でございます。まぁ、本土では造物主が死ぬ所を見たくないとして、我々は基本的に鑑賞することはないのですが」


 何その犬が死ぬ映画NG勢みたいなノリ。いやまぁ、ちゃんと帝国語字幕も付けてくれているし――もしかして態々用意したのだろうか――折角だから楽しむとしよう。


 時代設定は恐らく成機大陸でもアンドロニアンが生まれるより前。前世のアメリカを思い出させる街で一人の壮年男性が穏やかに暮らしているところから始まった。グルゼフォーンはアクション映画編だと言っていたのでアレだな、ナメていた相手が実は超強かった系の映画だろう。


 いいね、私そういうの大好き。超人みたいな戦闘能力のオッサンが悪党相手に無双してるだけだから、頭空っぽにして見られるもの。


「マスター、姿勢が良すぎます」


「え?」


「炬燵の作法は少し猫背気味と窺っております」


「細かいね……」


 ピシッとしていないと怒られる世界で長らく生きてきた私には、もう前世でのだらけ方が分からない。おかしいな、店を休みにした日はソファーに寝そべって、ポテチでも囓りながらだらしなーく映画の配信を垂れ流していたはずなんだが。


 まぁいいやと言われるがままに少し猫背になって映画を見ていると、色々見慣れない道具がでてきたりして引っかかるところはあったが、概ね娯楽作品として複雑なことを考えないでも楽しめる物なのでいいな。


 アフリカーンス系っぽい主人公が格好好くて、開始十分でアクションシーンが始まるのが飽きなくていい。しかも、私と同じで周囲にある物を活用して戦うスタイルが気に入った。


「マスター、あーん」


「へ?」


「あーん」


 声をかけられたのでグルゼフォーンの方を向くと、皮が剥かれて筋まで丁寧に取られた蜜柑の房が差し出されていた。ご丁寧に彼女も口を開けているので、下品にならない程度に開けてみると優しく差し入れられる。


 噛んでみると、弾けそうなほどの果汁が口に広がって、濃密な甘みと適度な酸味が広がった。


 これはいいお蜜柑だ。前世で親戚が冬場になったら、食べきれないほど送ってくれたのを思い出す。店でサービスとして出したら「サテンで蜜柑て……」と文句を言いつつも食べてくれたのをよく覚えていた。


 自分でもどうかと思ったけど、一人じゃとても食べきれないから仕方がなかったんだよ。


「おいしい」


「それはよろしゅうございました。では、あーん」


「あむ……」


 鬱陶しくない程度の一定期間で差し出される蜜柑を咀嚼していると、映画は盛り上がってきて主人公の暴力性がドンドンと露わになってきた。彼が通っていた喫茶店のバイトが騙されて借金を押しつけられた上、マフィアに酷い目に遭わされたと知ってカチコミに行くシーンは血と悲鳴たっぷりで、問答無用の暴力が如何に怖ろしいかを改めて実感させてくれる。


 うんうん、分かってるじゃないか。マフィアだなんだのは相手したことがあるが、大抵は暴力を振るうことに抵抗がないだけの素人集団。本物の戦闘訓練を積んだ玄人が「殺す」と決めたら脆いもんだ。


 いいな、格好好くて。私も久し振りに徒手格闘の訓練やろうかな。といっても、この世界じゃ体格が合う相手がいないに等しいから、関節技くらいしか有効打がないんだけども。


「お蜜柑、美味しかったですか?」


「ああ、最高だったよ」


「では、お次はこちらです」


 深皿がことりと置かれた。そこにはこんもりと盛り上がるほどのポップコーンがよそわれていて、心地好い醤油っぽい香りがする。これはバター醤油味か。


「キャラメルとチョコレートもございますが」


「いや、パーフェクトなチョイスだ、グルゼフォーン」


「恐悦至極に存じます」


 その上、飲み物は黒くてシュワシュワしている炭酸飲料。これはコーラかな。ストローで一口啜ってみると、味は似ているが少し違う。ちょっとこう、シナモンというかスパイスの香りが効いていて、工業製品っぽさがない。


 もしかして、いわゆるクラフト・コーラというやつだろうか。態々このために手作りした?


 いや、美味しいからいいんだけどね。


「折角なので肩もおもみいたします」


「ありがとう。何か悪いなぁ」


「いいのです。マスターもたまにはダラダラしていただかないと、体が保ちませんから」


 機械の指がぎゅっぎゅと強すぎず弱すぎず、丁度良い強さで背中と腰の筋肉を解してくれるのが気持ちいい。


 あー、そこそこと言っている間に映画は佳境に差し掛かり、ついには主人公はハンドメイドの武器と、殆ど無手に現地調達でマフィアを皆殺しにしてしまった。


 そして、女の子にお金を残して去って行くのだが、これはもう何かそういう類いの怪異だろ。見かけた悪人絶対殺すマンとかの。


 そうやってだらーっと映画の続編を見続けること三本くらい。私はハッとして背筋を正した。


「いかん! ぼぅっとし過ぎだ! 明日の仕込み!!」


「既に済ませてありますが」


「店主がチェックしないでどうするんだい!」


 このままだと永遠に炬燵の住人となってしまう! 恐るべし炬燵に映画の魔力! 私は足下に取り縋るような暖かさを振り解いて炬燵を出て、意識を切り替えるためジャージから着替えて――このメカパーツ付きジャージ、どうやって洗濯すれば良いんだ――キッチンへと向かった。


 しかし、追いかけてくるグルゼフォーンが、含み笑いを浮かべているのが何か恐い。この子、私に奉仕をしたあと、毎度この笑いをするの、理由を訊く訳にも行かなくっておっかないんだよなぁ…………。


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