次から次へと膳が進んでいく。
『魚料理(ポアソン)』は旬の人気食材、カツオが主役である。カツオのたたきに独特のソースがかけられている。濃厚な味。明らかにフレンチで使われるソースであった。バターの香りがいやに新鮮である。
『口直しの氷菓子(ソルベ)』はその名の通り、シャーベット。冷蔵庫のないこの江戸でどのように調達したのか、程よく冷えた氷菓子がふるまわれる。この時代氷を調達しようと思ったらそれこそ万年雪を運んでくるか―――もしくは―――
「こちらの氷は、さる大名様のお蔵を改造した地下に氷室を作りまして、冬に凍らせた地下水を保管していたものでございます。むろん、このようなものを我々だけが楽しむのは不敬に過ぎますので、様々な方法をとりましてご公儀の方にも献上しております。どうかご安心してお食べください」
美味しい。”令和”以来のアイスを食べる感覚が敬忠の口の中にはじける。そして、『極喰無尽』の手際の良さ。このようなぜいたくを見逃してもらうために、公儀にもパイプがあるということをそれとなく伝えている。
十分袖の下は渡してあるので、心配なく召し上がれというわけである。
次なるは『肉料理(アントレ)』正直この時代の日本人に肉料理はきつかろう、と敬忠は予想していた。フルコースのながれとして肉料理が来るのは当然ではあるが、このようなフレンチの模倣で日本人好みの肉を出すというのは―――
平たい皿が並べられる。牛肉らしい。金さえ積めば牛はこの時代でも食肉として入手することは可能であろう。
「珍しい種類のクジラの肉を軽く焼いたものです。薬味をお好みでつけてお食べください」
牛肉に対する抵抗をなくすためか、それとも隠語なのかクジラとして牛肉を紹介する主人。ローストビーフのようにも見える。脂身はほとんどない赤身である。
口の中に運ぶ敬忠。それより早く瞬が反応する。
「燻製と......香辛料と......ハーブも。フレンチローストビーフのようですが、薬味をマスタードではなくワサビに。主な味付けをフォンやブランデーではなく、醬油をベースにすることで食べやすく、獣肉特有のくさみを抑えてますね」
こそこそと小声で敬忠に伝える瞬。どうやら瞬はフレンチにも造詣が深いらしいことを敬忠は感じる。
それにしても異様な雰囲気。これほど異次元のうまい料理を出されてもなお、場は落ち着いたままである。むしろ一口食べるごとに場が落ち着いていくようであった。まるで麻薬を摂取した常用者のように。
『食後の菓子とお茶(デセール・カフェ)』が最後に運ばれる。菓子はどう見てもケーキ。お茶は黒い液体。当然ながらコーヒーの香ばしいにおいが鼻をつく。
敬忠はそっと竹の匙でケーキを切り取る。先ほども不思議に感じたのだが、全体的にバターの味が緩い。多分この時代の日本人に合わせているのだろうが。牛乳でないとするならば何でこのケーキのクリームを作っているのか。
「豆乳ですね」
先んじて瞬が答える。なるほど。それならば合点がいく。大豆を普段より大量に江戸の人たちは摂っている。あまり抵抗もないはずだ。
「黒い飲み物は『珈琲』でございます。天竺では福禄寿様が好んで飲まれたとか。霊験あらたか、寿命も延びる秘薬でございます」
なんとも怪しげな説明。しかし『極喰無尽』のメンバーは飲みなれているのか、香りを楽しむようにそっと口につける。
口に含みあえて、難しい顔をする敬忠。瞬は手も付けない。
「初めての方はこれは......癖がある飲み物かもしれませんな。お嬢様などは特に」
主人がそれを察して気を遣う。
知られてはいけないのだ。自分たちがこの料理が『フレンチ』であることに気付いていることを。
饗宴の夜はゆっくりとふけていく。『極喰無尽』の宴の中で。