「今回の膳は『満席』という形をとらせていただきます。彼の唐風の食事のとり方で、玄宗皇帝も核のごときでございましょう」
パンと手を打つこの集まりの主催者らしき人物。髷から町人のようにも見えるが、その素性を隠している武家のようにも見える不思議な中年男である。一〇名程度の少人数の集まり。瞬を除いたすべてが男性で、明らかに武士身分の者も見える。刀は携えていなかったが。
障子から二名の女中が膳を運ぶ。小さな椀に小さくもられた料理。
「本日は季節柄とはいえ、ちと暑かったものですから突き出しである『庵無頭(アミューズ)』も冷たいものといたしました」
めいめいに手際よく女中がその椀を配っていく。敬忠のそして瞬の膳の上にも。
「それでは―――いただくと参りますか」
静かに箸をつける面々。少し遅れて、敬忠も椀をとり箸をつける。
椀の中には茄子と―――何やら赤い野菜。少してかって見えるのは何やら油をまぶしているからからか。隣の瞬が目で敬忠に訴えかける。うなずいて敬忠はそっと口にその野菜を入れる。
酸っぱい感覚と、甘い感覚。そして最後にはやや苦味が残る。決して不快ではない。むしろ食欲を増やしてくれるような余韻である。
そしてその赤い果実―――
(まさか.....?)
驚く敬忠に無言でうなづく瞬。懐かしい味。”令和”ではよく親しんだ全く珍しくもない食材。しかしこの江戸の世には食材としては流通していないはずである。
それは―――トマト。
原産地は南アメリカとされる。ジャガイモと同じく大航海時代にヨーロッパにもたらされ、さらには中国にも伝播する。そのルートで江戸時代の日本にもたらされた可能性は大きいが、食材として洗練されるのは明治以降のはずである。それを食用に資すというのはこの時代の発想ではない。
「こちらの赤い食材は、『唐柿』ともうしまして唐の柿でございます。長崎ではそこかしこで栽培されており、当『極喰無尽』では食用になるように工夫をしてみました。使われております油も唐の油『橄欖油』を用いております」
うそだ、と敬忠はこころの中で否定する。唐の柿?そんなはずはない。これは紛れもない、トマト。さらにはオリーブオイルまで用いている。瞬がじっと椀の中を凝視している。多分何かしらの情報を頭に焼き付けようとしているのだろう。
「お粗末でありました。次なるはいつものように『前菜(オードブル)』と参ります。こちらへ―――」
同じように今度はギヤマンのカップが配膳される。中には黄色い煮こごりのような個体で満たされていた。箸ではなく、小さなさじが添えられている。
「......」
無言でさじで煮こごりをすくい上げる敬忠。甘さと甘さ。甘みが少ない江戸の料理にしてはあまりに芳醇な甘さが舌の上を通り過ぎる。一つは果実系の甘さ、もう一つは口の中で反応して甘みを作り出す炭水化物系の甘味である。
「桃と、『南蛮黍(トウモロコシ)』つまり南蛮のキビを粉にして練ったものです。同じく冷やしてありますので、なかなかのものかと」
座より感嘆の声が上がる。
しかし敬忠は複雑な表情でじっと手の前菜を見つめる。
瞬がそんな敬忠の手をそっと握る。
『極喰無尽』―――それに未知の、そしてなにか奥底のしれないなにかを感じながら―――