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第26話 『極喰無尽』への参加

 夜の隅田川の沿い。敬忠は、路地を行く。そばにはぴったりと寄り添う瞬の姿。その前を番頭の装いの青年男性が手には提灯を持ち二人を先導する。身なりや話しぶりなど明らかに町人のそれであるが、敬忠は違和感を感じていた。別になにか確信があったわけではない。感覚的なもの―――とでも言おうか。この青年をあてがってくれたのが紙問屋『新川屋』の主人新川屋三左衛門である。敬忠は蔦屋の言葉を思い出す。

「この『極喰無尽』なる集まり、最近江戸の旦那衆の間で話題になっておりまして。定期的に無尽講を開き、それに参加するとなんとも言えぬごちそうを振る舞ってくれるとか......あくまでも聞いた話ですが、そのごちそうというのがこの世界のものではない、別世界のもののような珍奇なものらしく。商人だけではなく二本指した方、それも結構なご身分の方の姿も見られるとか。ご参考になれば幸いですが」

 その話に興味を抱いた敬忠が訪れたのが、蔦屋に紹介された新川家三左衛門であった。蔦屋とも昔からの古い関係で、蔦屋の紹介状と敬忠の素性を明かすと快く『極喰無尽』への参加をとりなしてくれた。なんでも新川三左衛門は『極喰無尽』の元締めの一人らしい。

 そして二人は新川屋の番頭に案内され、その会場へと足を運ぶこととなったのである。

 どのくらい歩いただろうか。大きな武家屋敷の前に一行は到着する。

(ここは......)

そう、一度だけ来たことがある。記憶力の良い敬忠は思い出す。伊勢亀山藩の下屋敷である。番頭が門番に深々と頭を下げる。ありえないことだが、門番が小さな木戸門を開け三人を邸内へと誘う。

 如何に緊張がゆるい下屋敷とはいえ、あまりに開放的なことに敬忠は違和感を感じる。瞬もそんな敬忠の気持ちを感じ取る。

 屋敷に上がり、誰もいない廊下を進む3人。番頭が万事心得ているように迷うことなく進んでいく。そして部屋に行き当たる。

 障子がするりと空き、番頭は床に付き深々と挨拶をする。

「これはこれは、お聞きしておりました。新川屋さんのご紹介のお武家様ですな。初見とはいえ、ご紹介とあれば大歓迎です。お嬢様もご一緒とすでに聞いております。お二人一緒に。ささ、どうぞこちらへ」

 上座を勧められる敬忠。どうやらこの場の主らしき商人風の男性が敬忠を促す。数人の膳の前を通る敬忠。瞬もその後をついていく。

 好意とも悪意とも感じられない視線。明らかに武家らしきなりのものも見える。この講中の参加者に違和感を感じつつも、敬忠は膳の前に座る。

『極喰無尽』

 蔦屋と新川屋の説明では何やら普段食べれないような珍しいものを振る舞ってくれる会らしい。もちろんそれに対してそれなりの見返りを払う必要があるらしかったが。幸いなことに敬忠は金には不自由していなかった。そして内密に伏せられているとはいえ、その素性も―――親藩の元かろうという―――信用に値するものを持っていた。

「それでは今日の『極喰無尽』を始めさせていただきます。天の『喰神』様に、感謝を込めまして『亜門』」

 聞き慣れない言葉。何かのまじないだろうか。それと同時に参加者すべてが黙祷して、胸に手を当てる。少しの沈黙。そして障子が空き、下屋敷には不釣り合いな女中が新たな膳を運んでくる。

 ―――『極喰無尽』の一席のはじまりを告げて―――

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