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第29話 渾身の一球

 スコアボードに、「0」が五個ずつ並ぶ。うおお、痺れる。

 五回裏を終えて、0-0。

 グラウンド整備、兼、水分補給休憩に入った。


 オレはつい爆踊りして持参の麦茶を飲み干しちまったけど、例のお好み焼き屋の大将が、「飲みな」って冷たい薄め出汁を持ってきてくれた。あざっす。


 汗掻いた身体に、塩っけが染み渡る。


 紙コップ片手に、そろそろ大西先輩が大会三本目のホームラン打ってくんないかなー、もちろん丈士先輩が自分で打ってもいいけど――ってグラウンド眺めてたら。


 ベンチ前でキャッチボールする丈士先輩と、目が合った。

 先輩が目を見開く。

 オレのチア姿、見てる見てる。


「眼福じゃろ」


 かと思うと、ユニフォームの腹をさすった。腹いっぱい? 逆だ、腹減ったのジェスチャー。

 そう言えば先輩、「栄養ありそうなヤツ」が好きって言ってたっけ。


 試合後半に向けて少しでも栄養補給してもらうべく、オレは青いスカートを揺らして飛び跳ね、力と元気をありったけ送る。

 ――先輩はめっちゃ頑張ってます!

 ――先輩は超うどん級ピッチャー!

 ――甲子園は目の前っス、一緒に行きましょ! って。

 声は届かなくても、届くはず。


 試合再開に向けて、集合がかかった。

 部員みんなと円陣組む直前、先輩の八重歯が垣間見えた。

 よし。ちょっとは力になれた気がする。


「……打者二巡したし、配球読まれてきよるなあ」


 出汁入りウォータージャグを抱える大将と、謎おじさんが、そうひそひそ話すのが聞こえたけど。

 たとえストレートってわかっても、先輩の速球は打てっこない。




 って、オレは自信満々だったのに。

 六回も七回も、先輩はヒット打たれて、ランナーを背負った。

 山田部長のサインに首振ることも増えた。


「準決勝までのデータ、相手は七回以降の得点が多かったっけ……」


 試合中に対戦ピッチャーの特徴を把握して、対応する力があるってことだ。

 六回は、ショートの粟野先輩が賢く送球して、送りバントを阻止。

 七回は、センターの大西先輩が長打をダイビングキャッチ。

 そうして無得点に抑えたものの、やきもきする。


 うちが一点取れれば余裕ができるけど、なかなかチャンスをつくれない。

 相手ピッチャー、丈士先輩より球は遅い。でも変化球を効果的に使ってくるんだ。

 八回表なんか、打席に立った丈士先輩もタイミングずらされて、手からバットがすっぽ抜けた。

 そのまま内野ゴロになってアウト。うう。


「とにかくあと二回、守りつか守って


 八回裏。相手は打順九番からだ。

 打率の高いバッターじゃないけど、ファールで粘られる。投球数が増えてきた先輩は、何度も帽子取って汗を拭う。


「ストライク来い、来い……ボールかあ」


 結局、四球で出塁された。

 打順が一番に戻る。一塁側スタンドの相手応援団が、ここぞと声援と吹奏楽演奏で盛り立てる。

 こっちは守備中ででけえ声出せないのがもどかしい。


 二人目のバッターは、送りバントの構え。

 ボールを打つんじゃなく転がして、自分はアウトになるけど確実にランナーを二塁に進める、っていうやり方だ。


 ただし、一番打者は足の速い選手が務めることが多い。相手の一番、内野の守備が球取りづらいところに転がして、あわよくば自分もセーフになろうとしてる。


「粟野!」


 丈士先輩が叫ぶ。

 相手の企みは粟野先輩の守備で何とか阻んで、一アウト二塁。

 ただ、今度はランナーが盗塁の素振りして、丈士先輩の気を散らせる。

 後ろでちょこまかされると気になるんだよな。

 そのせいか、三盗された上に、二番打者にまた四球を与えちまった。


「今のはストライクじゃろ審判……!」


 オレは唇を噛む。先輩はストライクゾーンぎりぎりに投げ込んだと思うんだけど。


 一アウト一・三塁で、相手の強打者、三・四番を抑えないといけなくなった。

 ホームランでも長打でもなく、ヒット一本で失点してしまう。


「あ、部長立った」


 このピンチに、山田部長がタイム取った。マウンドの丈士先輩のもとに向かう。

 他の七人も集まってきた。みんなこんな大舞台ははじめてで、プレッシャーによる疲労もあるのか、足取りが重い。


 でも、丈士先輩がひとつ頷けば、部員たちの顔に安心が広がった。

 それぞれ丈士先輩の背中の「1」をぽんと叩いて、自分のポジションへ戻っていく。


 マウンドでどんな話をしたのかは、さすがに聞き取れない。

 それでもチームメートも、スタンドの応援団も、丈士先輩を信じてる。


「うちにはエースがおるけん」


 仕切り直して、山田部長がしゃが――まない。

 立ったまま丈士先輩とキャッチボールする。もちろんストライクゾーンは外れてる。

 なんと相手の三番打者に対して、あえて四球にしたんだ。


「満塁策じゃ」


 一アウト満塁。

 一見ますますピンチだけど、塁が埋まってるぶんランナーはぜったい次の塁に進まないといけなくて、ダブルプレーを取りやすい。

 要は内野ゴロを打たせればいい。


 オレは、そうくるかって震えた。

 野球がおもしろくて、丈士先輩の強気にわくわくして。


 相手の四番が打席に入る。

 怒りのオーラを発してる。そりゃそうだ、三番じゃなく四番と勝負して抑えようってんだから。


 でもこっちからすれば、左打ちの三番より右打ちの四番のが、右投げの丈士先輩と相性がいい。


 一球目、ボール。 二球目、ストライク。

 三球目、ファール。四球目もファール。

 うちのエースも、相手の四番も、譲らない。

 相手の四番は、あくまでヒットを打つ気だ。四球押し出しを狙ってない。おかげでツーストライクに追い込めた。


「うお!?」


 五球目、あわや死球のボール。声裏返った。

 山田部長が外角低めに構えたミットの、真逆に行った。逆球ってやつだ。手汗で滑ったのかな。


 六球目、チェンジアップがまた高く外れてボール。

 こっちのスタンドからは溜め息が、向こうのスタンドからは歓声が上がる。

「フルカウントになりよった」


 データでは、先輩の制球力は高いのに。

 ……もしかして、先輩、握力だいぶなくなってる?

 さっき攻撃のときバットすっぽ抜けたし、準決勝の後オレのほっぺた触る力も弱かった。

 この県予選、ずっと一人で投げてきてる。


「先輩、真顔やけどえらきつそうや……」


 オレにはわかる。わかっちまう。

 讃岐高ベンチには三年生の控えピッチャーが一人いるものの、丈士先輩に抑えられないものを抑えきれまい。

 名将どころか普通の教頭である顧問兼監督は、動かない。


 七球目、先輩はサインに二回首振る。

 この試合、まだ変化球は出してない。

 振りかぶる。ストレートを投げて、ファール。

 もし打たれなきゃボールだった。ストライクが入らない……。


「オレにできること、何かねえのか!?」


  透明バッグのストラップを握り締める。

 オレばっかり先輩に力もらってる。

 オレも勝利の少年神らしく、先輩の夢を、部員やスタンドのみんなの祈りを叶えろよ。

 って言っても、相手の攻撃中で踊れないし……。


 先輩は気分転換にか、自分の後ろを守る七人の仲間を振り返った。

 オレの目には、快晴の空をバックに、背番号「1」がくっきりと映る。

 いちばんイケメンで。

 いちばんすげえピッチャーで。

 オレの、いちばん好きな人。


「センパイ、勝ったら、キスしたります!!!」


 気づいたらそう叫んでた。

 全力本気ストレートな告白。


 マウンドの先輩が前に――こっちに向き直って頷く。山田部長が出した球種のサインに頷いたんだけど、まるでオレに頷いてくれたみてえ。


 先輩が迷いなく投げたボールは、まっすぐ伸びる。

 先輩の勝負球。

 さっきまでより速い、渾身のストレートだ。


 ――キィン。

 相手も、三年生の意地で打ち返す。

 球が速いぶん、よく飛ぶ。歓声と悲鳴が球場にこだまする。


 大西先輩がフェンス際まで走り、スタンバイした。

 ホームランには及ばない。

 外野フライに抑えた。これで2アウト。


「よし。――あああ!」


 でも息つく間もなくタッチアップだ!

 三塁ランナーが本塁へ一直線に走る。

 野手が捕球したあと、ランナーは次の塁に進むチャレンジができるんだ。守るほうは、ランナーより先に球を次の塁へ届けないといけない。


 大西先輩がグラウンドを縦断するように返球する。

 大西先輩のパワーでも本塁には届かなくて、丈士先輩が中継して、キャッチャーの山田部長に託す。

 スタンドはもうみんな立ち上がってわーわー言ってる。

 ランナーのスライディングで土埃が起きて、間に合ったのかどうかわからない。

 球場中が注目する審判の判定は――。






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