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第30話 初キスの行方

「山田部長、めっちゃ泣きよったっスねえ」

「ん。こっちは逆にスンってなったわ」


 チャリの後部座席で、丈士先輩がうそぶく。

 ほんとは大西先輩みたいに部長からもらい泣きしそうでオレと抜け出してきたの、黙っててあげます。


 昨日の県予選決勝――讃岐高は、0対1で惜敗した。

 八回裏をタッチアップの一失点で食い止めたものの、九回表に得点できずじまいだった。


 でも、春の準決勝と同じスコアだけど何倍も苦しかったって、相手監督が試合後のインタビューで語ったらしい。

 スタンドも春と違って、誇らしげな拍手が鳴りやまなかった。


 交換しそびれた、先輩から預かったボールは、未だオレの部屋にある。


 そういうわけで、行きつけのお好み焼き屋での、県予選の打ち上げ兼甲子園の壮行会は、部を引退する三年生の慰労会に替わったんだ。


 山田部長は慰労会の間、ひたすら「ありがとう」って泣いてた。

 悔しいでも、ふがいないとかでもなく、ありがとう。それって全力出しきれたってことで、かっけえ。

 丈士先輩の耳には、先輩が讃岐へ来たことの肯定にも聞こえただろうな。


 丈士先輩は、みんなの前で泣くのはがらじゃないのか、それとも責任を感じてるのか、ふらりと店を出た。

 オレもついてって、チャリに乗せてあげて。

 言葉少なに、海目指して漕いできた。


 市役所の駐車場にチャリ停めて、防波堤の先端まで歩く。


「やけど、謎おじさんが『さぬき』の先代大将やったの、まじびびりましたよね」


 先輩に笑ってほしくて、オレはわざと明るい声を出した。

 今日お好み焼き屋の暖簾くぐったら、なぜか大将の隣に謎おじさんがいた。

 この一年間頑張ったなって、『さぬき』の幻メニュー・角煮味玉ハンバーグうどんを振る舞ってくれたんだ。

 しかも、お好み焼き屋の大将が甲子園出場したときの監督だっつーんだから、ひっくり返った。


「ん」


 先輩はちっとも驚いてない声で、相槌を打つ。

 実は決勝直後は、「センパイが頑張ったのぜんぶ見よったっスよ」って声も掛けられなかった。完全に燃え尽きてそこにいないみたいだった。


 ひと晩経って、幻うどんとお好み焼き食ってるときはいつもどおりだったのに。

 やっぱり灰になった身体を潮風に持ってかれちまいそう。オレは思わず先輩の手にしがみついた。


「ん?」

「あ、えーっと」


 目が合って、心拍数が上がる。

 先輩はちゃんとここにいて、手も熱い。


「す」

「す?」

「すすっス……ストレート、すごかったです」


 うああ。野球部員じゃないのに慰労会呼んでもらえたから、今日こそ先輩に「好き」って言うぞって、勇んで来た。

 それが、「好き」の気持ちが大き過ぎて、どうにも喉につかえてる。


 決勝のスタンドではあんな大胆なこと言えただろ、オレ。ほら。ほらほらどうした。


「!」


 情けなくも口ごもる間に、先輩が自分の手を上にして握り直してきた。

 指先の硬いマメの感触がする。


「蒼空さあ」

「……ハイ」

「甲子園行けなかったら、キスしてくんねえの?」

「キ、きこ、えええ!?」


 オレは悲鳴を上げざるを得ない。

 昨日のスタンドで叫んだ一言。

 帰り道に、「いやオレのキスで先輩が奮い立つわけないじゃろ」って正気に戻った。

 大声援に紛れてセーフ、って思ってたんだけど……。ぼっと顔が熱くなる。


「聞こえよったんスか」

「ん。だからあのストレート投げれた。今の俺にはあれ以上は投げれない」


 先輩は相変わらず真顔ながら、その指先がわずかに震えた。

 勝ちたかった。全力をぶつけた。でも勝てなかった……。

 オレは反射的に先輩の手を握り返す。


「全力でやっても手に入らんもんって、あるんスね」

「ん。でも簡単に手に入らないほうが燃える。俺の欲しいもんはそれだけ価値があるって」


 先輩は不敵に笑った。

 ああ。これ、うずうずの震えだ。先輩は昨日の負けを、終わりじゃなく始まりにしようとしてる。

 その姿勢に、オレはいつもわくわくする。もっと、ずっと、一緒にいたい。


「そなん丈士センパイが、大好きじゃ」

「やっと聞けた」

「え? ……あ」


 気持ちが無意識にあふれてた。

 先輩の声が嬉しそうで、オレもふへへ、と笑う。

 好きな人に好きって言うまではめちゃくちゃ難易度高いけど、言えたら言えたで楽しくて、もう一回、もう一億回でも言いたいって思う。


「好きって、毎日食うても飽きんうどんみたいっス!」


 つないでる手をぶんぶん振ってはしゃぐ。丈士先輩も吹き出した。


「じゃあ、超うどん一口味見してみ」


 超うどんって? と問う間もなく、唇にやわらかいものが押し当てられる。

 あったかくて、癖になる匂いをまとった――丈士先輩の唇だ。

 ででで、出た、速球派!


 息は勝手に止まったけど、顔の筋肉の動きも止まって、目ぇ閉じらんない。先輩、至近距離でもかっけえ。


 日高蒼空、初彼氏と早速ファーストキスしちゃいました。

 名残惜しくも、体温が離れていく。


「超うどんの味、どう。幻うどんとどっちが美味い?」


 先輩が悪戯っぽく尋ねてくる。オレは真剣に考えたものの。


「はじめてで、よくわかんねっス。やけんもう一口……」


 おずおずおかわりをねだる。

 先輩は、オレの腰をぐいっと引き寄せた。早口で「蒼空がかわいいことすっからだからな」って言うや、オレのほっぺたに手も添えて、さっきより長くキスしてくれる。


「ん……、ぁ、」


 あむあむ食われてる。オレもめいっぱい背伸びして味わわせてもらう。

 胸が「好き」でふくらむせいか、風船みたいにふわふわして、やっぱり味はわからない。気持ちいいってことだけ確か。


 熱い息が交じり合う。

 最後は、ちゅってリップ音つきだ。さすが先輩。


「……ちなみに、オレの味はどうっスか?」


 オレは先輩の胸にくっついたまま、ちょっと気になったことを訊いてみた。


「甘いよ」


 間髪入れず答えが返ってくる。

 へえ、甘いんだ。

 先輩のそばにいたり先輩のこと考えたりすると身体が甘くなるの、オレの気のせいじゃないのかも。


「俺がぜんぶ食う」


 ぜんぶ!?

 頼もしくも怖ろしくもある宣言と同時に、先輩のスマホが鳴った。


 先輩は画面も見ずに通話拒否したけど、また鳴る。

 今度は通知音だ。

 先輩がしぶしぶといったふうに制服のポケットから取り出す。

 先輩にくっついてるオレにも画面が見えた。


[監督が締めの挨拶するけん、いったんいちゃつくの終わりにしまいー]


 粟野先輩からのLINEだった。

 そっと抜け出したのに、何してるかばれてる……!


「み、店、戻らんと」


 オレは急に恥じらいが湧いて、丈士先輩の腕を引っ張った。

 でも先輩はゆったりとしか歩いてくれない。粟野先輩に返信するでもなくスマホ見てる。それで気づいた。


「そのロック画面」

「ん。蒼空は、快晴の空の色が似合う」


 先輩のお父さんが撮ったのだろう、県営球場でチアボーイしてるオレの写真だ。

 先輩は意外と、「お互いの画像をロック画面にする」みたいなカップルあるあるをやってくれるっぽい。


「阿母に『スタンドにいんの見つけろ』って言われる度に、ピッチングに集中してるし人多いし無理だろって思ってたけど、蒼空は一瞬で目に入ったわ」

「ふふん。それほどでも、あります」


 オレが素直にかわいさを誇れば、先輩はまぶしそうに入道雲を見上げる。


「八月は、練習休みの日もあると思う」

「んじゃ、オレと遊びましょ」

「遊ぶときスカート穿く?」


 かと思うと、先輩がにやりと笑った。


「す、え、えっち……!」

「は? 健全じゃん」


 甲子園に行けなかったのをいつまでも引き摺ってほしくもないけど、恋に全力出し過ぎじゃないですか?

 まあオレも、いろいろ期待してないって言ったら嘘になる。

 先輩と一緒の夏休みは、絶対楽しい。


 とにかく、チャリ目掛けて走る。先輩がすぐ追いついて横に並ぶ。

 くすくすと笑い声がこぼれる。


 目の前に、速球派彼氏と過ごす、はじめての夏が広がっている。



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