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高一秋冬 初恋人編

第1話 夏休みの花火大会

「まだ、おる」


 八月の空を、縁側から見上げる。

 くわえていたチューチューアイスが空っぽになった。寝返りを打ち、ゴミ箱目掛けて放る。

 ――外れだ。丈士先輩みたいなストライクは、そうそう投げられない。


 ゴミ箱の縁に掠りさえしなかったアイスの残骸を、立ち上がって捨てる。

 ついでに台所で麦茶注いで、冷凍庫の氷を項に当てる。


「うひゃ」


 Tシャツの背中を、冷たい水滴が伝った。

 年代ものなりにフル稼働のクーラーの前を通り過ぎ、縁側に戻る。


「まだ、居座っとる……!」


 オレは再び曇り空を睨み上げた。

 雨を呼びそうなどんよりした雲が、空一面に立ち込めている。


「蒼空兄ィ、そなんそんなにすぐお天気変わらんよ?」


 居間の座卓で夏休みの宿題に取り組む妹の美羽に、冷静に突っ込まれてしまった。

 そりゃ、オレだってわかってる。わかってるけど。


「そっちがそのつもりならなあ!」


 オレは雲を指差すと、自室に駆け込み、押し入れの衣装ケースをごそごそ漁った。




 その夜。ついにぽつぽつ雨が降り始めた。

 オレは構わず縁側の雨戸を一枚開け、青いミニプリーツスカートをひるがえす。


「かっ飛べ、雨雲、かっ飛べ、台風!」


 真っ黒い空に向かってチアダンスする。

 居間のテレビから、[台風十号の進路は変わらず、今週末の空は大荒れとなるでしょう]って天気予報士の声が聞こえるけど、あくまで予報だし。


「ホームランで飛んでけー!」

「蒼空兄ィ、……うわ」


 全力で踊っていたら、翼が居間の引き戸から顔を出した。

 お兄サマに向かって、ドン引きって顔すな。

 ダンスは止めずに「何や」と用件を問う。


「スマホ鳴っとるわい」


 賑やかなスマホを差し出される。

 発信者名を確認すれば――「彼氏」。

 丈士先輩だ! 慌てて応答する。


『? 何してンの』


 先輩と話すとき、いつもビデオ通話。

 今日は画面が真っ暗だからだろう、怪訝そうに訊かれた。


「台風を応援しとったっス」

『は?』

「応援したったら、うず巻くスピード速うなって、しゃんしゃんさっさと通り過ぎてくれるかもって」


 オレの熱弁を受け、ベッドに寝転がる丈士先輩の凛々しい眉毛が持ち上がる。片手で口もとを覆いもする。


『巻くって。日曜の花火大会、そんな行きたいん?』


 花火大会。

 その字面を思い浮かべただけで、オレはわくわくうずうずが止まらない。

 讃岐さぬきでは、毎年八月に花火大会が開催されるんだ。


『一緒に行きましょ、センパイ!』

『ん。夜だから練習もないし、いいよ』


 七月の祭りは、甲子園の県予選が重なっちまったのもあって一緒に回れなかったから、絶対行きたい。

 ……今は恋人になれたし。


 その割に、先輩は秋季県大会に向けた練習がもう始まってて、デートらしいデートは一回もできてない。

 ようやく約束できた花火大会なのに、雨天中止とか泣く。


「はい。センパイは、そうでもないっスか?」


 躍起になってるの、オレだけかな。

 さっきの表情とか、呆れてたような……。

 先輩は歴代彼女さんと花火大会くらい行ったことあるだろうし。


『いや。応援頼むわ。けど風邪引くなよ』


 ごそごそと衣擦れの音がして、先輩がうつ伏せになる。

 優しい眼差しと、息遣いが、近い。

 それにこのアングル……オレにはちょっと、刺激が強い。


任しまい任せてください。じゃ、おやすみなさい」


 オレは逆に縁側に正座して、日課のおやすみ通話を切り上げる。

 爆踊りしてたせいじゃなく、いつまでも心臓がうるさかった。






「オレのチア、効果絶大じゃなあ~」


 二日後、十八時半、琴電の駅前。

 オレは満面の笑みで、丈士先輩と落ち合った。


 懸念の台風は、午前中に讃岐上空を通過してくれた。

 オレの応援が効いて、駆け足で本州へ北上してったってわけ。

 まあそのぶん、昨日は予報を超える土砂降りで、田んぼ守るのにてんてこ舞いだったけどな。


「ん」


 センパイはデニムのポケットに入れていた手を片方出して、労うようにオレのうどん肌ほっぺを撫でてくる。


 私服姿のセンパイ、かっけえ……。

 スポーツ刈りが結構伸びてきたのが似合うし、日焼け肌に無地の白Tシャツが様になってる。

 オレは抑えきれず、むふふんと顔がふやけた。


「何?」

「オレの彼氏かっこええな! って」

「そ」


 先輩がかすかに笑う。喜んでくれてるのがオレにはわかる。

 弾む足取りで、海岸に向かった。

 花火は海上の船から打ち上げられるんだ。


 夕方から砂浜にレジャーシート敷いて場所取りしてるグループもいるけど、地元の人しか見物に来ないから、急がなくて大丈夫。


「蒼空は、甚平じゃなくて浴衣なんだな」


 薄暮の道を歩きながら、先輩がオレの新品の浴衣を摘まんだ。

 明るめの藍色の生地に、太さの違う白い縞模様が入ってる。


「だって、センパイが着てほしそうやったけん」


 ちゃんと気づいてくれた。

 こないだの日曜、美羽の初浴衣を口実に、高松まで母ちゃんを引っ張ってって買ってもらった甲斐がある。

 夏休み後半は、今後のデート資金のためにバイトしないとな。


「俺が?」


 と思いきや、先輩が小首を傾げる。

 オレはすかさず口を尖らせた。


「スカート穿く? って言うたやないですか」


 言いながら、顔がかあっと熱くなる。

 厳密には、浴衣はスカートじゃない。

 でも甚平より好みかなって、着慣れないのを頑張って着てきたのに。


 先輩はぱちぱち瞬きしてやっと思い出したのか、「あー」って八重歯を覗かせた。


「脚、後で見してもらうわ」

「あああしあと!?」

「ウソだよ」


 ……また揶揄われた。

 先輩の左肩をべしべし叩く。野球に使う右腕以外は容赦しねえ。


 でも、その手をあっさり捕まえられ、するする握り込まれた。

 丈士先輩と、手ぇつないで歩いてる。

 先輩は何てことない顔してるけど。オレは許すとかぜんぶ吹き飛んで、手のひらにじんわり汗を掻く。


「ええんスか?」

「逆にだめなん?」

「……だめやないっス」


 同じく海岸に向かってる人たちは、花火が楽しみで、周りのことなんてそれほど気にしてない。

 丈士先輩は、浴衣で歩きにくいオレに合わせて、ゆっくり歩いてくれた。

 オレの彼氏、改めてかっけえ。


 視界が開ける。

 瀬戸内海は、台風の脅威なんてありませんでしたけど? って感じの穏やかさだ。

 貝殻の欠片まじりの白っぽい砂浜を見渡す。


「蒼空、こっち」


 ちょうど空いてるスペースを、先輩が目ざとく見つけた。

 並んで腰を下ろす。


「ん」


 しかも、オレの尻の下にビニール袋まで敷いてくれる。

 駅前のコンビニで買ったっていうアイス提げてたんだけど、屋台で買わなかったの、このためもあったのかな。


「浴衣だと姿勢辛いだろ。寄っかかれば」

「……あざス」


 丈士先輩、優しくて、大胆だ。

 片足を立てて座る先輩に、オレはそろそろと身を寄せる。


「はわ」


 途端、思いきり引き寄せられた。

 前に日高家で一緒に夕飯食ったときの美羽ばりに、先輩の膝と胸板を占める体勢になる。


「お、重う重くないですか」

「ぜんぜん」


 頭の上から、頼もしい声が返ってくる。

 ……へへ。じゃあ遠慮なく。


 ラムネ味のカップアイスを、二人羽織りみたいに交互に口に運ぶうち、花火開始のアナウンスが流れた。


 ぱあっ、と。

 台風一過の夜空に、惜しみなく大輪の花が咲く。

 赤、青、黄色。余韻を残すしだれやなぎ。

 低い位置に流れ星みたいに光が走ったと思ったら、高い位置で拡散する。


「見てつかさい! 超けっこいきれいわいな」

「見てるって」

「オレのこと見とらん?」

「見てる」


 どっちの意味だ?

 視線を空から先輩に移すと、目が合った。

 ……やっぱりオレを見てる。

 上下逆さまの先輩の顔が、だんだん近づいてくる。

 お互いの息がかかりそうな距離まで――。


「お、付き合いたてのカップルがおる」


 聞き覚えのある声に、ばっと顔を逸らす。

 振り返れば、粟野先輩たち野球部二年の面々が、屋台のかき氷片手に立っていた。


 オレは焦って姿勢も変えようとしたけど、丈士先輩の腕力にはかなわない。

 それを見た粟野先輩が、ますますにやにや笑う。


「いちゃついとる場合かいな?」

「そっちこそ」

「おれは部長でもエースでもないしー」


 溜め息を吐く丈士先輩の横顔を、色とりどりの花火が照らした。

 どぉん、と打ち上げ音が腹に響く。

 溜め息は冷かされたから、だけじゃない。

 実は讃岐高野球部は今、とある問題に直面している。




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