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第3話 新しいパートナー

 食い入るように甲子園中継を観ていた大西先輩と粟野先輩が、視線を目の前の部員に移す。


「もちろん」

「てか午後、全員一回捕球してみー」


 大西先輩の重々しい許可にも、粟野先輩の鷹揚な補足にも、きちりと頭を下げる。

 一年生だ。


「三組の岩田いわた、だっけ」


 オレは一応持ってきてる、データ班用のノートを引っ張り出した。

 効果的にデータを活用できるよう、部員全員の基本情報と特徴をメモしてある。


 讃岐リトルシニア出身。

 高校入学前から硬式野球の経験があるんだ。

 もしかしたら、丈士先輩が転校してきたのを見て、一緒に野球したいって讃岐高校に入ったのかもしれない。

 ただし大西先輩たちと違って、リトルシニアでは控えだった。


「俺、先行くわ」


 丈士先輩は中継を最後まで観ることなく、視聴覚室を後にする。

 早く練習したい、思いっきり投げたいって背中。

 それを岩田が追う。さらにオレも追う。


 グラウンドに出た先輩は、胃がびっくりしないよう、少しずつウォーミングアップする。

 岩田は暑さをものともせずキャッチャーの防具を身に着け、丈士先輩が投げたくなったらいつでもどうぞって態度で示す。


 まさに丈士先輩がマウンドに立った。

 岩田が捕球体勢をとる。


「すでに以心伝心って感じ……」


 オレのつぶやきを吹き飛ばすみたいに、先輩がストレートを投げ込む。

 岩田は危なげなく、捕った。


「あの一年、なかなかええんやない?」


 相変わらず猫のごとく音もなく背後にいた粟野先輩の表情が、明るくなる。


「もともと外野の控えで、肩が強いのもええですね。身長も伸びとります」


 山田前部長に厳しいコメントしてた杏奈ちゃんも、前向きだ。

 キャッチャーは盗塁を阻止するために二塁や三塁に球を投げる必要があるから、肩が強いと武器になる。


「身長はオレだってこれから伸びる予定じゃわい」


 つい無駄に張り合ってしまった。

 バッテリーの二人はそんなの知る由もなく、投球を続ける。


 三球目には、パァン! と気持ちよくキャッチャーミットが鳴った。

 この音、キャッチャーの捕り方ひとつで変わるらしい。

 いい音がしたほうが、当然ピッチャーは嬉しいわけで。

 実際、マウンドの丈士先輩は満更でもなさげに、口角が上がってる。


「ええな。てか、岩田しかおらんな」


 トライアルを見に降りてきた大西先輩が、太鼓判を押す。

 後ろに続く一年部員は、丈士先輩の速球を捕らなくてよくなってほっとした顔だ。


 こうして、新チームのキャッチャーは、岩田に決まった。

 岩田にとっては外野の控えからレギュラーに昇格した形で、二年の先輩に遠慮しつつはにかんでいる。


 野球部いちばんの問題が解決したのは喜ばしいこと、だけど。

 さっき、マスクの隙間から見た光景を思い返す。

 丈士先輩の真剣な顔と、きれいなフォーム。

 特等席で先輩が野球してるところ見られるの、ちょっと、かなりうらやましい。


 オレが出しゃばるところじゃないのは頭ではわかるのに、山田前部長相手にはこんな気持ちにならなかったのに、胸の雨雲みたいなもやもやがどうしても晴れなかった。





「日高……くん。昼休み、時間あるかいな」


 さらに翌週、二学期初日。

 体育館での始業式を終えて、ぞろぞろ教室に戻る途中、岩田に話しかけられて驚く。


 オレは情報科で、岩田は電子工業科。

 一学年の人数は多くないとはいえ、クラスが違うとほぼしゃべったことはない。 


 岩田は周りよりほんの少し背が高いものの、運動部としては普通で、目立つタイプじゃない。


 まあそれ言ったらオレも平凡な男子高校生だけどな。

 チアボーイは評判だったにしても、二学期になってオレのファンが現れたりとかはしていない。

 ましてや野球部員じゃないオレに、何の用だろう。


「うん? 少しなら」


 とりあえず頷いてみせる。

 丈士先輩との弁当タイムは、別に集合時間が決まってるわけじゃないし。


 というか、夏休み後半も結局、電話はしたけどデートには誘えずじまいだった。

 野球に集中したいだろうなって、どうも躊躇っちまう。

 ……この「野球を優先してもらわないと後ろめたく感じる」問題、先輩と付き合い始めたオレの課題かも。


「少しでええわい。じゃ、あとで」


 岩田は安堵するように息を吐き、三組のグループに戻っていった。


 何だ……?

 オレは我に返って、人込みを掻き分ける。

 二年の教室へ向かう丈士先輩の左腕に、そっと触れた。

 丈士先輩は、どこにいてもすぐ見つけられる。


「あの。今日の昼は、弁当先に食べよってつかさい」

「……なんで」


 業務連絡したら、あからさまに機嫌が悪くなった。

 オレの腹の中で、無実ですって気持ちと、ちょっぴりの嬉しさが入り混じる。


「岩田が、何か話あるみたいで。速攻で済むっス」

「ふーん。わかった」


 先輩は納得してくれたんだかそうでもないのか、オレのうどん肌ほっぺをむい~と摘まんで堪能した末に、階段を上がっていく。


 それを目撃した女子の先輩が、「林、あの一年のチアの子とめっちゃ仲良うなっとらん?」ってひそひそ言い合う。


 オレは何もリアクションできず、悪友の英翔に合流しようとして、それも途中でやめた。


 英翔は夏祭りでできた彼女と、一組と二組の間で名残惜しそうに話してる。

 他のやつらも二人に気を遣って、割って入らないようにしていた。


「あの二人の仲、自然に広まったよな」


 オレと丈士先輩が恋人になったことは、なぜか粟野先輩に早々にばれて、野球部の先輩たちだけは知っている。

 それ以外は、英翔にもまだ言えてない。

 あのとおり自分の恋に夢中だし、信じさせるのに手間がかかる。


 丈士先輩は、別に隠してないと思う。

 かといって、高校の廊下で「付き合いましたー!」って宣言するのも違うし。


 先輩は、素直な好意を届けるだけの自信を、オレにくれた。

 胸を張って先輩の隣にい続けたい。

 どこにでもいるやつがなんで? って思われない存在でありたい。

 それでいて先輩には野球に打ち込んでもらって……。


「ぜんぶ叶えるの、難しゅうないか!?」


 オレは廊下のはじっこでひとり、茶毛をくしゃくしゃ掻き回さざるを得ない。


 告白も両想いも、はじめて恋するオレにはハードルが高くて、たくさんのエネルギーが必要だった。

 でも付き合って終わりじゃなく、始まり。

 乗り越えなきゃいけないことはまだまだある。


 ――そのひとつが先輩の「新しい女房役」だとは、このときはうどん一本分も思っていなかった。




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