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(十)

 生徒会室の壁際に並んだロッカーのひとつは、掃除用具入れだった。


 ほうきやちりとり、モップなどが立てかけてあり、それらを片側に押しやるとぎりぎり二人分のスペースができた。


 そこにみくにと拓真は身を寄せ合う格好で収まっている。


「なにを……してるっ」


 扉の小さな長方形窓から差し込む明かりのおかげで、互いの姿がうっすら見える中、拓真のいきどおりが聞こえた。


「いや、見つかったらやばいかなって、つい」


「やばいのはおまえだけだろ。僕は生徒会長だぞ」


「あ、そうだった」


「出る」


 あきれ返った拓真が、ロッカーの扉を開けるより先に、生徒会室のドアが開いた。


 みくにがあわてて拓真を引きとめる。


「ダメ、見つかっちゃう」


 腕に力いっぱいしがみつくと、拓真は「ぐっ」と喉の奥でうめいた。


「相変わらずの馬鹿力め」


 拓真が忌々しそうに呟いたときだった。


「珍しいわね、生徒会長もいらっしゃらないなんて」


「うん」


 女性ふたりの声が、ロッカーの外から聞こえてきた。


「この声は……」と、囁くみくににつられたのか、拓真も声を潜めた。


岸辺野きしべの姉妹だな。おまえをいちばん目の敵にしている」


 小窓から覗くと、モデルのようにスラリとした立ち姿の女子生徒と、その傍らに背が低く、おかっぱヘアーの少女がたたずんでいた。


「ホントだ……岸辺野シスターズ、これはますます見つかるわけにはいかない」


 岸辺野沙織さおり香織かおりの姉妹。


 二年生の沙織は生徒会副会長を、一年の香織は会計を務めている。


 とくに沙織は拓真の右腕と評され、その実務能力は会長に引けを取らないともっぱらの評判だ。


 すでにTOEICでスコア800点以上を取得したという噂もある才女。


 香織は華やかな姉に比べると目立つ生徒ではなく、常に沙織の陰に隠れている印象がある。


 が、中学一年時から剣道の全国大会で優勝し、三連覇を果たしたというからただ者ではない。


 たしかに控えめながらも、その凛としたまなざしは剣士という雰囲気がある。


 そして姉妹はとりわけルールに厳しい。


 というより、そのルールを破って生徒会室に出没するみくにに厳しい。


 用もないのに(みくに的には拓真に会うという大切な用があるのだが)訪れるみくにを、それはもう容赦なく追い出す。


 みくにがどれだけ懇願しても、ひと目でいいから拓真に会いたいとすがっても叩きだされてしまう。


 まあ、こればっかりは彼女たちが正しいので文句は言えないのだが。


 そんな姉妹に、ロッカーに隠れているのがばれたら大変だ。


 みくには青ざめた。


 間違いなく怒られる。

 教師に報告されるかもしれない。


 そしたら拓真もそしりをまぬがれず、迷惑をかけるのは必至だ。


 ていうか、生徒会長をロッカーに引きずり込んだなんて知られたら、いろいろまずい気がする。


 そっと小窓から外を窺うと、沙織は長机の椅子に腰かけ、香織はその横に物言わず立っている。


 姉妹と言うより、お嬢様と使用人みたいだ。


 沙織はバッグから参考書を取りだすと、ページをめくりだす。


「例の件はどう?」


 参考書に目を落としたまま、沙織が口を開いた。


「わたくしたちの保安委員会は計画通り動くかしら?」


 生徒会直轄保安委員会。


 生徒たちの校則違反を取り締まったりしているが、近頃その締め付けが強すぎて生徒たちから不満の声が出ている。


「こっちは、いつでもはじめられる」


 わずかに口の端を上げて答える香織に、沙織は満足気にうなずいた。


「排除、するわよ」


「うん、排除」


 岸辺野姉妹のやりとりは、みくにには意味がわからない。


 けれど“排除”などという単語に胸騒ぎがして、密着している拓真の横顔を窺った。


 拓真はドアの小窓から姉妹を見つめ、いくぶん眉根を寄せている。


 みくには拓真の耳元で囁いた。


「彼女たちはなにを話しているの?」


 拓真はロッカーの外に目を向けたまま、少しだけ頭を横に振った。


「僕が知るわけないだろ」


 拓真も小声で応えたが、その視線が一瞬泳ぐ。


 長年、拓真を追いかけてきたみくには、彼には保安委員会関連で知っていることがあると直感した。


 まあ、生徒会直属の組織だから、生徒会長の拓真がなにか知っていてもおかしくはない。


 それどころか、彼から保安委員会に指示が出ていることも充分ありうる。


 けれどそれを拓真に尋ねても、教えてくれるようなひとではないことも、みくには知っていた。


 拓真くんって口が堅いし、信念揺らがないし。

 やっぱかっこいいなあ。


 ロッカーの暗闇の中でニヤニヤしていると、不意に拓真の腕がみくにの肩に回った。


 え?


 拓真の腕は、密着していたみくにをさらに引き寄せるように頭を抱く。


 そのとき故意か偶然か、拓真の手のひらで耳を覆われ、もう片側の耳は彼の肩に押し当てられて塞がれた。


 が、常人離れしたスーパーガールの聴覚は、その状態でも周囲の音を拾うことができた。


「決行日は明日よね?」


 沙織の艶のある声が、わずかに緊張を孕む。


「必ず、なしとげる」


 応じた香織の声もまた、覚悟をまとったものだった。


 決行日? なしとげる?


 岸辺野姉妹の発言が心に引っ掛かる――のだが、それも高鳴る胸の鼓動によって追いやられてしまう。


 ドキドキが止まらない。


 なにせ狭くて暗いロッカーの中で身を寄せ合い、大好きな彼に抱き寄せられているのだから。


 興奮するなと言うほうが無理だ。


「た、拓真くん」


 囁きは熱に濡れ、潤んだ瞳に彼を映す。


 拓真は相変わらずロッカーの小窓から外を窺っている。


 その横顔の凛々しさに胸がときめく。


 ああ、こんなところで抱き合ってるんだもん。

 もうあたしら恋人同士じゃん!


 みくにの発想が飛躍していく中――さわ――と、みくにのお尻が撫でられた。


「!?」


 そ、それはダメだってば拓真くん!

 いや、あたしはいいんだよ! ウェルカムなんだけど!

 生徒会長がそんなことしていいの!? ……――いいか!


 ていうか、あたしも拓真くんを触りたい! めっちゃ触りたい!


 我慢できず、身をよじった拍子に自分のお尻に触れていたのは拓真の手ではなく、倒れてきたモップだとわかった。


 しかもそのモップのが壁にあたり、わずかに音を立てる。


「!?」


 みくにがぎくりとする中、沙織の怪訝な声が聞こえてきた。


「ねえ、今なにか物音が聞こえなかった?」


 その声を受けて、香織がロッカーに近づいてくる。


 生徒会室のロッカーは全部で五基。

 みくにたちが身をひそめているのはいちばん右だ。


 香織は左から順番に開けだした。


「そんなところには誰もいないでしょ」


 沙織の苦笑交じりの声が聞こえたが、香織の手は止まらない。


 二基目のロッカーを開け閉めする。


「いないと思う。でももし隠れて会話を聞かれていたら……」


 いたらどうなるのだろう?


「八つ裂き」


 こわっ。


 背筋がぞくぞくするが、逃げることもできない。


 ロッカーはすでに三基目を開けられ、隣のロッカーが開く音も聞こえてくる。


 すがるように拓真を見ると、拓真は微塵も動揺した様子がなく、クールな瞳と目が合った。


 こんなときも動じないなんて、ステキ!


 こんなときにも恋心をあふれさせるみくにの首元になにかが触れた。拓真の指だ。


 え? なに? 拓真くんもあたしへの恋心あふれちゃった!? 我慢できなくなった!?


 みくにの興奮は最高潮に達したが、期待に反して拓真の指はすぐにみくにから離れていく。


 あ、あれれ?


 しかしみくにが寂しいと思う間もなく、ロッカー正面に香織の立つ気配がした。


 見つかっちゃう!


 どうせ見つかるなら拓真くんにちゅーでもしようか、とみくにが不埒なことを考えたときだ。


 生徒会室の扉が勢いよく開く音が聞こえ、直後、男子生徒の声が響いた。


「生徒会のひと、来てください! 講堂で保安委員会がたいへんなことを!」


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