翌朝、登校したみくには青野森高校正門前で足が止まった。
「これは……」
青野森高校全体に空気の波紋のようなぶれ――悪の波動が現れていた。
過去、みくにが対峙してきた悪の波動は、悪事を働く者から生じていたが、これほど広範囲に空間がゆがんでいるのははじめてだ。
青野森高校校内に悪の波動の発生源である悪者が潜んでいるということなのだろうが、空間全体がゆがんでいるような強烈さに、みくには圧倒されそうになった。
昨日、岸辺野姉妹は、決行日は今日だと言っていた。
なにが起きるのかは想像もつかないが、この青野森高校に生じた悪の波動がそれと関係あるのかもしれない。
なんにせよこれはスーパーガールの出番だ。
その企みを阻止しなければ。
発生源を突きとめるか、それとも岸辺野姉妹をあたるか。
いずれにしろ気は抜けない。
最大限の注意を払いつつ行動しよう。
みくには「むん」と気合を入れると、校舎へ向かって歩き出した。
校内に生徒が多く、悪の波動が広範囲に及んでいるせいで、その発生源を絞ることができなかった。
ならば岸辺野姉妹を探そうと、それぞれのクラスに出向いたが、姿が見当たらない。
まだ登校していないのか、それともどこかべつの場所にいるのか。
なんの手がかりもないまま予鈴が鳴った。
「どうしよう……」
こんな状況で、普段通り授業を受ける気にはなれなかった。
悪者を見つけ悪事をやめさせるのが、優先すべきスーパーガールの使命だし、それを
「このまま悪者を探そう」
廊下でひとり言をこぼし、探索に戻ろうとしたときだった。
「みくに。そろそろ一時間目がはじまる。行かないと」
振り返ると、クラスメイトの綾香が立っていた。
「おはよ、綾香。ごめん、あたしちょっと用事があって授業に出られ――」
最後まで言う前に、みくにの腕は綾香の両手にがっしりとつかまれた。
「綾香?」
思いのほか強い力でつかまれ、みくには目をぱちくりさせた。
綾香は作り物めいた笑みを貼りつけたまま、みくにの腕全体を抱え込む。
「授業は絶対に受けること。わたしたちは学生なんだから」
綾香の口調は抑揚がなく、セリフの棒読みを思わせる。
いつもの綾香とは様子が違うことに、みくにはそこではじめて気がついた。
「綾香、なにかあった?」
綾香はかくっと首を
「なにもない。とにかく授業に遅れてはいけない。早く教室へ」
そう言って、みくにの腕を引っ張って歩き出す。
「早く……早く……教室へ……授業に遅れてはならない」
その強引さと、腕を引っ張る強さに、みくには抗うことなく連れられていく。
スーパーガールの力なら振りほどくことはできるだろうが、そのさいに怪我をさせてしまいそうだった。
それほど綾香の力が強かった。
綾香に引っ張られて廊下の角を曲がると、前方に生徒の集団がたたずんでいた。
皆、保安委員会の腕章をつけ、整然と並んでいる。
彼らと顔を合わせた綾香は、唇の端を持ち上げた。
「遅刻しそうな生徒を捉え、教室へ連行します」
保安委員たちに得意気に報告する綾香に、みくには愕然とした。
綾香はどちらかと言うと保安委員会を否定的に見ていたはずだ。
昨日のソフトボールの試合でも、客席で生徒を取り締まろうとした保安委員を批判していたのに。
綾香の態度の変化にますます心配になって問いただしても、彼女から答えが返ってくることはない。
ただ一心にみくにを引っ張っていく。
なにも聞けないまま、ついに教室に到着すると、綾香はみくにを押しつけるように着席させた。
「教材を準備し、教師が来るまで予習をはじめること。それが校則。素晴らしい校則」
どこか焦点の合っていない目をくるりと動かし、そのあとで
「綾香?」
みくにが呼び止めても、なんの反応も示さず、席に着くと予習をしだす。
いったいどうしちゃったんだろう?
動揺するみくには、そこではじめてクラスの様子も普段と違うことに気がついた。
静かなのだ。
いつもは教師が来るまでおしゃべりがあちこちで交わされているのに、今日はどうしたことか、皆一様にすでに席に着き、黙々と予習をしている。
ぺらり。
その瞬間、みくには背筋に冷たいものが走った。
クラスメイトの教科書や参考書、ノートのページをめくるタイミングが全員同時だったのだ。
ぺらり。
またいっせいに、少しのずれもなくページがめくられる。
誰もがうつむき、その視線が本当に文字を追っているのかわからないほど、頭が動かない。
「みんな、どうしちゃったの?」
みくにがおそるおそる声を上げても、誰ひとり反応しない。
無言でまた――ぺらり。
そんな異常事態も、校内を覆っている悪の波動のせいだろうか。
「いや、そうに決まってる」
やはりこの学校のどこかにいる悪者を倒さなくてはならない。
そうでなくては、学校の日常はたぶん戻って来ないのだろう。
今までにない状況に、みくにの緊張が高まっていく。
こんな非現実的な現象を生み出す悪者とはいったいなんなのか。
「とにかく探しに行こう、そいつを」
深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、気合を入れて立ち上がった。
まるでそれを見計らっていたかのように、校内放送を告げるチャイムが響いた。
反射的に教室のスピーカーに目を向けると、声が聞こえてくる。
それは明らかに加工したくぐもった野太い声で、これでは性別もわからない。
「保安委員会が……新たな校則を……発布する……」
校則?
青野森高校の校則を新たに作るには、校内投票によって全生徒の三分の二の賛成および、職員会議での認可が必要だ。
保安委員会が勝手に作れるものではない。
しかし放送から流れる声は、淡々と続けた。
「新たな校則は…………恋愛交際強制化」
「は?」
思わず声が漏れ、耳を疑った。
なんて言った? 恋愛交際……強制化!?
「全生徒に……保安委員会が選定した相手同士の……恋愛を強制する」