グイードは魔獣の調査すると言って、暫く領地に留まる事になった。ティナは一人馬車に乗り込むと、幼い女の子が傍に駆け寄って来た。
「これ、騎士のお兄ちゃんに渡してください。ありがとうって」
小さな手には、綺麗に畳まれたハンカチが握られている。
「これは?」
見るからに上等な布だ。この様な布はこんな小さな町には売っていない。更にこの子は
「すみません。実は、先日ユリウス様がここに立ち寄っていただいた際に、この子が目の前で転んでしまい、足を擦りむいてしまったんです。それを見たユリウス様が、このハンカチを貸してくれたのです」
「お姉ちゃん、お兄ちゃんの婚約者なんでしょ?」
目を輝かせて問いかけてくる女の子にティナは「えっと…」と言葉を詰まらせ目を泳がせた。
期待と憧れを全身で表し、曇りのない純粋な瞳で見られたらはっきり「違う」とは言いづらい。
「ユリウス様は返さなくてもいいと仰ってくださいましたが、このような上等な代物、お返しした方がいいと思いまして…この子も是非お礼がしたいと申してるので、ご迷惑でなければお返しいただけないでしょうか?」
「お願いします」
そう言いながら頭を下げる母親と女の子。
女の子の手にはハンカチとは別に、押し花で作られたしおりも握られていた。ここまでされたら、流石のティナも嫌とは言えない。
「分かったわ。ユリウス様に渡せばいいのね?」
「うん!!ありがとうお姉ちゃん!!」
満面の笑みを浮かべる女の子と、申し訳なさそうに頭を下げる母親に見送られながら馬車を走らせた。
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「ふぅ~…」
ティナは気持ちを落ち着かせるように深く息を吐き、目の前の扉を睨みつけていた。手には預かったハンカチとしおりを握りしめている。
暫く会っていないだけで、別にこちらが臆する理由にはならない。むしろ強気に行っても許される。
ティナはギュッと拳を握ると、意を決して扉を叩いた。
「……はい。誰です?人を寄こすなと伝えておいたはずですが?」
中から聞こえてきたのは、聞いたことのないイラついた冷たい声。一瞬、ノブを掴んでいた手を離してしまうほどの驚きはあったが、ここまで来て後戻りはできない。
ゴクッと息を飲み扉を開けると、息苦しくなるほど空気が重く感じた。ユリウスはこちらを見ることもせず、机に向かっている。声をかけるのも躊躇してしまうほどの異様な空間。
「お久しぶりです」
ティナが恐る恐る声をかけると、走らせていたペンが止まった。
「……ああ、ティナでしたか。……何か用が?」
ユリウスは冷たい視線を向けると、すぐに書類に目をやった。まるで、もう自分に興味がないような素振りにティナの苛立ちも募る。
「急に訪ねてすみません。預かりものを届けに来ただけなので、すぐにお暇します」
至って冷静に伝えた。
「返さなくてもいいと伝えたはずですが……ああ、そこに置いておいてください」
テーブルに置かれたハンカチを見ながら、興味がなさそうに言い放つ。
忙しいのは分かるが、もう少し言葉を選べなかったのか。あの子は本当に嬉しくて、ユリウスにお礼の品まで作ってくれたと言うのに。
「もういいですか?見ての通り、貴女に構っている暇はないんですよ。置いたら出て行ってもらえますか?」
悶々としながらその場に立ち竦んでいたティナに、凍てつくような視線を向けた。
この男は本当にあのユリウスなのか?疑問に思ったが、これが本来の姿なのだろう。興味がない女は邪魔だと?あからさま過ぎて笑いが込み上げてくる。
ティナはテーブルに置いてあった水差しを手にし、ユリウスの元に寄ると頭上から盛大に水をぶちまけた。
「お忙しい所申し訳ありませんでした。目障りな女は消えますので、どうぞお好きなだけ仕事してください」
ドンッと目の前に水差しを置き、満面の笑みで伝えた。ユリウスはポタポタと、自分の頭から滴り落ちる水滴を俯きながら黙って見ている。
「ああ、そういえば、婚約なさるんですってね。ご丁寧に婚約者様が挨拶に来てくれましたよ」
その言葉にユリウスの肩が微かに揺れたが、ティナは気付かない。
「心からお祝い申し上げます。……金輪際、私には構わないでください。まあ、そのつもりはなさそうですけど。では、永遠にさようなら。お幸せに」
睨みつけながら伝えると、大きな音を立てて扉を閉めた。足音が遠ざかって行く…
静まり返った部屋でユリウスは濡れた髪を掻き上げ、天を仰いだ。
「……参りましたね……」
疲れたように呟いた。