オウルとラトリスとゼロは商人に連れられて商館をあとにした。彼の屋敷は歩いてもいける距離にあった。ほんの5ブロックほど港方面に移動するだけだ。
綺麗な街並みのホワイトコーストでも、その周辺は特別に景観がよかった。レ・アンブラ王国の職人がつくりあげた伝統的様式の建築物は、かつては貴族だけのものだったが、いまは港湾都市で財を築いた商人たちの手にも届くようになった。それゆえ新築の屋敷がずらりと並んでいるのだ。
オウルは高級住宅地に圧倒されていたが、委縮をお首にもださず、常に余裕を感じさせる動きと、怪しげな笑顔を絶やさなかった。笑顔は動揺を隠す効果的な武器だ。
リーバルトの屋敷には使用人の執事たちがいた。
他愛のない話をしつつ、エントランスを抜けて奥へ。やがてこじんまりとした部屋に通された。客間に足を踏みいれ、扉がパタリと閉じられると、外の音がほとんど聞こえなくなった。途端に世界は静寂につつまれた。
机を挟んで対面する形でふたりはそれぞれのソファに深く腰掛ける。
リーバルトは酒瓶を手に取る。
「ウォッカは?」
「ありがとう、いただくよ」
ロックグラスへ琥珀色の液体を注がれる。
ふたりはグラスを軽やかに叩きあわせた。
「ミスター・ポウル、どちらからいらしたのですか。この辺りでは見ない御顔ですが」
オウルは美しい酒精をグラスの底で転がしながら怜悧な眼差しをかえした。
「ミヌースだよ、ミスター・リーバルト」
「ほう、ミヌース、ですか……」
(設定はしっかり作ってきた。ミスター・ポウルは遠い異国からやってきた謎の商人だ。その素性に付けいる隙があってはいけない。相手の知っている土地だと、ボロがでる可能性がある。ゆえに相手の知らない土地からの来訪者であることは必須だ。ちなみにミヌースはラトリスが冒険のなかで訪れた遠い大陸の街の名前だ。やり手の商人だろうと外国の街までは網羅してないだろう)
「ミヌースは、たしかルーボス大陸にそんな名前の地名があったような……」
リーベルトはこめかみを押えながら記憶の深い沼から情報をひろいあげる。
オウルは優雅に口へ運んでいたウォッカを吹きだしそうになる。
隣の狐も少しだけ顔が引き攣ってしまう。
だが、悪のカリスマ商人は寸前でとどまった。笑顔を崩さず「すごい、よく知ってる、流石はミスター・リーバルト」と称賛へ切り替えることでピンチを脱する。
「いえ、取引先の情報のなかでチラッと見ただけです。知っているというには、知らなすぎますよ。しかし、ずいぶん遠い場所からお越しになったのですね」
オウルはホッとしつつ、意気揚々とあらかじめ用意していた設定に沿って話を進めた。
「市場開拓さ。遠い場所からモノを運んでくれば、こっちでは高く売れる。ごく当たり前の道理だろう? 僕はこっちでパートナーを見つけたいんだ。頼れるパートナーを」
「パートナー、ですか」
「そのための手土産もある。これは影の帽子だ。以前の所有者がだれかはご存知かな?」
オウルは被っている羽根つき帽子を撫でて、影の魔法を少しだけ解放してみせた。黒い靄がフワリと揺れた。リーバルトは口をあんぐり開けて、くわえていた煙草を落としそうになる。
「まさか、先日処刑されていたユーゴラス・ウブラー?」
「大正解だとも。面白いアイテムだから、僕が独自のツテで継承することにしたのさ」
「い、いや、待ってください、暗黒の秘宝はレバルデスが回収したがるはず……ましてや彼らのもとで処刑された海賊の財産は、レバルデスに帰属するのでは?」
「だからってどうってことないさ。僕は欲しいものは必ず手に入れるんだ。でも、もう影の帽子はいいんだ。飽きたから。これは君へお近づきの印にプレゼントするつもりだよ」
「……っ」
鋭い眼差しがオウルをとらえ続けていた。煙草の先からのぼる紫煙がゆらりゆらりと揺れている。緊張感のなかで誰にも気をつかっていないのはこの煙柱だけだろう。
(格のある商人を振舞ってみたが……暗黒の秘宝のプレゼントはやりすぎたか? 怪しい?)
訪れた静寂でポウルは己の言動を反省していた。何事もほどほどがいいな、と。もっともリーバルトはポウルの正体を疑っているから静かになったわけではなかった。彼のなかにあったのは奇妙で強烈な魅力をはなつ異邦の商人ポウルへの関心だ。
(処刑された海賊の遺品を横領できるだけのコネと力があることは間違いない。この男、すでにそれだけ根をおろしている。私が知らないだけで相当な大物ということか)
暗黒の秘宝でふっかけた勢いは効果抜群であった。
そうなるとすべてが凄く見えてくるというものだ。
陽気で自信家、派手な振舞い、謎に満ちた素性。秘めているダークな取引の香り。何もかもがリーバルトを惹きつけた。この男はすごい。そう思わせる言い知れぬ凄みがあった。
なかでも最もリーバルトを惹きつけた要素は隙のない姿勢だった。それは気迫ともいえる。それは商人ポウル──否、剣士オウル・アイボリーの持つ油断のなさからくるものだった。
いつでも攻撃に転じ、いつでも回避を行い、いつでも防御に徹することができる、そうした隙のなさが、相手を見定めようと集中しているやり手の商人に尋常ならざる人物として映ったのだ。
(この男、一体何者なのだ……?)
リーバルトの額を冷たい汗がつたった。