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23.君のことばかり



……白坂くんのことが好きだと自覚したことによって、ボクの日常はガラリと変わってしまった。


まず、朝の登校から緊張するようになった。


今までも『大勢の人のところへ行く』という意味では緊張していたけど、『特定の誰かに会う』という意味での緊張は初めてだった。


(し、白坂くんに、会える。白坂くんに、白坂くんに……)


今まで以上の緊張感と不安を胸に、ボクは学校へ向かうバスに乗る。


じんわりと手や足の裏に汗をかいてしまって、どうしようもなくなる。


「おはよー」


「おー、おはよー」


学校に着くと、人混みの中に、ついつい彼の姿を探してしまう。


(白坂くんは……まだ、いないかな)


男の子たちの背中や顔を、ちらりちらりと横目で確認する。


大勢の人の波に飲まれながら、辺りをキョロキョロと見渡している。


「黒影さん、おはよう」


その時、ボクは背後から声をかけられた。


ドキッ!と、胸が高鳴った。そして、全身から汗が吹き出した。


誰がボクへ声をかけてくれたのか、顔を見ずとも分かる。だって、声をかけてくれるのは、一人しかいないんだから……。


「………………」


ボクはゆっくりと、後ろを振り返った。


白坂くんはいつものように、柔らかい笑顔でボクに手を振った。


「今日も暑いね~。本格的に夏になってきた感じだね」


「あ、あ、う、うん。そそ、そう、だ、ね……」


ボクはもう、まともに彼の顔が見れなくて、目があっちに行ったりこっちに行ったりと、泳いでしまった。


「……黒影さん?どうかしたの?」


「え?」


「何かあった?具合でも悪い?」


「う、ううん!大丈夫!な、な、なんでも、ないよ。えっと、それじゃ、ボク、さ、先に行っておくね」


「あ、ちょっと……!」


ボクは彼から逃げるようにして、足早に教室へと向かって行った。


ああ、もう、自分が情けない。


会いたかった白坂くんに会えたはずなのに、肝心な時に逃げてしまう。


これが不思議だった。


会いたいと思う気持ちと、会いたくないと思う気持ちの両方があって、それが矛盾せずに心の中にある。


好きだから会いたいというのは、とても理解しやすい。でも、好きゆえに会いたくないと思うなんて、全然想像できなかった。


好きだと思って白坂くんの前に立つと、もう何もかもがパニックになって、頭がおかしくなる。


そんな風に心揺さぶられるのが怖くて、それから逃げたいと思っているんだ。







「……と、いうことで、日本には大陸プレートが複数またがっており、世界的にも地震が多い国になっている」


三時間目の、地理の授業中。


先生がいつものように授業を進め、他のクラスメイトたちもまた、いつものようにノートを取る。


でもボクだけは、いつものようにはいかなかった。隣にいる白坂くんのことが気になって気になって、仕方なかった。


横目で彼のことをチラチラ見ながら、その一挙手一投足を観察していた。


ああ、もうなんだか、全部好き。


白坂くんの横顔も、持っているシャーペンも、使ってるノートも、全部輝いて見える。


(ど、どうしよう、全然授業に集中できない……)


そわそわしっぱなしで、頭に何も入ってこない。白坂くんのことしか考えられない。


一週間前の自分とは、人格そのものが入れ替わってしまったんじゃないかと思うほどに、ボクの心境は大きく変化してしまった。


「黒影さん」


白坂くんが、声をひそめてボクに話しかけてきた。ボクはまた朝の時と同じように、ドキッ!と心臓を震わせてから、ゆっくりと彼の方へ振り向いた。


白坂くんは眉をひそめて、申し訳なさそうにこう告げた。


「あの、ごめんね。今日僕、教科書忘れちゃって……。よかったら、見せてくれないかな?」


「あ、え、きょ、教科書?」


「うん、いい?」


「あ、うん。あの、うん、大丈夫……だと思う」


“だと思う”ってなんだ?と自分で自分に突っ込みながら、ボクは彼に机を近づけて、ぴったりとくっつけた。


そして、二人の机の間に教科書を置いて、お互いに読めるようにしておいた。


あ、開いたページの真ん中に、髪の毛挟まってる。は、早く抜いておこう。


白坂くんに汚いって思われるのは、絶対嫌だから。


「ごめんね。ありがと黒影さん」


彼はボクに少し身体を近づけて、教科書をじーっと読んでいた。


(あ、ち、近い……!白坂くんが、す、すぐ、そこに……!)


自分の鼓動音が彼に聞こえやしないか?と、そう不安になるくらいに、ボクの心臓は破裂しそうなほどに動いていた。


微かに彼の匂いが香ってくる。彼特有の体臭と汗の匂いに、ボクは目眩がしそうになる。


(ど、どうしよう!い、いよいよ授業どころじゃなくなっちゃった……!)


ボクは今何をしているのかも分からなくなるほどに、テンパってしまった。


結局その日1日は、何も手につかなかった。シャーペンを持つ手は小刻みに震えていて、それを隠すのに必死だった。









「……はあ」


ボクの小さなため息が、部屋の中に木霊した。


夜の10時頃。ボクは勉強机に座り、地理の教科書とノートを開いて、今日の復習をしていた。


今日は全然集中できなかったから、少しでも復習をしておかないと、次の授業からついていけないと思ったからだ。


でも、教科書を開いたところまではいいものの、頭の中は白坂くんのことでいっぱいだった。


ノートは真っ白なままで、何も書かれていなかった。そのノートの真ん中に、シャーペンが寂しそうに置かれていた。


(……恋って、こんな感じなんだ)


ボクは今まで恋をしたことがなかった。好きになれる男の子がいなかったし、誰にも心を開けなかった。


だから、もしかしたら自分はレズビアンで、性的対象が女の子なんじゃないか?と思う時もあった。でも、結局女の子にも恋をすることができなくて、ずっと自分のことがよく分からなかった。


そういう意味では、人並みに誰かへ恋をすることができたのは、嬉しいと思えていた。




『黒影さん、おはよう』


『今日も暑いね~。本格的に夏になってきた感じだね』




(あ~~~、白坂くん、白坂くん、白坂くん……)


ボクに向けられた彼の声が、耳の奥に残っている。それを思い出す度に、胸がきゅーっと締め付けられてしまう。


よく恋愛の歌とかで『切ない』というフレーズが出てくるけど、こういう気持ちのことかと、ようやく理解できた。


嬉しいような哀しような、恥ずかしいような怖いような……。


たくさんの感情が闇鍋のように入れられていて、それがぐつぐつ煮えたぎるような気持ちだった。


「………………」


ふと、広げていた教科書の中に、日本の白地図があった。その地図の隅っこに、「2025年 日本地図(白地図)」と記載されていた。


ボクはその「白地図」の「白」の部分に目が行ってしまった。


だって「白」は、白坂くんの色。白坂くんの文字。見ているだけで、白坂くんを思い出す。


「………………」


ボクは右手の人さし指の先で、「白」の字をそっと撫でた。


背中がぞくぞくっと震えて、堪らなく興奮した。指先がピリッと痛むような気がした。


(……い、いやいや!何してるんだろう!?)


ボクはすぐに客観的になって、文字から指を離した。


(おかしいおかしい!こんなことしてたら、ぜ、絶対変に思われる!しゅ、集中しなきゃ!勉強に集中……)


でも、そう思えば思うほど、ボクの脳内は白坂くんのことばかりになってしまった。


恋の病によって、知能指数が一気に下がってしまったような気がした。


白坂くんのことが好きだと自覚したことによって、ボクの日常は……いや、人生がガラッと変わってしまった。


恋をするということは、きっとそういうことなのだろう。


「はあ……」


ボクはまたため息をつきながら、窓の外へと眼を向けた。


真ん丸な満月が、黒い空にぽつんと浮かんでいた。







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