「ふぁ~、よく寝た」
目が覚めたアタシは、枕元のガラホを手に取って開く。
画面には7時と表示されている。いつもバイトの日に起きている時間だ。
でも、今日はバイトが休み。もう少し寝ていてもバチが当たるわけでもない。配信者とバイトの日々に追われているアタシにとって、バイトの休みは数少ないのんびり出来る日。
「もうちょっと寝たいな」と、まぶたが重くなり出す。
だけど、頭の中でやるべき家事リストが容赦なく浮かび上がる。
リビングの掃除機掛けに洗濯、トイレ掃除……。
1つずつ浮かぶ家事に、アタシの眠気を消し飛ばす。
「起きるか」とベッドを出たが、「朝の一服するか」とベランダへと向かう。
ベランダに出ると、スウェットのズボンに入っているタバコとジッポライターを取り出して火を点ける。
「……まずい」
吸う度に、アタシの心の奥で、天使が「クロナ、もうやめなよ……身体に悪いよ」と、か細い声でささやく。
けれど、その声を掻き消すように悪魔が甘ったるい声で「いいじゃん、タバコくらい! 我慢したってアイツのことが忘れられないんだろ?」と囁く。
そして、結局、天使の声はタバコの煙と一緒に消えていく。
いや、違う。本当はやめたいんじゃないじゃなくて、やめたくないんだろうな。
まるで、アイツへの未練にすがりつくみたいに。
この煙がアタシを蝕んでいるのは十分承知している。
でも、このタバコを手放したら、アタシはダメになる。辛いことに直面する度に不安に襲われる。このタバコに頼っちゃいけない。
頭では理解できているのに、気付くとタバコを吸ってしまう。
アタシを辛い現実から一瞬でも解放してくれるブラッキー。これがアタシにとっての麻薬のような存在なのかもしれない。やめたいのに、やめられない。依存性の強さがアタシの弱さにつけ込んでくる。
アイツを忘れられないアタシは、2本目のタバコへ火を点ける。
アイツ=ブラッキーの匂いってアタシの脳……いや、心が覚えちまっている。そのせいで、アタシはタバコ依存者になっちまった。
このままじゃ、新しい恋へなんて進められる日は来ないってわかっているのに。
「アイツを忘れられる何かを見つけなくちゃ……」
誰もいないベランダでアタシは言い訳をしていた。
さぁ、気持ちを切り替えて家事するか。
アタシは仕事を終えたブラッキーを灰皿の中で
タバコを吸い終わったアタシは、黙々と家事をこなしていく。
洗濯は、ましろが買ってくれた最新のドラム式洗濯機がバリバリ終わらせてくれたし、トイレ掃除も終わった。
あとはリビングの掃除機掛けだけか。それが終わったら、自分の部屋の掃除して……。
「ふぁぁ……センパイ、おはよう~」
ましろが目をこすりながら、寝癖がついたままの髪をくしゃっとかき上げる。
「ボク、今日めっちゃ早起きじゃない?」
ふにゃっと笑いながら、子猫みたいに体を伸ばしてアクビをする。
ましろがこんな時間に起きるなんて。アタシがリビングの壁に掛かっている時計に目を向けると、10時を指していた。
いつもなら、昼過ぎまでだらだら寝ているのに。
もしかして、雪でも降るんじゃないのか? せっかく、桜も咲いてポカポカ陽気の過ごしやすい季節になったのに。もう寒い、冬はごめんだ。
「ねぇ、センパイって今日は予定あるの?」
ましろは眠そうな目を擦ってアクビをしながら、嫌みな質問しやがった。アタシがいつも休みの日の予定がないことを知っているクセに。
「まぁ、彼氏のいないセンパイに予定なんてないか」
「おい!? アタシだって……」と言いかけて、言葉に詰まる。
「彼氏とのデートの1つくらいある!」って言い返したいのに。
彼氏? いや、そもそも男友達すらいねぇじゃん。
ましろに言い返してやりたいけど、ぐうの音も出ない。
ましろに痛いところを突かれて何も言えない。
「じゃあ、そんな寂しいセンパイのためにボクがデートしてあげるよ」
「はぁ? お前、何様だよ」
「ましろ様ですけど、何か?」
ムカつく。普通、その返しするかよ。
どこまで神経が図太いんだ、こいつは!
「もう、冗談だってば! センパイ、本気にしないでよ」
どこまでギャグのつもりなんだ。絶対に”ましろ様”発言はマジで言っているだろ。
「センパイと出かけたいのは本当だよ」
なんか汐らしい顔で、こっちを見てくる。
そんな顔で、こっちを見るなよ。嫌がっているアタシが悪役みたいじゃないか。
「ねぇ、どっか行こうよ」
「嫌だよ」
「なんで!?」
「バイトが休みの日くらいゆっくりさせろよ」
アタシが仕事に追われているサラリーマンみたいな言い訳しているんだよ。配信活動以外していないお前よりアタシは大変なんだよ。
「やだ~行こうよ!」
ましろは散歩に行きたくて、うずうずしている飼い犬のようにきゃんきゃん叫んでいる。
アイツがこんなに、しつこく誘ってくるも珍しいな。
「ったく、どこに行く?」
「う~ん……じゃあ、桜でも見に行こうよ! お花見がいい!」
ましろが目をキラキラさせて提案してくる。
「花見? 1人で行けよ」
アタシは即答するも、ましろは引き下がらなかった。
「やだよ~、何が悲しくて1人でお花見しなくちゃいけないの!」
「それは、こっちのセリフだ! なんで、バイトの休みにお前と花見しなくちゃいけないんだよ!」
「そんな、嫌そうに言わなくても……」
え? マジで泣いている? お、お前、それは反則だろ。
「ましろ、ごめん。言い過ぎた……」
「わ~い、引っかかった! センパイ、元売れっ子声優の演技力なめちゃダメだよ!」
ムカつく! ましろの演技に騙されるなんて……!
でも、ひどいことを言ったのは事実だ。
納得できないけど、ちゃんと謝らないとアタシの気が収まらない。
「まぁ、言い過ぎたのは本当だから……ごめん」
「そんな、マジで謝られると調子狂っちゃうよ。ボクも調子に乗ってごめんね」
お互いに謝り合うという変な空気に耐えられず、アタシたちは一緒に笑い合った。
「たまに出かけるのも悪くないか……じゃあ、花見に行こうか」
「やったー! じゃあ、準備しよう」
「おぅ」
「そうだ! センパイ、お互いに出かける時間ずらそう」
「何でだよ? 一緒に行けばいいじゃねぇか」
「普通のお花見じゃつまらないよ!」
「桜を見る以外の花見なんてあるか!」
「ねぇ、センパイ……」
ましろは、いたずらっぽく微笑んで、「デートっぽくさ、お互いのコーディネートを秘密にして、お花見行くのはどう?」
瞳をキラキラ輝かせて、トレードマークの八重歯をちらっと覗かせる。
「ドキドキして、面白そうじゃない!?」
「いや、面倒くさい……」
「はい、もう決定! ボク、着替えてくるから! 準備が出来たら、すぐにメッセージを送ること! わかった!?」
「おぅ……」
ましろのペースに押されて思わずOKしちまった。
「あれ? これってデートみたいじゃね?」と、アタシは思わず呟いて我に返って自分の部屋へと逃げ込む。
「いやいや、ねぇよ! ましろだぞ!」と、慌てて首を振る。
でも、胸の奥がなんかモヤモヤする。
もし、これが本当にデートだったら……?
そんなありえない妄想が、タバコの煙にアタシの心にふわっと広がっていく。