「うるさいな」
アタシは自分の部屋のベッドに横になりながら、壁の方に目を向ける。
隣の部屋のましろがうるさくて寝れない。明日、バイトあるから早く寝ないとイケないのに。
壁越しに、ましろの声が聞こえる。
聞き耳を立てるつもりはない。
でも、透き通るような可愛い声が、すぐそこにあるみたいに響いてくる。
内容はよく聞き取れないけど、どうせアタシの文句だろう。
「センパイ、なんで黙っちゃうの?」、「ボクと一緒にいるのがつまらないみたいじゃん!」とか花見の後半で乗り気じゃなかったアタシに対する不平不満を羅列していた気がする。
確かに雰囲気を台無しにしたのは悪かった。
ごめん。だけど、その原因を作ったのは誰だ? ちゃんと理解できているのか?
「お前のせいなんだからな……」
アタシは壁に向かって、消えそうなか細い声で文句をこぼす。
ましろがアタシを弄ぶからだ。アタシが合コンみたいなノリが苦手なの、知っているくせに。
そのノリについていけずに、あたふたするアタシを見て楽しんでるんだろ。
お前って、性格悪いよな。高校時代から変わってない。
男に慣れていないアタシに、いつも勘違いさせるようなイジリを仕掛けてきたよな。
「センパイ、一口飲む?」とカフェの新作フロートを差し出されたから、アタシは何も考えずに一口飲んだ。
「あ! 間接キス!」
ゲラゲラ笑うお前がいた。
アタシは、お前の中学生男子みたいなノリが苦手だった。
……今は、ただのギャグだと割り切れるようになったけど。
でも、やり過ぎるなよ。アタシはお前のギャグに耐性がついているけど、お前の何気ない行動を本気と受け取る人間だっている。
それで何人の男を泣かしてきた? その男に惚れていた女を何人敵に回した? 本当にお前は怖い物知らずだよな。
そして今日、お前は、あんこを取るフリをしてアタシにキスするかもという雰囲気を作った。
でも、お前は「お返し」なんて意味不明なことを言って、結局はいつものギャグだった。
なんか……ショックだった。
「……待てよ?」
なんで、ましろがマジじゃなかったことに、アタシはイラついてるんだ?
いつもなら「はいはい、よかったね」で流して終わるのに。
なのに、なんかモヤモヤする。
「これじゃ、アタシが……」
アイツのキスを期待してるみたいじゃん!
ヤバい。なんか、変な病気にでもなったか!
もしかして、あの団子のせいか。あのオヤジ、団子に変なものを入れやがったか!
「いや、そんなわけない……」
あまりにも動揺しすぎて、変な妄想をしちまった。
だけどな、ましろ。アタシがあれをマジだと勘違いするかもって、考えなかったのか?
ほっぺについたあんこを取るフリをして、キスする。
少女マンガみたいな展開を期待しないなんて根拠は、どこにある?
アタシだって女だ。男からキスされるかもしれない状況に、ドキッとすることだって……。
「だから! ちげぇっての!」
なんでアタシがそんなこと考えてるんだよ!
ましろとはただの先輩後輩で、配信の相方で、それ以上でも以下でも……!?
「あれ? アタシ、ましろのこと……」
男として意識している? いや、ありえない。男に触れなさ過ぎて、女みたいな見た目のましろも男として認識しちまったんだ。
そうに違いない。だってアイツは、アタシにとってただの可愛い後輩で、配信者としての相方。恋愛感情や異性として意識しちゃダメだ。
「あぁ! ウザい!」
アタシはウザいメンヘラ女か! ましろにどう思われようとアタシには関係ない! 今のアイツとはビジネスパートナーだ。それ以上でもそれ以下の関係でもない。
それにアイツはアタシのことを恋愛奥手なピュアな人間と勘違いしている。だから、今日みたいなイジりをして、あたふたするアタシを見て楽しんでいる。
「ごめん、ましろ。アタシは……お前が思うほど……」
ピュアな女じゃない。
ハイトを忘れるために、どうでもいい男と遊んだ。
でも、誰とも本気にはならなかった。どんなに触れられても、どんなに甘い言葉を囁かれても頭の中にハイトが過った。
誰もハイトの代わりにはなれなかった。
アイツらの嫌らしい手つきでアタシの体に触れて自分たちの性欲を満たした。
あの肌をなぞる感覚が蘇る。
そして、唇に触れる気持ち悪い顔が……。
「うぅ!」
気持ち悪い。忘れていたはずの
***
「お前はピュアな女じゃない」
「自分で捧げたじゃないか」
「オレ達はお前のために……」
***
やめて! ダメだ……。気持ち悪さに勝てなかったアタシはトイレへと駆け込む。アタシは便器の中に心のモヤモヤと過去を一緒に吐き出した。どうして……もう忘れたいのに……。
「ハイト……」
助けて。生きているのか、死んでいるのかも分からない
アイツの匂いを身にまといたいと思ってベランダへと駆け込む。
スウェットのポケットからタバコとジッポライターを取り出して、タバコに火を点けようとする。
アタシの震えた手はタバコに火を点けることが出来ない。
「ダメだ……」
震える指じゃ、火がつかない。
何度やっても、ジッポライターのがカチカチという空音が虚しくベランダに響く。
もうダメだ……。アタシはその場にへたり込んだ。
「ハイト……」
助けて。生きているのか、死んでいるのかも分からない
その時、ましろの笑顔が過る。
「ましろ!」
アタシは息を荒げながら、慌てて振り返る。
見られてないよな? こんな情けないアタシを。ベランダのガラス戸を開けると、リビングには誰もいない。
「セーフか……」
ましろに知られたくない。こんな汚れたアタシや情けないアタシを。ましろの前だけでは、ましろの知っているアタシでいたい。