「センパイ、またタバコ吸っているの?」
その声は届かない。
儚げにセンパイの口から出る煙が心の中に住み着く”あの人”の存在を主張している気がした。
やっと、殺せたと思ったのに。
まだ、いるんだね。
「ハイトさん、もういい加減にしてよ……このままじゃ、ボクらは前に進めないよ」
センパイの後ろ姿を見つめるのがつらくて、ボクは自分の部屋へと逃げた。
ベッドに沈み込み、抱き枕をぎゅっと抱えながら、あの背中を何度も思い出す。
「センパイ……お願い、もうハイトさんのことは忘れてよ」
まぶたの裏が熱くなって、ボクはそのまま眠ってしまう。
***
「”おんなおとこ”がきたぞ!」
それは、ボクのことだった。
まつげが長くて、声が高くて、肌が白くて。
まるで、女の子そのもの。
そんな自分が嫌で「ボクは、男の子だよ」と否定した。
でも、誰も信じてくれない。お母さんさえも。
お母さんはボクのことを”娘”だと思い込んでいた。
戦隊もののロボットが欲しいと言っても、買ってくれるのは魔法少女のステッキ。
ズボンが欲しいと言えば、ピンクのワンピースやレースのドレス。
何を言っても「ましろちゃん、こっちの方が似合うから」と耳を貸してくれない。
野球をやりたいと言えば、「ましろちゃんは女の子なんだから、ダメでしょ!」と叱られる。
その度に思った。
この人、本気でボクを”女の子”だと思ってるの?
「ボクは、男の子だよ」と告げたとき、お母さんは目を見開いて、肩をぐっと掴んだ。
「ましろちゃんは女の子でしょ? わかった?」
その目に浮かぶ狂気。子どもながらに悟った。
この人の前では、女の子を演じないといけない。
そうしないと何をされるか分からない。
実際、お母さんの執着はどんどんエスカレートした。
中学生になった頃には、セーラー服を着せたがるようになった。
「うちはブレザーなんだよ」と言っても、「ましろちゃんはセーラー服の方が可愛いでしょ?」と返される。
学校には男子用の制服で通った。
でも、家に帰れば強制的に”お着替え”。
リボン、フリル、パフスリーブ。鏡の中の”女の子”が、ボクをあざ笑う。
休みの日は、女の子ブランドの服屋さんに連れて行かされる。
写真スタジオ、遊園地、動物園……どこに行っても一眼レフのデジカメを構え、ボクを撮った。
もちろん、娘として。
お父さんは耐えきれず、家を出て行った。
離婚の時、お父さんにはボクを引き取る選択肢もあったはず。
でも、親権はお母さんが持つことになった。
きっと分かっていたんだ。お母さんから親権を奪うことは、命取りだと。
お父さんは正しかったと思う。賢い人だった。
それ以来、ボクに会うことは一度もなかったけれど、生活費だけはきちんと送ってくれた。離婚後、お父さんはお金はちゃんと払ってくれた。 無言のメッセージだったんだと思う。
「金は出す。だから、俺の人生に関わるな」と。
お父さん、ボクを捨てて新しい人生を楽しんでいるのかな?
幸せになれて良かったね。
ボクの地獄は、まだまだ終わりそうにないよ。
そんな地獄のような日々の中でも、ボクの中の”男の子”は生きていた。
恋をした。
中学校の同じクラスの女の子だった。
彼女のことが好きで好きでたまならくて、あの日に思い切って告白した。
放課後、体育館裏に呼び出して、震える声で言った。
「ボク、○○さんのことが好きです。付き合ってください!」
「……無理」
その言葉が、冷たく心に刺さった。
「私、自分より可愛い男なんて無理なの。あんた、自分が男だって本気で思っているの?」
「え?」
彼女は軽蔑した目でボクを見ていた。
「あんたみたいな顔で生まれた奴を見ているだけで、ムカつくのよ!」
なんで、そんな理由で……。
どうして、ボクの1番のコンプレックスがボクの初恋を殺す理由になるの?
わけがわからなくて、その日は泣きながら家に帰った。
お母さんがすぐに駆け寄ってきて、顔を覗き込んでくる。
「ましろちゃん、どうしたの!?」
「お母さん……ボクをもっと可愛くして」
もちろん、本心じゃない。
でも、そう言わずにいられなかった。
失恋の痛みを覆い隠すには、それくらいの真逆の言葉じゃなきゃダメだ。お母さんは、目を輝かせた。
「もちろんよ! どんな女の子より可愛くしてあげる!」
ルンルン気分で夕飯の支度に向かうお母さんを見送りながら、ボクはただ静かに目を閉じた。
「もう、ボクは女の子を好きにならない……」
決意は静かだった。
でも、ボクの心の奥で知らない感情が生まれた気がした。
「ボクは、女の子より可愛くなって、笑ってやる。男のボクよりモテないキミ達を……」
これから始まるんだ。
ボクをバカにした女という生き物へ対しての復讐が。