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第29話 好きなのかもしれない

 先輩風吹かせた貢物は、無事に遠藤さんの手に渡ったらしい。

 遠藤さんからは電話があった後、白封筒に縦書き便箋という、意外なほどちゃんとした礼状が届いてびっくりした。

 事務便箋とか電話だけかなって人だと思っていたんだよね、ごめんね、遠藤さん。

 っていう話を、久しぶりに会ったチュンにした。

 仕事終わりの居酒屋っていう、いつものコース。


「ええ~! まだ寮監なんだ。なんか嬉しいな。元気なのかな、会いたいな~」


 ビールのジョッキを勢いよく空けて、チュンが笑う。

 最近チュンはますます元気。

 理由は知っている。

 彼女ができたから。

 っていうか、マスターの店でデートしてるらしいから、そりゃあおれの耳には入るよね。

 すごい大事にしていて、人前でも平気でのろけるんだってさ。

 ひーさんはけーって感じの顔していたけど、テルさんは「あれはデレているって気がついてない」って言ってた。

 チュンのことだから、のろけって気づかないでのろけているっていうのが、正解な気がする。

 会いたいな寮祭に行こうかなって言うチュンを見て、まあ、元気なのはいいことだよなって思った。


「おれも会ったわけじゃないからなあ……会いたいけど」

「そうなんだ」

「うん。シュンに貢物預けただけで、直には会ってない。まあ、電話で声聞いた限りは元気そうだったよ。『ちゃんと五体満足で生きてるか』って言われた」

「言いそう~」


 ゲラゲラとチュンが声をあげて笑った。


「しかし、偶然てあるもんだな」

「ん?」

「大家さんの弟さん、オレらの後輩になるなんてなぁ」

「だねえ」


 二人でしみじみって感じになって、息をついた。

 だって、おれたちが高校生だったのって何年前だよ?

 卒業してから、もう十年? 十一年? それくらいは経っているはず。

 そんなもう記憶が風化してそうだなって風景の中に、今、シュンがいるんだなあって思ったら、なんかすごいなってなったんだ。


「時間って、すごいな」


 ポツン、とチュンが言った。


「うん」


 他に答えようがなくて、おれもうなずいた。


「あのな、ぶー」

「ん?」


 時間薬、って言葉があるじゃないか。

 時間が経てば傷もよくなるよっていうやつ。

 だからおれのどこかに開いていた穴は、いつの間にか埋まっていたんだと思う。


「オレ、結婚するわ」


 チュンがそう言った時、おれのどこも痛くならなかった。

 きっと今だから。

 ナオと別れた頃だったら、きっと痛くてたまらなかったと思う。

 大学を出てすぐの頃や、ナオと付き合っていた頃でも、おれは痛いと思っただろうなって気がする。

 でも、今は痛くない。

 それどころか良かったって思えた。

 『良かった』って思えることが、良かったと、思えた。


「そっか……そうかぁ。おめでとう。噂の彼女?」

「噂? 何それ」

「テルさん・ひーさん・マスター経由で、チュンの彼女がかわいいっていう話が、おれにも聞こえてきてる」

「ぅわああああああ、なんだそれっ! そっちか! 油断してた!」


 っていう身悶えを見るに、良くつるんでいた連中には口止めしていたらしいなって、察した。

 また『気遣い担当』さんの、見当違いなだまし討ちとかがあって、おれとナオが接触するのを警戒したんだろう。

 こいつ、変なとこで気を回すからなあ。


「どんな人? かわいいって、どういうかわいい?」


 ふふふってなりながら聞いたら、チュンが真っ赤になってテーブルを睨んだ。

 うわ、チュンが照れてる。

 珍しいものを見た。


「中身がかわいい」

「ほう」

「顔は、美人ていうより愛嬌かわいい系。そんで、オレの方が彼女に申し訳ないなって思うくらい、背が高い」

「はい?」

「めっちゃモデル体型で格好いいのに、そこをコンプレックスにしちゃうような子で、でも、中身がめっちゃかわいい」


 照れまくるチュンをなだめすかして、聞いた。

 チュンは『雀由来でチュン』って言われても違和感ないくらい小柄。

 身長一七〇センチギリギリあるかないかのおれよりも小柄で、筋肉はあると思うけど、服を着ている限りはわからないから、ただのチビに見える。

 たいして彼女は元々なんかのスポーツ選手だったとかで、背が高くて、モデルでもできそうなくらいにスタイル抜群なんだそうだ。

 一目でわかるくらいの、身長差カップルなんだって。

 だから、背の高いその子がうつむいて涙こらえている時、チュンには顔が見えちゃうんだという。

 それでその顔にやられちゃったらしい。

 一つかわいいと思ったら、あれもこれもかわいく見えて、かわいいかわいいって言っているうちに、つきあうことになったって。


「それでな、大事だなって思ったら、一緒にいたくてしょうがなくなった」


 はじめのうちはチュンと一緒に外出することを、嫌がったんだそうだ。

 だからずっと家でデートしてたんだってさ。

 そんでいつの間にかコンプレックスとかそういうことより、お互いが楽しいことが大事になったって。

 彼女がそうなってくれて嬉しいって、チュンがものすごい優しい顔で微笑んで言った。

 元から優しい男だけど、おれも初めて見る顔で、彼女のことを口にした。


「お、おう……」

「ああ、こういうのがそうなのかあって、彼女といてわかるようになった」


 特別の好きがわからなかったのだと、チュンは言う。

 好きになってくれた相手が、自分にとって受け入れられそうだったら、付き合っていた。

 だからこその『好きになった人がタイプ』で、自分から好きになったのは、彼女が初めてなんだそうだ。


「他の誰がしてくれても『ありがたい』って思うような当たり前のことで、さらっと済ませられることでも、彼女がしてくれたら特別嬉しくて、どうしようもなくなる」


 チュンがそう言った時、おれが思い出したのは部屋に届いた荷物のことだった。

 この間、別に何の特別な日でもないっていうのに、シュンから届いたもの。

 おれが一人暮らしに戻ったときに渡そうと思って、渡せなくて、ずっと持ったままだったんだって。

 遠藤さんから話を聞いてやっぱり渡そうって思って、面と向かっては照れるからって、送りつけてきた。


 温かそうな、綿入り袢纏。


 初めて会って関家に泊まった日の朝、何も言ってないのにおれの背に着せ掛けてくれたのを思い出した。

 きっとおれが一人暮らしするってなった時、シュンはおれの『寒さ』を心配してくれたんだ。

 その気持ちが、なんだかとても嬉しかったのを思い出して、涙が出そうになって焦った。

 どうしよう、今わかった。

 ずっと聞き流していたけど、シュンの好きは、そういう好きなんだ。


「ぶー? どした?」

「いや……」


 不思議そうな顔でチュンがおれを見る。

 思い出した綿入り袢纏の手触りとか温かさとか、そういうのを、話しちゃだめだと思った。

 たとえチュンでも話したくないって、そう思ったんだ。


「何でもないよ」


 ずっと向けられているシュンの想いを、手にとって隠して仕舞い込んでしまいたいって思うあたり、おれもそうなのかもしれない。

 何故だろう。

 急に、そう思った。



 おれは、シュンを、好きなのかもしれない。





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