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第36話 はるはあけぼの

 ぼんやりと目を開けたら、隣にシュンがいた。

 素肌が触れ合っていて、まだなんだかしっとりしているとこもあって、すがすがしいのに生々しくて、ああシュンと寝ちゃったなあって、実感した。

 ふわりと空が明るくなってきて、新聞配達のバイクが通っていく音がする。


「春は曙。ようよう白くなりゆく、山際すこし明かりて」


 思い出した一説を口にした。

 目を開けたシュンが、名残惜しそうにおれの髪をもて遊びながら、続きを声にした。


「紫だちたる雲の、細くたなびきたる……『枕草子』? どうしたの急に」

「お前の時間」

「春は曙、が……? 暁じゃなくて?」

「どっちも朝を示す言葉だよ。正確には暁が時間的には先、それから曙」


 暁は夜の中うっすらと空が明るくなる時間。

 静かでまだ誰も気がつかないくらい、少しだけ空の色が変わる、そんな時間。

 夜の中の限りなく明けに近い時間が、暁。

 シュンの手を取って握りしめる。

 それからシュンの手の甲に、頬を寄せた。

 思い出すのはいつかの朝。

 まだ外が暗い時間に、おれの布団の横で膝を抱えて座り、じっとどこかを見つめていたまっすぐな視線。

 あの時シュンは『早く大人になりたい』そう口にした。

 今もまだ、そう思ってる?


「オレの曙はいっくんだ」


 シュンがそう言っておれの唇を啄んだ。


「……おれ?」

「いっくんが『ここにいて』って言ってくれたから、オレはオレを認められた」


 それは出会ってそれほど経っていない時、おれが熱に浮かされて言った、人違いの、なんでもない言葉。


「お荷物になってるだけじゃなくて、誰かに、何かを差し出せる。オレにもできることがあるって、いっくんが教えてくれた」

「大げさだよ」

「いっくんにはそうかもね。でもオレにとって、いっくんはずっと目印だったから」


 おれの首筋に顔を埋めるように、おれを抱きしめる。

 まだ寒い春の朝、温かい布団の中で、体重をかけておれがつぶれないように加減しながら、でも、どこにも行けないように。

 宝物みたいに、ぎゅうって、シュンがおれを閉じ込める。


「いっくん……郁。好き」

「ああ。おれも好き。ずっと好きでいてくれて、ありがと……」


 おれは……ううん、おれにとっても。

 おれの夜明けは、お前だったんだと思う。

 幼いころから、周囲とうまくいかなかった。

 おれのせいで両親は別れたと思っていた。

 おれがうまくできないせいで、おれから人が離れていくんだと思っていた。

 恵まれているけど、ただちょっと寂しい、それがおれの人生だと思っていた。

 そんなおれの気持ちを救い上げてくれたのは、シュン、お前なんだよ。

 まだ暗い中で、光の存在を知らせてくれた。

 見えなくてもここに光があるよと、教えてくれた。

 朝の暗闇を見つめる瞳で、ずっとおれを見てくれた。

 シュンが、ずっと、おれを好きだと言い続けてくれたから、おれは少しだけ自分が好きになった。

 百パーセントで自信満々に自分が好きだなんて、まだいう自信はない。

 でも。

 これから少しずつ、もっとシュンを好きになって大事にして、シュンを幸せにすることで、明るい方に顔を向けることができると思うんだ。


「シュン」


 耳元にキス。

 身じろぎしたところで、耳たぶを食んだ。


「ン……」


 舌を伸ばして耳殻をなぞる。

 大好きだよ。

 おれの暁。


「ん、や……いっくん……」


 おれの首元から顔を上げたシュンが、涙目でおれを見る。

 かわいいかわいい、おれの男。


「そんな煽って、どうなっても知らないよ?」

「好きなようにしていいよ」


 そう言って鼻の頭に嚙みついたら、シュンが上半身を持ち上げて戦闘態勢になった。


「言ったな?」

「言うだけはタダだから」

「後悔するなよ?」

「しないよ」


 とはいうものの。

 きっとシュンの体力にはついて行けなくて、あとで熱を出すのはおれの方。

 そして、それでおろおろするのはシュンの方。

 シュンはまだそれに気がついてないみたいだけど、おれはそこまで想定済みで、シュンにキスを贈る。


 大好きだよ。


 一緒に朝を迎えよう。

 何度も。

 何度でも。


 シュンの愛撫に、おれは身を任せる。

 どこまでついて行けるかなって、ちょっと挑戦者な気分になりながら。




<END>



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