▼女神ユピテル
ニセ勇者(むっつりすけべ)のレオンが生意気な竜皇を倒してくれたことで神界ユグドラシルは飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだった。三日三晩に及ぶ宴が開催された。
宴が終わった後、天界はいつものように通常業務へと戻っていた。しかしながら、女神ユピテルの顔色は悪かった。
モニターを見つめる目にはいつもの慈愛を感じさせる要素は一切なかった。三日間のうちに溜まった仕事を渋々と処理しているという雰囲気を隠そうともしなかった。
「あーーー。頭がガンガンする」
「ユピテル姉さん、飲みすぎですよ。酒は飲んでも飲まれるな。鉄則でしょうに」
破壊神クリイヌスが姉神へと水が入った透明なコップを渡す。さらには二日酔いに効く薬もセットでだ。
手渡された薬をコップの水で胃の中に流し込む。そうした後、またもやモニターとのにらめっこが始まった。
破壊神クリイヌスはやれやれと肩をすくめているが、そちらに憮然な目をちらりと向けるだけに留める。
破壊神クリイヌスもまた、自分の仕事をこなすべく、モニターの前に座った。そうでありながらも、人差し指でポチポチとやる気なさげにキーボードのキーを押している。
「何か言いたげね?」
「そう見えます? ユピテル姉さん」
「いつもなら雀魂やってるのに、今日はちゃんとマインスイーパーじゃないの」
「違いますよ、マインクラフトです。いい加減、ゲーム名くらい覚えてくださいよ」
女神ユピテルとしてはどっちだっていい。破壊神ユピテルはその名の通り、世界の破壊がお仕事だ。現世ではまだ出番がないのでゲーム内の世界を破壊する行為にいそしんでいる。
しかしながら今日の弟神はいつもと雰囲気が違っていた。何やら、こちらの仕事に首を突っ込みたがっているように見えた。
「ユピテル姉さんのお気に入りのレオンくんはそろそろ目覚めそうなんですか?」
「そうね。三日も寝てるから、そろそろ起きても良い頃だと思うわ」
「ふ~~~ん。それがしもレオンくんに興味が出てきました。一枚、噛ませてもらえませんかね?」
破壊神クリイヌスがマウスから手を離し、さらには椅子を回す。こちらへと身体を向けてきた。
女神ユピテルは胡散臭いものを見る目で弟神を見つめてやった。だが、弟神は柔和な笑みを崩さない。
「あら……わたくしの子豚ちゃんをどうするつもりなのかしら?」
「三種の神器集めに介入したいのですよ」
「じゃあ、ポチの爪切りをしてきてくれる? レオンくんが滞在してるリゼルの街でショーツ集めしてるから」
「……え? ポチ、何やってるんですか? 白銀狼の誇りはどこへ?」
「犬生を謳歌してるわよ」
「くはは……さすがマルス兄さんの飼い犬ですね……マルス兄さんそっくりだ」
女神ユピテルは白銀狼のポチがレオンを気に入ってることに気づいていた。
そうだと言っても、レオンが竜皇と戦っている時に白銀狼のポチがレオンを手助けしたのは、女神ユピテルといえどもさすがに予想外だった。
だが、同時に好都合でもあった。これでレオンは白銀狼の爪を手に入れる機会がふんだんに訪れるであろう。
弟神クリイヌスが三種の神器集めに介入したいと言っていたが、彼の手を借りるまでもない。
(レオンくんは可愛いのよね。弟に唾をつけられてたまるものですか)
最近、年頃の男子らしいレオンを我が子のように可愛く思えるようになってきていた。今更、他の誰かにレオンを譲る気はない。
女神ユピテルはこちらに身体を向けたままの弟神クリイヌスを無視して、自分の仕事に戻る。
そうしていると、二日酔いの頭痛を増大させるために現れたのか? と言いたくなってしまう存在がやってきた。
「どうしたのだ? うかない顔をして。酒が足らぬのか?」
「逆です、マルスお兄様。お酒が抜けてほしいのですわよ」
「そうか。で? 何を調べている?」
兄神マルスが身を乗り出して、こちらのモニターを覗き込んできた。こうなれば、こちらとしては無理矢理キーボードを打つ手を止めざるをえなくなった。
「んもう! お兄様といい、クリイヌスといい、今日はよく絡んできますわね?」
「おおう。竜皇を倒したのだから、もっとのんびり構えていればいいのに、仕事に汗を流している妹を見ていると、気になって仕方ないのだ」
「まったく……では、お兄様もわたくしの仕事を手伝ってくださいまし」
女神ユピテルの調べ物とは、かつて魔王を異界送りにしたときの記録を漁ることであった。
魔王をこの世界から追い出したのは今から遡ること、数百年前のことだ。記憶は頭の中からすでに風化していた。それゆえに当時、残しておいた資料をデータバンクから掘り起こしていた。
「ははーーーん。レオンのことが可愛くて仕方がない……というところだな?」
「ふんっ。いつもは色ボケしてるくせに、今日は妙に勘が冴えますわね」
「わしの若い頃を思い出させてくれるのだ、レオンは。わしもあの頃の若さを取り戻したくなるわい」
兄神マルスの顔はいたずら小僧のような顔になっている。それに対して、こちらは渋面だ。兄神マルスがこちらをからかってこようとしてるのが手に取るように伝わってきた。
それゆえにこちらから釘を刺す言葉を送ってみた。
「ヘラクレスの二の舞はやめてくださいまし。神の血を継ぐヒトの子はとてつもない受難を受けますし。見ていて不憫に思っちゃいますわ」
「あーははっ! ヒトはいいぞっ! どうだ? レオンを気に入ってるのなら、レオンの子を孕んでやったらよい」
「そういうことじゃありません! レオンくんはわたくしの可愛い子豚ちゃんですのっ!」
「ぶひっぶひっ! おばさん! 子豚の僕の子を孕んでください! ヘコヘコッ!」
「ぶちのめしますわよっ!」
「待ってくれ! からかいすぎた!」
モニターを手で掴み、それを振り上げた。それと同時に兄神マルスが腰砕けになって、無様な姿をこちらに向けてきた。服従のポーズともいえる姿だ。
女神ユピテルは「ふんっ!」と勢いよく鼻息を吹き荒らした後、モニターを元の位置へと戻す。それに合わせて、兄神マルスがホッと胸を撫でおろしていた。
「んで……ユピテル姉さん。レオンくんのことをそれほど気に入っているからこその調べ物なのですね?」
「そうよ。そこはもう否定しないわっ。だからこそ、魔王ごと異界返しにするのも気の毒だから、何か手がないか調べてるわけ」
「なるほど……でも、そんな手があるのでしょうか?」
「手がないわけじゃないわ。ただし……善行ポイントがとんでもないほど必要になりそう」
この世界の象徴である三柱はレオンがこちらの世界にやってきた当初、魔王ともども、レオンを元の世界に返す方針を取っていた。
その要となるのが三種の神器である。竜皇の珠玉、白銀狼の爪、海皇の三叉槍。この神器のパワーを使って、レオンと魔王を異界に返すつもりだった……。
「んもう! 本当にレオンくんってバカっ! 白銀狼の爪よりもわたくしのピンナップイラスト集を選んじゃったわよっ!」
「くくっ。年増殺しすぎだろ、レオンめっ。しかし、お前もお前でノリノリでスケッチしてもらっておったではないかっ!」
「ぐぅ! それは言わないでくださいましっ! わ、わたくしだって、女ですものっ! 若い子にオカズにされるって思うと……ちょっと……」
「ちょっと?」
「言わせんなっ!」
「ぶべぇ!」
女神ユピテルはニヤニヤ顔の兄神マルスの鼻っ面に裏拳を叩きこむ。それによって、兄神マルスは顔を抑えて、その場で崩れ落ちた。
それはともかくとして、モニター越しに病室で自分のピンナップイラスト集を熱心に見てくれているレオンに視線を送った。
(こんなおばさんの身体に大興奮してくれてるわーーー! んもう! ハイヒールで踏んづけてあげたくなっちゃうーーー!)
女神ユピテルは仕事の傍ら、別の画面でレオンをモニタリングした。レオンの善行ポイントは竜皇を倒したことで今や3000ポイント以上ある。
その善行ポイントを使って、色々と実験できるようになった。
――善行計画。それは地上の人々を正しき世界へと導く計画である。貯めたポイントに応じて、奇跡の類を起こせるシステムだ。
レオンはその善行ポイントをすけべイベントのために消費しているアホであるが、そこがアホ可愛いと言えた。
(レオンくん、もっと善行ポイントを貯めなさい。それが真にあなたの破滅エンド回避に繋がるわっ!)
女神ユピテルはレオンの活躍に期待した。正直に言えば、以前までの女神ユピテルはレオンのことをただの自分の使徒だと割り切っていた。
荒れていく地上界で正しき行いを実行する女神の使徒。その者の名を『勇者』と人々は呼ぶ。
女神から見れば、勇者は女神の意思を地上界に伝え、体現するだめだけの存在とも言えた。
(だけどレオンくんは違う。勇者の新しい姿を作ろうとしているわ。レオンくんはきっと、わたくしたちが用意した善行計画すらも飛び越えていってくれる)
自分の思いに呼応してくれるように兄神マルスが口を開いた。
「竜皇を倒してくれた褒美として、どうにかしてやりたいのう。異界返しではただの罰になる」
「そうですわね。魔王の力だけをレオンくんから切り離したいのですわ。でも……あの子、魔王の力を使い過ぎですの! あれだけ注意してねって言ってるのに!」
女神ユピテルは危惧していた。モニターに映るレオンに被さるように数値が羅列されていた。その数値のひとつに『レオンと魔王の融合率』といったものがある。
その数値が危険域に届こうとしていた。
(んもう! 本当、レオンくんってバカでしょっ! わたくし、レオンくんに言ったわよね!? 言い忘れてたはずないわよね!?)
レオンと魔王は一心同体であった。そうであったとしても、レオンが魔王の力を使わなければ、融合率までは上がらない。
だが、レオンはそのことを忘れたかのように魔王の力が混ざった雷魔法をバンバン使いまくっている。
竜皇相手ならば、その力を使わざるをえない。この点について、とやかく言うつもりなどない。
なのに、チンピラ、盗賊、ゴブリンといった雑魚相手にでもバンバンその力を使っている。女神ユピテルはその度にツッコミを入れようと思ったが、それは自重してきた。
(どうしようかしら……そろそろ、はっきり言うべきな気もするんだけど。言ったからって、それを自重するようなレオンくんに見えないのよね)
さらに女神の頭痛の種が別にあった。レオンは……トラブルの神の加護という超ウルトラレアスキルの持ち主だった。
「んもう! なんであの子は神に愛されるレベルのトラブル巻き込まれ型なのよぉ!」
「ガハハっ! 勇者らしいと言えば勇者らしいなぁ!」
「笑いごとではありませんわよっ! マルスお兄様も何か対策を考えてくださいまし!」