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第19話 白獅子の王子

 シアンは慌てて体を引いてカトンテールが後退できるように場所を空けたが、彼女はすぐには動こうとしなかった。


「カトンテール様、大丈夫……」

「お前、獣人だな? オレと一緒に捕まったのか?」


 カトンテールが掘り当てた部屋にいた人物の声は小さくて聞き取りづらかったが、何となく若者の声のように聞こえて、シアンは思わず尖った耳をそば立てていた。


「え、どうしてこんな所に? 前は誰もいなかったのに……」


 カトンテールの声も驚きで軽く震えている。


「はぁ? オレはずっとここに居たけど。端っこに寝てたからお前が気付かなかっただけじゃね?」

「そんな……」

「それより逃げるんだろ? だったらオレも連れてけよ」


(えええええ~?)


 これは大変な事になった。声だけでは相手がどんな人物なのかほとんど分からないが、もし凶悪な罪を犯して投獄された殺人犯だったら? そんな恐ろしい人物を檻の外に放ってしまったら、アルベルトの身が危険に晒されたりしないだろうか? しかしこの状況でお前だけここに残れと言ったところで、相手が納得するとは到底思えなかった。

 案の定、広い空間にバックして戻ったシアンに続いてズリズリと下がって来たカトンテールの後から、声の主も遠慮なく一緒に穴の中に降りて来た。


「……あ、こ、こんばんは」

「何だ、もう一人いたのか?」


 暗闇で相手の姿は見えなかったが、背はシアンほど高くはなさそうであった。


(だいぶ若そうだな。子供って感じではないけど、でもそれにしては話し方が少し横柄な気がする。落ち着いた謙虚さが無いっていうか。まあそういうのは年齢に関わらず性格にもよるんだろうけど……)


「お二人とも、こっちについて来て下さい!」


 この謎の人物の囚われていた牢屋の床を塞ぎ終わったカトンテールが、声音に少し苛立ちを滲ませながら二人に向かって呼びかけた。予定より時間が押してしまい、焦っているようだ。


「外に出られるのか? 今度は間違えんなよ」


(生意気!)


 助けてもらっているくせになんという口の利き方をするのだろう、とシアンは内心呆れ返った。


(ていうかカトンテールが道を間違えたおかげで、君も一緒に逃亡できることになったんだけど……)


「お前は何の獣人だ?」

「え? 私の事ですか?」

「そうだよ。前にいるやつは兎だろ? 長い耳が付いてたからな」

「私は猫の獣人です」

「猫?」


 謎の若者は少し考えるように間を置いた。


「……そういえば兎と猫の獣人って、どっかで聞いた事がある気がすると思ったんだが、お前らもしかして人間に嫁いだ奴らじゃね?」

「え? それって……」


 シアンが質問しようとしたその時、カトンテールがシッ! と警告音を発した。


「地上に出ます! 喋らないで!」


 シアンがはっと口を閉じるのと同時に、ザリッと地面の擦れるような音がして、カトンテールが何かを退けて外に這い出して行った。彼女が視界から消えるのと同時に月明かりが差し込み、久方ぶりの光にシアンは思わず目を細めた。


(ここは……?)


「シアン様!」


 誰かの力強い腕がにゅっと伸びて来て、暗くて狭い穴の中からシアンを引っ張り出してくれた。


「ドッツさん!」

「しっ! 静かに」


 アルベルトのお妃お披露目舞踏会の時に話しかけてくれたドッツは、真剣な表情で人差し指を唇に当てるとすぐにカトンテールを振り返った。


「兎のお姫様は早くお部屋にお戻り下さい!」

「ドッツさん、それが実は……」

「何だ、協力者がいるのか?」


 シアンの後から穴を出て来た人物を見て、ドッツはポカンと口を開けた。彼の視線を追うように振り返ったシアンの目に、先ほどまで闇に沈んで正体不明であった人物の全容がはっきりと映し出された。


(!!!)


 僅かな光の刺激にも反応するシアンの猫目が月明かりの下で捉えたのは、豊かな白髪をうなじの辺りで一つに束ねた精悍な顔つきの若者だった。全身を薄く覆う毛皮も神々しい程の純白で、顔や手のひら、首から鎖骨にかけてなどの毛皮で覆われていない部分は健康的な小麦色だ。シアンより頭一つ分ほど背が低く、少年と青年の境目くらいの年齢に見えたが、傲慢な光を湛えた青い目には既に王者の貫禄が宿っている。


白獅子はくじしの獣人だ!)


 獣人のトップに君臨する百獣の王である獅子の獣人、その中でも更に希少種で獅子の獣人国の王位を代々受け継いでいるのが白獅子の獣人であった。


(どうしてこんな所に獅子の獣人国の王子がいるんだ?)


 しかも自分と同じように、今さっきまで地下牢に捕らえられていたのだ。


「なっ……なっ……!」


 カトンテールも言葉が詰まったように、パクパクと口を開けたり閉めたりしている。そんな彼女を一瞥してから、白獅子の王子は呆れたように口を開いた。


「お前は逃げないんだろう? だったらさっさと戻ったほうが良いんじゃないか?」

「いや、でも……」

「彼の言うとおりです。後は私にお任せ下さい。早く戻らないとお姫様の立場が危うくなります!」


 ドッツの言葉にカトンテールはようやく頷くと、最後にシアンの両手をギュッと握った。


「シアン様、どうかお気をつけて!」

「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」


 カトンテールはぴょこんと頭を下げると、そのまま慣れた様子で細い穴の中にするりと体を滑り込ませた。彼女が素早く下から土を使って穴を塞ぎ、ドッツがその上から芝生を被せて完全に穴の存在を無かったものに仕立て上げた。


「……とりあえず悩んでいる暇はありません。急いで私について来て下さい」


 音も無く走り出したドッツの後に白獅子の王子が続き、シアンも慌てて二人の後を追った。

 カトンテールが掘った穴の出口は城の後ろ側に続いていたようで、程なくしてシアンの耳にザーッと深い水の流れる音が聞こえて来た。


(あ、ここってもしかして……)


 お城の後ろの森の中に流れている綺麗な川。かつてシアンがお湯を節約するために水浴びをしようとしてアルベルトに止められた、あの川であった。


「こちらです!」


 ドッツは木の葉っぱや草を払いのけ、その下に隠してあった小さな舟を二人に指し示した。


「急いで乗って下さい!」

「これは……?」

「説明は後でしますから、とにかく急いで!」

「ほら、急げって」


 躊躇しているシアンの腕をむんずっと掴み、白獅子の王子は予想以上に強い力でシアンを舟へと引っ張り込んだ。かろうじて声は抑えたものの、よろめくように舟底に降り立ったため舟がぐらりと揺れて、シアンはつんのめって頭を舟底にぶつけそうになった。


「おっと」


 頭一つ分背が低いにも関わらず、白獅子の王子は余裕の表情でシアンが倒れる前に逞しい胸に抱き止めてくれた。


「あ、すみません」

「人間の肌ってのはひ弱そうだな。俺の爪がかすっただけで大事になりそうだ」


 王子の胸から慌てて起きあがろうとしたシアンだったが、ドッツが舟を動かしたため再びバランスを崩して彼に抱きつく形となってしまった。


(ああ~)


「す、すみませ……」

「いちいち謝んなよ。別におかしい事なんかないだろ?」


 そう、確かに獣人同士ならこれぐらいのスキンシップは決して珍しい事では無かった。しかしシアンは人間に嫁ぐ際に、人間のスキンシップの常識を教育係のジェニーに叩き込まれていた上、アルベルトとは指一本触れ合わせる事ができなかったのだ。自分より上位種の獣人との過度の触れ合いは、今のシアンにとっては平常心で受け入れられるものでは無かった。


「人間のお手付きがあると、考え方も人間っぽくなるもんなのか?」


 呆れたような声でそう言われて、ようやく彼から離れて一人で座ったシアンは銀色の髪の毛の毛先をもじもじといじりながら顔を伏せた。


「そういうわけでは……そもそも比較対象が周りにいませんのでなんとも……」

「あいつに聞いてみれば良かったじゃねえか」

「え?」

「さっきの兎の奴。あいつにもあったぜ、お手付きの跡」

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