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第21話 お揃いの服

 ドッツは逃亡生活に必要な物資を周到に舟に用意してくれていた。水や食べ物はもちろん、毛布や着替えまで積んであって、毛皮の無いシアンにとっては涙が溢れるほどありがたい事であった。土でドロドロに汚れた服を脱ぎ、川の水に浸した布で全身を清めてから清潔な衣類を身につけると、すさんでいた気分がスッキリと晴れて上向くような心地がした。月明かりの下でシアンが着替えるのをじっと眺めていたレオは、彼が着替えを終えたタイミングを見計らってすっと手を差し出した。


「貸せよ、その汚ねぇ服」

「え?」

「新しい服があるんだからもう必要ねえだろ。川に投げといてやるから」


 シアンは無造作に舟底に置かれた泥だらけの衣服をじっと見つめた。茶色い土のせいで見る影もないが、元々は白い下着に青い上着の組み合わせだったその服は、シアンが生まれて初めて作ってもらった衣服であった。アルベルトの着ている衣服と同じ布で作ってもらった、お揃いの青い衣装。


「……川に捨てたりしたら、見つかって足がつくかもしれないし……」

「だったらオレの爪でズタズタにしといてやるよ。それなら問題無いだろ?」

「やめて!」


 シアンは思わず悲鳴を上げて、衣服を取られないように自分の手元に引き寄せた。それを見たレオが呆れたように目だけで天を見上げた。


「そんな汚れた衣服にまで縋り付くなんて、未練たらたらじゃねえか。そんなんで大丈夫なのか?」

「ち、違うよ。そんなんじゃ無い。洗えばまだ着れるのに勿体無いだろ。これは上等な布で作られているんだ。まだ使えるのに捨てたりしたら布の神様の罰が当たるよ」

「アホくさ」


 馬鹿にしたような態度のレオに構わず、シアンは舟の端に座ってバシャバシャと川の水で大切な衣服を洗うと、硬く絞って舟の隅の方に広げた。


「乾く前に凍るんじゃね?」

「別にいいよ。すぐに着るわけじゃないんだから」


 川の水に晒されて感覚の無くなった指先に白い息を吐きかけながら、シアンはドッツが用意してくれた毛布に潜り込んだ。


「レオは毛布は要らないの?」

「毛皮があった時のことをもう忘れちまったのか? そんなもん必要無かっただろうが」


(そうだっけ? 確かに人間の肌よりはずっと強かったけど、でもなんだかんだで僕は冬はあったかい所が好きだったけどな)


 そんなことを考えながら何気なく目をやって、シアンはレオの手先が小刻みに震えていることに気がついた。


(あれ、やっぱり寒いんじゃないのか? 何で痩せ我慢なんかして……)


 そこでシアンはようやくハッと気がついた。この舟にはそもそも毛布は二枚しか用意されていなかったのではないか? ドッツが助ける予定だったのは本来シアンだけで、レオは予定外の逃亡者だったのだから。


(我儘で横暴なのかと思ったら、変な所で気を遣うんだから)


 シアンは思わず吹き出しそうになるのをなんとか堪えながら、毛布を肩にかけたまま立ち上がってスタスタとレオの側まで近づいて行った。


「ほら、一緒に入ろう」


 レオは胡散臭げな表情でジロリとシアンを睨みつけた。


「別に要らねえって言ってんだろ」

「でも、一緒の方があったかいし」

「お前が温まりたいだけじゃねえか」


 もう少し拒絶するかと思ったのに意外と早く陥落した所を見ると、やはり寒さがかなりこたえていたようだ。シアンはいよいよ笑い出しそうになるのを堪えながら、レオの横にぴったりとくっついて毛布を分け合うように被った。


「……そういえば、お前は何で牢屋になんか捕まってたんだ?」


 レオはシアンと反対側の斜め上の空を眺めながらモゴモゴと口を開いた。


「お城から逃げ出したのがバレて捕まっちゃったんだ」

「戦争の事を知って危ないと思ったから逃げ出したのか?」

「ううん、そういうわけじゃ無いんだけど。絶妙にタイミングが悪すぎて、とてもじゃないけど言い訳できない状況になっちゃって」

「アホくさ」


 レオの悪態を聞きながら、シアンも同じように真っ暗な空を見上げていた。


『あなたが西領に逃げたという密告があったのだ』


(殿下は確かにそう言っておられた。僕が居なくなったのに気が付いて闇雲に手を回したんじゃなくて、誰かに教えられて正確に行き先まで把握した上で追っ手を放ったんだ)


 自分の行き先を把握していた人物とは。考えたくは無かったが、シアンが知る限りそれに該当する人物は一人しかいなかった。


(シャルロットが裏切ったんだろうか……?)


 彼女とは利害も一致していると思ってすっかり信用し切っていたが、とんだ思い違いだったのかも知れない。


(確かに僕が下手をこいて捕まれば、彼女の立場も危うくなりかねなかった。戦争が起きているなら尚更だ。それなら最初から僕のことを売っておけば、危ない橋を渡らずに僕のことも始末できて一石二鳥だ。しまったな、そこまで考えが及ばなかったよ)


 自分の馬鹿さ加減に呆れながら、シアンは夜空に向かって大きく白い息を吐き出した。


「そういえば君は? レオはどうして捕まってたの?」

「……言いたくない」

「え?」

「うるせえ! 何だっていいだろ? こうやって無事に抜け出せたんだから」


(ええ? そんなに怒ること? よっぽど間抜けな捕まり方でもしたのかな?)


 どんな理由があるにせよ、自分ほど残念な捕まり方では無いんじゃないかとシアンは思ったが、相手が隠したがっているのにしつこく聞くのは悪いと思ってそれ以上は尋ねなかった。気まずい空気から逃げ出すように、シアンはするりと毛布から抜け出してドッツの元へと近付いて行った。


「舟の運転、僕にもやらせて下さい」

「いえいえ! シアン様にを握らせるなんてことはできませんよ!」

「でも、一人で漕ぐのは大変でしょう? 協力して交代で漕いだ方が……」

「大丈夫ですよ。川の流れに沿って下っていくだけですから。シアン様はここ数日色々あってお疲れでしょう。私は平気ですから、どうぞお身体を休めていて下さい」

「でも……」

「だったらオレが漕いでやろうか?」

「いや、お前は信用ならないから結構だ」


 シアンと柔らかく押し問答をしていたドッツだったが、レオに対してはたった一言で素っ気なく突き放した。


「何なんだよその言い方」

「漕がなくていいって言ってるんだから、ありがたくそのままの意味で受け取れば良いだろう?」

「今に見てろよ。獣人国に着いたらただじゃおかねえからな」

「レオ!」


 咎めるような口調でシアンに呼ばれて、レオはチッと舌打ちしてからそのままプイッとそっぽを向いた。


「すみませんドッツさん。せっかく助けていただいているのに……」

「シアン様がお気になさるようなことではありません。とにかくここは私めにお任せ下さい。お二人とも曲がりなりにも獣人国の王子殿下でいらっしゃるのですから」

「ありがとうございます」


 シアンはドッツに向かって深く頭を下げると、レオを促して一緒に先ほどの毛布の所まで戻って行った。


「ありがとうね。レオも一緒に漕ぐって言ってくれて」

「はぁ? お前に礼を言われる筋合いとか無いんだけど」


 レオの肩に毛布をかけてやりながら、シアンはにっこりと笑って見せた。


「だって君はまだ子供なのに……」

「子供扱いするんじゃねえ!」


 隣に座って毛布に潜り込んできたシアンに向かって、レオは威嚇するようにぐっと顔を近づけた。


「お前みたいなヒョロい猫が漕ぐっつってんのにオレだけ座ってられるわけないだろうが!」

「そんなこと気にしなくてもいいのに」

「シアン様、それくらいの年齢の男子というのは背伸びしたがるものなんですよ」

「黙れ、人間!」


 レオはぱっと振り返ってドッツに向かって悪態をつくと、再びシアンと顔を合わせることなく毛布を頭から被ってしまった。シアンは小さく苦笑すると、お互い暖を取れるようにレオの体に寄り添ってから、体力温存のために目を瞑って仮眠を取ろうと試みた。

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