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第33話 白獅子の王

(何だろう、アルベルト殿下が聞きたい事って……?)


 シアンが首を傾げて見守る中、先に口を開いたのはシドであった。


「陛下、今はまさに戦争が起ころうとしている真っ只中なのですよ! 人間の話などに耳を傾ける必要がおありですか?」

「そんな時だからこそ、その原因となったわしの息子を助けてここまで連れて来てくれた彼らの話を聞くべきなのだ」

「レオ殿下をここまで運んで来たのは鷹の獣人ですよ」

「そう、それも興味深い話だ。人間にも加担せず、我々獣人との関係も希薄な彼らはずっと永世中立を保ってきた。いや、永世中立と言えば聞こえがいいが、彼らは基本的に他種族に対して無関心で関わりたがらないだけだ。そんな鷹がわざわざ彼らをここに連れて来たのだ。これにはきっと何か意味があるに違いない。それこそ神の意思に導かれた何かが」


 シドはまだ何か言いたげであったが、『神の意思』だと言われてしまうと反論がしにくく、苦々しい表情で口を閉じるしかなかった。シドが黙り込んだのを確認すると、ルスランはゆっくりとアルベルトに向き直った。


「人間の王子よ、この二十八年間、我々獣人と人間の関係は良好とは言い難く、国交はほとんど閉ざされていると言って良かった。その現状を打開するべく、人間と獣人の王族同士の婚姻話を持ち出して来たのは人間側だったはず。何故わざわざこのタイミングで我が息子を誘拐し、戦争を誘発するような真似をしたのだ?」

「そんな事は決まっている。婚姻話は我々を油断させるためのただの目眩しだったのだろう?」


 噛み付くように言い放ったシドを無視して、アルベルトは獣の皮の敷かれた自分の席からゆっくりと岩の玉座に座るルスランを見上げた。


「その事に関してですが、些か我々人間側との認識の差がございます」

「認識の差?」

「私が聞いた話では、先に人間の兵士を拉致して戦争を仕掛けて来たのは獣人連合の方であるという事だったのですが」

「嘘をつけ!」


 玉座の横の地面に座っていたシドが勢いよく立ちあがろうとするのを、ルスランが右手で押さえて制した。国王の手前渋々座り直したシドであったが、怒りが収まりきらない様子で座ったままアルベルトを罵倒し始めた。


「この場では囚われの不利な立場であるからと言って、そのような嘘八百を並べ立てて我々を侮辱するとは! 人間の王子というのはこうも器の小さく、鼠のように小賢しい存在であったとは!」

「シド!」


 ルスランに厳しい口調で制され、ようやくシドは口を閉じてアルベルトからプイッと顔を背けた。


「我々は話し合いをするために彼らをここへ呼んだのだ。わざわざ口喧嘩をするために招いたわけでは無い。それから鼠の事を悪口の引き合いに出すのもおかしな話だ。彼らは小賢しく、忌むべき存在だと言うのか? 否、彼らは小さき体で必死に日々生きており、彼らにしか果たせない役割を果たしているのだ」


 厳かな声でシドをたしなめてから、ルスランは再びアルベルトに向き直った。


「先に我々獣人が仕掛けたと?」

「そのように聞いております。それからご子息の事ですが、彼が捕えられて人間の国に居たというのも、私にとっては寝耳に水の話でございました」

「嘘を……!」


 ルスランに口を押さえられて、シドは額に青筋を立てながらむぐぐっと声を詰まらせた。


「つまり貴殿は、人間側は何もしていないにも関わらず、我々獣人が一方的に人間の兵士を拉致して宣戦布告をしたと、そのような認識であったということか?」

「左様にございます。それから……」


 アルベルトは少し言い淀んで、ドッツの向こう側に座るシアンを気にする素振りを見せた。


「……獣人側は、シアンが私の元に輿入れする前から、私が猫アレルギーであるという情報を掴んでいたと、そのような内容の声明文も受け取りました」

「はぁ?」


 呆れたような声を上げたのは、ルスランの左隣に座っているレイナ王妃であった。


「何でわざわざ猫アレルギーだと分かっている人間の所に猫の獣人を嫁にやる必要がある? 和平の使者だと偽って死神を送り込むようなものじゃないか!」

「つまりそういう事なのだ」


 ようやく得心がいったと言わんばかりの表情で、ルスランが重々しく頷いた。


「彼の言うことが全て真実ならば、誰かが我々獣人と人間の間に戦争を起こそうとしている」


 謁見の間に重苦しい沈黙が落ちた。ドッツとシアンはポカンとして顔を見合わせ、レオも驚いて青い目を皿のようにまん丸に見開いている。シドは無意識に自分の口を押さえているルスランの指を甘噛みし、レイナは不安げな表情でルスランを見つめていた。


「今までの話の中で、確かな事実はたった一つだけだ。それはわしの息子が捕えられて、人間の国に居たという事だ」


 すぐさま抗議しようと口を開きかけたアルベルトに、ルスランは分かっているという風に頷いて見せた。


「貴殿の話が嘘だと言っているわけではない。明らかな事実がそれだけしかないという事だ。貴殿が関与していなかったとしても、実際息子は人間の国の牢屋に捕えられて、それを貴殿たちが救ってくれたのだからな」


 ルスランは左手の人差し指を一本突き出して、その場にいる全員の視線をそこに集中させた。


「まず人間の兵士の話だが、わしにとってもその話は寝耳に水だ。そのような事をわしは指示していないし、ここに人間の捕虜などいないはずだ」


 ルスランは次に中指もピンと伸ばして話を続けた。


「次にアレルギーの話だが、これは全くもって事実無根である。一体我々獣人がどうやって、会ったこともない人間の王子の体の事情を知り得ると言うのだ?」


 それは確かにそうであった。実際アルベルト自身も、シアンと触れ合うまでは猫にアレルギーがあるだなどとは夢にも思っていなかったのだから。


「しかし、人間が嘘八百を並べ立てているのだと決めつけてしまうのも危険だ。我々獣人連合国は一枚岩とは言い難い。もしかすると、わしの預かり知らぬ所でよからぬ事を企んでいる種族がいるのかも知れぬ」

「百獣の王の我らの意思に反して、人間と戦争をおっ始めようとしてる輩がいるかも知れないって事かい?」

「あくまで推測に過ぎんが、可能性の一つとして捨て置く事はできぬ。少し調査する必要がありそうだ。幸いレオが無事に帰って来たことで、我々が慌てて人間の国に攻め入る必要性は無くなった」

「でも、人間側には戦争を始める理由がある。向こうは兵士を拉致されてると思ってるし、死神嫁を送り込んで王子を害そうと企んだとも思われてるんだろう?」


 死神嫁、というレイナの言葉にシアンは笑っていいのか傷ついていいのか分からず、曖昧な笑みを浮かべて皆の視線を誤魔化した。


「それは問題ないでしょう。兵士なんか知ったこっちゃないが、勝手に転がり込んできた人質がこっちには二人もいるんだ。しかも一人は王子様ときてる。こいつらを盾に取れば、人間どもが攻めて来られるはずなんかありませんよ」

「あまり褒められた言い方ではないが、確かにそれもそうだな」


 シアンはギクリとしてルスランとアルベルトの顔を交互に見たが、二人の間に流れる空気は少なくとも表面的には落ち着いて凪いでいる様に見えた。


「このような事態なのだ。しばらくの間こちらに留まることを承諾してもらえるかな?」

「分かりました。その代わり、ある程度の自由は許して頂けないでしょうか?」

「もちろんそのつもりだ」

「陛下!」


 苛立ったように大声を上げたシドを、ルスランは今度は視線だけで黙らせた。


「いいか、レオの命の恩人に相応しい扱いでもてなすのだぞ」

「こいつらが嘘をついていたらどうするのです? 寝首を掻かれるかもしれないのですよ!」

「ここは我々の縄張りだぞ? お前は慣れ親しんだ自分のテリトリーで、武器を持たぬ人間の一人や二人に全く対抗できないと言うのか?」

「それは……」


 言葉に窮したシドから夫が目を逸らすのを見計らってから、レイナ女王が待っていましたとばかりに口を開いた。


「とりあえず、この猫は医者に見せた方が良くないか?」

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