シアンとドッツ、それにアルベルトの三人にあてがわれた部屋は、三人が最初に監禁されていた部屋とさほど変わらない灰色の岩壁の洞穴のような空間であった。強いて違いを挙げるならば、この部屋には罪人を入れておく木の檻は存在せず、床には一応柔らかい獣の皮が敷かれていて、硬くて冷たい岩の床の上に直接座ったり寝転がったりしなくても済む場所であった。
あまりにも続け様に色々なことが起こりすぎて、部屋に案内されてふっと気が緩んだ拍子にアルベルトは崩れるように獣の皮の上に倒れ込んでしまった。
「殿下!」
反射的に手を伸ばそうとしたシアンだったが、すぐにはっと気が付いてドッツを振り返った。
「ドッツさん!」
「お任せ下さい」
ドッツは慣れた手つきでアルベルトを助け起こすと、背中を壁に立てかけるようにして獣の皮の絨毯の上に座らせた。
「大切な方に触れることができないというのは本当に難儀なことですね」
「すみませんドッツさん。ありがとうございます」
シアンはドッツに心からの謝意を述べると、人二人分ほどの距離を空けてアルベルトの前に自分も座り込んだ。この部屋にも最初の部屋と同様に扉は無かったが、見張りが付いているのは明らかだ。軟禁されているこの狭い空間に逃げ場などどこにも無い。シアンは自分の愛しい夫とついに真正面から向き合う時が来たことを悟った。
(……さて、一体何から話したものか。殿下は一体どの説明から聞きたいだろう?)
最初に一人で逃げ出してから、シアンは一度もこうしてアルベルトとゆっくり話をする機会を得ることができなかった。
(しかもその後もう一度、脱獄までして現在に至るわけだ。これ、果たして許してもらえる案件なんだろうか?)
しかしアルベルトがどのような反応を示そうが、こうしてまた再び顔を合わせることができたのだから、自分には彼に対して釈明する義務があるとシアンは自分自身に言い聞かせた。
(そんな言い訳なんか聞きたくないって一蹴されてしまうかもしれないけど、それが僕に対してずっと真摯に向き合ってくれていた殿下に対する礼儀ってものだろう)
「殿下、あの……」
「妊娠しているというのは本当なのか?」
「えっ?」
シアンは口を開く前に、自分がしでかした一連の事件についての言い訳を頭の中でじっくり練っていたのだが、まさかそのことを真っ先に聞かれるとは思ってもみなかったため、思わずポカンと口を開けてアルベルトの険しい顔を見つめた。
「一体誰の子供なんだ? どこの不埒な輩が、よりにもよって王族の人間の妻に手を出したというのか!」
先ほどの獅子の獣人たちとの会議では落ち着いて泰然と振る舞っていたアルベルトだったが、なぜか今になってかっと頭に血が上ったかのように感情を露わにしてシアンに詰め寄っていた。
「殿下!」
「お前か? 城の清掃員の分際で、よくもまあそのような大それた罪を犯せたものだ!」
シアンを擁護しようと間に割って入ったドッツだったが、逆に不貞の疑いをかけられて流れ弾を食らう結果になってしまった。
「殿下、落ち着いて下さい! そのようなことは事実無根です! そもそもまだシアン様の妊娠が確定したわけでもありませんのに……」
「なんだよ、自分は何人もお妃を囲っているくせに、そのうちの一人が浮気したからって烈火の如く怒るってのか?」
不意に部屋の入り口の辺りで少年のような声が聞こえて、アルベルトは眦を吊り上げたままきっと声のした方を振り返った。
「今何と言った?」
「自分は本妻以外にも何人もの妻と寝ているくせに、その妻が他の者と寝ることは許容できないなんておかしな話じゃないかって言ったのさ」
白獅子の王子レオは三人が軟禁されている部屋につかつかと入って来ると、ぽっかり空いた窓代わりの穴の側に悠然とした態度で寄りかかった。
「……貴様、我が人間の国に滞在していたのだと言ったな?」
「そんないいもんじゃないだろ。捕まって牢屋にぶち込まれていたんだ」
「その話は本当なのか? 捕まったというのは全くのでたらめで、実は密かに我が国に潜伏していたのではなかろうな?」
そこまで言ったアルベルトは急に立ち上がると、いきなり窓辺に立つレオに飛びかかるように近づき、自分より小さい獅子の獣人の少年を瞳孔の開いた目でかっと睨みつけながら見下ろした。
「まさか貴様がシアンを妊娠させたのでは……!」
「殿下!」
これ以上は聞いていることができず、シアンは思わず悲鳴のような声を上げた。
「相手は子供ですよ!」
「俺は子供じゃねぇ!」
「若かろうが性的に成熟しているなら関係無いことだ! しかもこいつは猫科の上位種だろう? 十分あり得る話じゃないか!」
確かに、獅子の獣人のレオと猫の獣人であるシアンが番えば、当然シアンの方が子供を孕む事になる。人間の姿に近くなったシアンの見た目をもしレオが全く気にしないというのなら、あり得ない話でも無かった。
(でもどうして急にこんな話になったんだ?)
「夫の嫉妬は見苦しいぞ!」
吐き捨てるようにそう言い放ったレオの言葉に、シアンは一瞬その場ではっと動きを止めた。
「大体自分のことは棚に上げて……」
「レオ」
低く重みのあるシアンの声に、睨み合っていたレオとアルベルトが驚いたような表情で同時に振り返った。シアンの声音には決してレオを非難するような響きは含まれていなかったが、有無を言わさぬ意思の強さを内包しており、曲がりなりにも彼が為政者の血を引く存在であることを周囲に知らしめる結果となっていた。
「僕に不貞の疑惑があって、アルベルト殿下がお怒りになるのはもっともな事だ。殿下にとって僕はたくさんいる妃の一人だけど、王族に嫁いだ妻が他の者と関係を持つなんてことが許されるはずがないだろう? レオだって獅子の国の王族の一員なんだから、それぐらい分かっているはずだ」
強い声でそう言われてレオは一瞬たじろいだが、すぐに我に返ると苛立ったような表情で言い返してきた。
「そんなの知らねえよ! 俺は何人も妃を娶るつもりなんか無いからな。妻は一人いれば十分だろ?」
(へぇ、獅子の獣人にしては珍しい考え方だな)
「ニュージェネレーションですね」
ドッツもシアンと同じことを考えたらしく、驚いたようにそう口にした。
「まあでもこちらには王子殿下がたくさんいらっしゃるようですし、彼が希望するならそれも可能なんじゃないでしょうかね」
「誰が何人妻を娶ろうが俺の知ったこっちゃ無い。ただ自分がたくさん妻を娶るなら、妻が他の者と関係を持っても許容するべきなんじゃないか? 自分も同じことをやってるんだから」
(なるほど……)
斬新な考え方に一瞬納得しそうになったが、シアンはすぐにはっと気が付いてブンブンと首を振った。
「それは違うよ。王族が複数の王妃を娶るのは、血筋を残すことが目的なんだ。王妃が夫以外の者と関係を持ったりなんかしたら、その目的を達成できないじゃないか」
「そんなこと知るもんか。大切な相手を大事にできないような制度なんてクソ食らえだろ?」
(ニュージェネレーション!)
この白獅子の王子はまだ幼いにも関わらず、自分なりの芯のある考え方を持って生きているらしい。その事実に感銘を受けたシアンだったが、レオの主張を聞いている間にその場の空気が少しばかり落ち着いたのに気が付いて、大幅に外れてしまった話を本筋に戻す事にした。
「アルベルト殿下、私に釈明の機会を与えて頂けますでしょうか?」
レオの話に何か思うところがあったのか、先ほどまで触れれば切れそうなほど殺気立っていたアルベルトだったが、一変してなんだか叱られたばかりの大型犬のようにしゅんとした様子でシアンに向かって頷いて見せた。
「そんなに堅苦しくなくていい。あなたの伝えたいことを私に話してくれ」