突然アルベルトが思ってもみなかったことを口にしたため、シアンは驚いてアルベルトがレオと向き合って立っている窓辺を振り返った。
「え、殿下? それはどういう……?」
「先ほどの獅子の王の話が本当なら、何者かが人間と獣人の間に戦争を起こそうと画策していることになる。あのまま人間の国に留まっていて妊娠が発覚していれば、命を狙われていたかもしれない」
「ええっ! じゃあ、戦争を起こそうとしている者は人間側にいるということですか?」
「確かに、少なくとも首謀者に人間がいるのは確実だろうね。こんな手の込んだ事、獣人たちの頭で考えつくとは到底思えないからね」
レイナ王妃もアルベルトと同じ意見らしく、二人は目を見合わせて同時に頷き合った。
「とはいえ獣人側にも協力者がいる可能性は高い。何せこちらは多様な種で成り立った連合国、一枚岩とは到底言い難いからね」
「しかし獣人は子供を神聖な存在として扱い大切にするのでしょう? 少なくとも人間の国にいるよりはよっぽど安全なのではないですか?」
「そうだね。しかもこっちにはこいつの故郷もある。逃げ出したのが図らずも功を奏したんじゃないか?」
故郷、という言葉を聞いて、緑に囲まれた猫の獣人国の懐かしい情景がシアンの目の前にさあっと広がった。
「そうですねぇ、わしも一応確認はしましたが、やはり一度猫の獣人の産婆にも診てもらうべきだと思います」
「そうだな。人間の国に帰らないなら、故郷で里帰り出産するのが一番望ましいだろうね」
レイナや産婆の言葉に背中を押されるように、シアンは思い切ってアルベルトの方へ一歩近付いて口を開いた。
「……殿下、私と一緒に私の故郷へ足を運んではいただけないでしょうか?」
アルベルトは反射的にシアンの肩に手を置こうと腕を伸ばしかけたが、すぐにはっと気が付いて動きを止めると、まるで自分の体温を視線から伝えようとするかのように精一杯の愛情を自らの黒い瞳に込めて頷いた。
「もちろんだ。一度あなたの故郷にも行ってみたいと思っていたんだ」
「私もお二人にお供させて下さい。決してお二人のお邪魔はいたしませんので」
シアンが答える前にアルベルトがドッツの前に近付き、その場にさっと膝をついて首を垂れた。
「先ほどは疑って済まなかった。私は獣人の国を訪れるのは初めてで知らないことばかりだ。身重のシアンのためにも、一人でも多くの協力者が必要だ」
「お顔を上げてください! 殿下がそのような事をする必要はございません。お二人にお仕えするのは当然のことですし、それにそもそも私の最終目的地は猫の獣人国なのです」
「そうだったのですか?」
驚くシアンの目の前に、今度は白獅子の王子のレオがすっと立ちはだかると、母親に向かって深々と頭を下げた。
「母上、俺もこいつらについて行ってもよろしいですか?」
「ええっ? なんでレオまで?」
驚くシアンの言葉は無視して、レオはシアンと同じ質問を視線だけで伝えているレイナに向かって理由を説明した。
「こいつらと一緒に行動していれば、俺のことを拉致した首謀者と接触することができるかもしれません。やられた分はきちんと落とし前を付けないと」
「確かにそれもそうだな」
レイナは息子の主張に納得したように頷くと、立っていた入り口の辺りから息子の側までやってきてポンポンと彼の肩を叩いた。
「お前ももう十四の立派な男。不思議な縁で知り合った者たちだ、お前が先頭に立って守ってやるといい」
「はい、母上のご命令とあらば」
さすがに自分より一回り近く年下の少年に守られるというのは気が咎めた様子のアルベルトだったが、初めて訪れる獣人の連合国において、その頂点に君臨する獅子の王子の存在は非常に頼もしくありがたいものであることには違いなかった。
「……先ほどは疑ってしまい……」
「その流れはもういいって。てか勘違いするなよ。俺は俺の目的のためにお前らと一緒に行動するだけだからな。母上の命令があるからまあ面倒くらいは見てやるけどよ」
「うん、ありがとう」
心からほっとしたような表情でシアンにお礼を言われて、レオは耳を赤くしながらふいっとそっぽを向いてぽりぽりと頭を掻き、アルベルトは少し複雑な感情のこもった目でそんなシアンをちらっと見ていた。
(そうか。僕、猫の獣人国に帰るんだ)
二度と戻らない覚悟で旅立った、生まれ育った自分の故郷。まさかこんなにも早く、しかも愛する人と一緒に、愛する人の子供を里帰り出産するために戻ることになろうとは。
「でもこの王子は猫アレルギーなんだろ? 猫の獣人国に足を踏み入れるのはまずいんじゃないのか?」
「最近は直接触れてもそこまで重篤な症状は出なくなった。接触しないに越したことはないが、同じ空間にいるくらいならこちらが気を付ければ問題ないはずだ」
「いずれにせよ殿下だけここに置いていくわけにもいきませんしね」
ドッツの言う通りだった。こんな人間にとって現在敵地のようになっている場所に、アルベルトを一人で置いていけるはずなどなかった。
(だからといって獅子の獣人国が僕にとっても安全かと言われれば、それも保証はできない。やはり僕の故郷である猫の獣人国に帰るのが一番得策だろう。刺客対策より、アレルギー対策の方がよっぽど簡単で安全なはずだ)
こうして、レイナの言う通り不思議な縁で知り合った人間と獣人の一行は、それぞれの目的を胸に、シアンの故郷である猫の獣人国へと出発することになったのであった。
第一部 嫁入り編 完