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第二幕 引っかかり

「今日から五月ですか。いやはや、時間がたつのはあっという間ですな」

 もうすぐ太陽が真上に差し掛かろうとしている頃、スーパーに向かう蓮夜の横を歩くサネミが、歩道脇にある掲示板に視線を向けながら言った。ポスターが何枚も貼ってある中に、「五月突入! ゴールデンウィークキャンペーン開始! このチラシを見たと言えば、五月一日から駅前カラオケにて部屋料金が半額になります!」との文字が躍る。

「つい最近新学期開始したと思ってたら、もう五月……この分だとあっという間に二年生も終わりそうだ」

「ふふ、しっかり勉強に励まないとですな」

「……まぁ、そこそこに頑張るよ」

 勉強が得意ではない身としては、しっかり励む約束は出来ない。何となく誤魔化す様に笑って蓮夜は続ける。

「にしてもカラオケかぁ。確かに長期休暇とかは賑わうかもしれないなぁ」

 一応娯楽施設だもんねと返せば、サネミが少しばかり首を傾げた。

「話題を提供しておいてなんですが、私はそもそもカラオケと言うものがイマイチ把握できていません」

「え⁉ カラオケ知らないの⁉」

「ええ。名前を耳にしたことはありますが、実際に目で見たことはないですな」

「ひえ~……そうだったのか。でも確かに、何か用事がないとカラオケなんか覗きに行かないよね」

 言えばサネミが「そうですな」と顎に手を当てて続ける。

「今から行くスーパーですら、蓮夜と出会うまでは中に入った事すらなかったですから」

「そう言えば提馬風の時だったよね、初めてスーパーの中に入ったの。今度カラオケも行ってみる?」

「何をするところなのですか?」

「んー……友達と一緒に歌ったり、もしくは誰かの歌を延々と聴くところかな」

 蓮夜自身、カラオケはそこまで経験している方ではなかった。歌うことは恥ずかしいし、体質のこともあって一緒に行く友達が他に居るかと言われると正直微妙だった。それに、店舗によっては怪異が当たり前のように居座っていたりするのだ。サネミには「用事がない限り覗きに行かないよね」という言い方をしたが、そもそもその場所に居座っている地縛霊だったりがいる場合もあるわけで、幽霊全般がカラオケを覗かないとは一概には言えないとも思った。

「なるほど、歌を嗜む施設なのですね」

「興味ある?」

「ええ。現代の人々の娯楽は刺激的なものが多いですから」

「じゃあ今度みんなで行ってみよっか。深雪さんなんかあの歌の上手さだし、一緒に行ったら楽しそう。サネミも歌上手そうな感じするけど、どう?」

「生きていた頃は時代が時代でしたからな。今のようなハイカラな曲はありませんし……上手いか下手かを判断する材料が記憶に乏しいですな」

 うーんと唸ったサネミの顔を見上げつつ、彼が生きていた時代の事をぼんやりと考えてみる。最近では生きていた頃の私服を着てこうして蓮夜の買い物に付き合ってくれる事が多いが、その私服というのが着流しだったり、今日に至っては社会科の資料集なんかで目にしたことがある書生服と言うやつを身に着けている。彼がたまに口にするキーワードをかき集めるに、恐らく明治時代かそこらの生まれなのではないだろうか。

(いずれにせよ、カラオケは存在してない時代……か)

 内心思いつつ、ふと今ここにはいない相棒の顔を思い浮かべた。

「ロクロウはどうだろう?」

「歌が達者か、という意味で?」

「うん」

 頷けば、これまたサネミがうーんと唸って空を仰いだ。

「歌が上手いかどうか以前に、ロクロウの性格上、歌を嗜むというのがそもそも無いような気がしますが……」

「……やっぱり?」

「ええ。彼が歌っている姿が想像できませんな」

「はは、違いないや」

 ロクロウはサネミ程、昔の時代を生きていた人間ではないだろう。ゆえにカラオケが存在していた可能性は高いが、そもそもあの性格だ。生きていた頃にカラオケに行っているかと言われれば、行っていないに票を投じたくなる。いや、行っていたとしてもそれは付き添いであって、歌ってはいなかっただろうなと想像できた。


 そんなやり取りをしているうちに、目当てのスーパーに辿り着いた。荷物持ちとして同行してくれているサネミは勿論実体化しているわけであって、書生服のその姿はどうしたって目立つ。すれ違うマダムたちが「またあの素敵な人よ」とひそひそ言っているのが聞こえるが、これもサネミを連れている時は毎度のお約束になりつつあった。

 たまには現代の洋服を買ってあげてみてもいいかもしれない……なんて思いつつ、自動ドアを潜り抜けて籠を取る。入ってすぐには野菜コーナーがあって、メモを見ながら頼まれたものを次々籠へと放り込んでいく。

 と、その時。

「あれ?」

 遠目に、出口側の自動ドアを出ていく満春の姿を発見した。だがその手にはスーパーの袋は握られていない。おまけに、横顔しか見えなかったが、どこか顔色が良くないように見えた。

(忘れ物したのかな……)

 スーパーに来て手ぶらで帰っていくことはあまりない様に思う。ひょっとして財布でも忘れたのだろうかと自分を納得させつつ、再度買い物に戻った。

 青果コーナーを過ぎて肉や魚のコーナーを通過し、残された調味料を籠へ放り込むために棚が聳え立つ中央へと差し掛かる。

「えっと、オリーブオイルオリーブオイル……」

「蓮夜、これでは?」

「あ、それだ」

「どっちでしょう?」

 しゃがみ込んで棚の下の方へ目線を向けているサネミの横に並び、棚を眺める。暗い色をした瓶が陳列している中から一本を掴み上げれば、つられてサネミの視線が移動する。

「こっち。ばあちゃんはエキストラバージンしか使わないんだ」

「なるほど、えきすとらばーじんと読むのですな、それ。オリーブオイルは何とか読めましたが、異国後はまだまだ苦手です。日々精進ですな」

 立ち上がり肩をすくめて見せるサネミに笑いかければ、ちょうどその背後を見覚えのある姿が横切った。

 あ、と思い、咄嗟に名前を呼ぶ。

「満春ちゃん!」

 棚の影に消えた姿が、一拍置いてひょっこり顔を出した。

「あれ、蓮夜君? それにサネミさんも」

 買い物? と言われ、そうだと頷く。

「あ、そうそう満春ちゃん、さっき一度お店から出て行ってたよね? 僕入り口側から入店したばかりで、遠くて声かけられなかったんだ。財布でも忘れたのかなって」

「……え?」

「ほら、手ぶらだったからさ」

「私が出て行ったの……?」

「あれ、見間違いだったかな? 確かに満春ちゃんだったと思うんだけ、ど……」

 説明するうちに、満春の表情が曇っていく。蓮夜も思わず言葉の語尾が尻すぼみになってしまった。

 何かまずいことを言っただろうか。つい横に立つサネミの方に視線を向けてしまう。サネミも何か異変を感じ取ったのか、蓮夜の方へ顔を向けた。

 何かありそうだと、確認の意味を込めて頷けば、サネミも同意するように小さく頷いて見せた。視線を満春に戻して、言葉を選びつつ会話を再開させる。

「なんか……あった? 満春ちゃん」

「え……?」

「いや、反応がちょっと、その……元気ないというか……」

 コミュニケーション能力が低い自分を呪いたくなるほどに、的確な言葉が出てこない。どういえば良いかと思考をフル回転させていると、横からサネミがさりげなく助け船を出した。

「顔色がよろしくないようですが、何か心配事がおありですかな?」

 目線を満春に合わせるように、サネミが少し屈んで問いかける。威圧感のないその微笑みが満春に向けられれば、「あの……」と満春がようやく口を開いた。

「大したことじゃないんだけどね、昨日も……私を見たって……見間違いだったかなって友達に言われたばっかりだったから」

「満春ちゃんを見た?」

「うん。水やりに学校に行ったら、友達に『図書室から出て下駄箱の前を通った時に、玄関から帰っていく満春を見たよ』って言われたの。でも私はその時水やりの最中だったから玄関には近寄ってなくて……」

 蓮夜は頭の中に、自分達の通う高校の構造を思い浮かべる。図書室から教室棟へ戻る時、一階をそのまま行けばどうしたって玄関付近を通ることになる。玄関と廊下の間には勿論下駄箱があるが、その下駄箱のせいで人を見間違う程廊下と玄関の距離が開いているのか問われると、答えはノーではないかと思う。

 雨の日や夕暮れの暗さならまだしも、昨日は確か晴れだった。見間違う可能性は低い気がする。

「制服を着ていたから見間違うこともあるかな、とは思うんだけど……」

「腑に落ちない、と言う感じですな」

「はい……」

 素直に頷いた満春に、ふむとサネミが顎に手を当てた。

「あ、でも気にしないで……ごめんなさい。二日連続で『私を見た』って言われたから、ちょっと身構えちゃっただけだと思う。偶然だから、きっと……」

 大丈夫と作り笑いをする満春の表情は、やはりどこか曇っている。そう言えば、先ほど出口から出て行った満春も……顔色が良くなかった。

(いや、顔色が良くないというより……生気が感じられなかった……?)

 懸命にその時の光景を思い出そうと眉間に皺を寄せる。横顔しか見えなかったが、ただでさえ白い肌が、妙に青白かったような気さえしてくる。

(なんだろう、この言いようのない不安)

 嚙み合わないピースが歯がゆい。

 何かがそこに在る気がするのに、全て指から滑り落ちていくようで不安になる。


「蓮夜」

 ハッとして顔を上げれば、サネミが少しばかり眉を下げて困ったように笑っていた。まるで大丈夫だと言わんばかりに、その手が伸びて蓮夜の背中を小さく擦る。

「何か、引っかかっているようですな」

「……うん、上手く言えないけど」

「なるほど、実は私もです」

「サネミも?」

 意外な答えに思わず目を見開けば、「はい」とサネミが続けた。

「自分が居ないはずの場所で自分が目撃されるというのは、厄の前兆かもしれません」

「厄の前兆……?」

「はい。体から魂が抜け出てしまい、もう一人の自分として目の前に現れる……それはひと昔前では、死の前兆であるゆえに恐れられていました。現代で言うところのドッペルゲンガーというやつですな」

「……あ!」

 そうか、と思わず声が出た。不安感を覚える理由はそこにあったのではないか。

「ドッペルゲンガーに似てるんだ、状況が」

 言えばサネミが「ええ」と頷く。

「確かに見間違えと言う可能性も捨てきれませんが、満春さんが感じているその不安とやら、私にはどうも、何かあるとしか思えない」

 一幽霊いちゆうれいの勘でしかありませんが、とサネミが補足するが、その言葉は妙に的を射てる気がした。

 何事もなければそれでいいのだ。ただ何かあると言う気がしてならないのは、満春が元印付きであるからだろうか。


 ――気を付けねぇと、ありゃ食われるぞ……それこそ元印付きだからな。

 ――美味そうに見えるだろうぜ。


 電車の怪異の時、ロクロウが言った言葉が思い出された。

 満春には、閻魔の目に選ばれていた時の残穢がある。ゆえに今回の事も何か怪異が絡んでいるのではないだろうかと勘ぐってしまう自分がいた。

「……満春ちゃん、この後って時間ある?」

「え、うん。今日は特に予定はないけど……」

「ひょっとすると、また何か良くない事が起きようとしているかもだから……ちょっとだけ最近の話聞かせてもらってもいい?」

 他に見落としている部分があっては大変だからと言えば、満春はすぐに頷いた。

「それには賛成ですな。少し状況を確認しておいた方がいいかもしれません」

 サネミが賛同してくれたことに内心ホッとしつつ、とりあえず買い物を済ませてから三人揃って近くのカフェへと移動した。


   ***


 カフェに入ると、タイミングが良かったのか店内に人は疎らだった。

 一番奥の窓際の席に、満春と向き合うような形で蓮夜とサネミが座る。蓮夜がロイヤルミルクティー、満春がカプチーノを注文し、サネミには蓮夜がコーヒーをあてがってみた。てっきりコーヒーの経験がないかと思いきや、「珈琲に関しては生前に嗜んだことがあります。懐かしいですな」と意外な反応をされた。コーヒーの歴史なんぞ調べたことすらなかったが、思ったよりも昔からあることに内心驚いてしまう。


 飲み物が運ばれてきたタイミングで、満春がぼそりと呟いた。

「蓮夜君達の言った通り……ひょっとしてドッペルゲンガーでも居たりするのかな」

「それですが、最近他に何か変わった事とかはありませんでしたか? ドッペルゲンガーではなく、何か妖怪が擬態している可能性もありますから、少しでも気になる事があれば教えていただけると幸いです」

 サネミの言葉に一瞬考え込んだ満春だったが、やがて「……あ」と何か心当たりがあるような声を漏らした。

「兎が……」

「兎? 兎って、ひょっとして高校の?」

「うん。飼育小屋の兎……私もたまに餌をあげさせて貰ってたんだけど……昨日突然みんな死んじゃって……」

「死んだ? それはまた、何故」

 コーヒーカップに口を付けていたサネミが、その手を止めて聞き返す。ソーサーに戻されたカップの底がカチャリと小さく音を立てた。

「それが原因不明みたいで……用務員のおじさんも相当困ってて……ひょっとしてこれも私のせいだったりするのかな。もし何か関係があるなら……」

 満春の言葉に、珍しくサネミが難しい顔をしたのを蓮夜は見逃さなかった。眉間に皺を寄せて、何かを思い出さんとするように「動物の死……もう一人の自分……」とぶつぶつと呟いている。長い事幽霊をやっているサネミには、何か心当たりがあるのだろうか。


 黙ってその様子を見ていると、ふと何かに辿り着いたのか、ようやくサネミが「蓮夜、一つ良いですかな」と言葉を紡いだ。

「え、僕?」

 てっきり満春に話しかけるとばかり思っていたため、思わず声が裏返ってしまう。

「いいけど……僕に分かる事?」

「ええ」頷いて続ける。

「蓮夜が先ほど目撃したという満春さん、どんな様子でしたか?」

「様子か……何と言うか、元気そうではなかったかなって思う。横顔しか見えてないけど、顔色も良くなかったと思うんだよね」

「では満春さんにお聞きします。今現在、どこか具合が悪かったり体調が芳しくないと言ったことはありますか?」

「いえ、これと言っては……」

「……ふむ」

 少しばかり俯いたサネミが、小さく「なるほど」と呟いたのを蓮夜は聞き逃さなかった。何かわかったのかと問いかければ、一拍置いてから彼は再び顔を上げた。

「はっきりと断言は出来ませんが、今の話を聞く限り、俗に言うドッペルゲンガーとは何か違う気がしますな。ドッペルゲンガーとは生きた人間から幽体が抜け出てしまう現象のことで、幽体が抜けた魂は長く持ちませんから、必然的に対象者が死に至る事になります。ゆえに本人も徐々に具合が悪くなるという特徴があります」

「……あ、そうか。ドッペルゲンガーって、もう一人の自分に会わなくても……幽体が抜けた状態が知らないうちに発生してたら、会わずともやがて死んじゃうってことか」

「ええ。ですが今回の一件はどうでしょう? 確かに満春さんの知りえぬ所で満春さんが目撃されていますが、本人は御覧の通り具合が悪いと言うことはないようです。と言うことは恐らく、幽体は抜け出ていません」

 きっぱりと言い切ったサネミに、今度は蓮夜が顎に手を当てて唸った。

「うーん……となると、一体何が起きてるんだろう?」

「見間違いで済めば平和ではありますが、兎の怪死の件もあります。ここは詳しい者に話を聞くのが一番でしょうな」

 サネミの手が再びコーヒーカップに伸びる。カチャリと音をさせて、カップの底がソーサーから離れた。彼が一口コーヒーを飲み込んだところで、様子を伺うように蓮夜は問いかけた。

「……宛てがあったりする?」

「ええ、かなり長く生きている知り合いが……一人」

 ゆっくりと顔を上げたサネミが言った。

「長く、生きている……?」

 どこか引っ掛かる言葉にジッとサネミを見遣れば、彼はどこか困ったように少しばかり視線を彷徨わせた。

「しかし、会うには一つ条件がありまして」

「条件?」

「それって、なんなんですか?」

 不思議そうな目をする蓮夜と満春に、サネミはこれまた困ったように笑って、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。


「可愛い女の子を連れて来ること、です」


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